第32話 迂回路2
メドウ王子は恐怖で目を瞑っていた。しかし、硬いもの同士がぶつかる音につられて、恐る恐る目を開く。そこには予期せぬ人物がいた。
「リエール殿?! なぜ、ここに!」
ウルは自身と牡鹿の間に入り、刀で牡鹿を抑える、黒髪で浅葱色の瞳をもつ青年の、出現に驚いていた。
「話は後です。早くさがって!」
リエールに促され、ウルは右手に避けた。剣を両手で握り直し、リエールと組み合う牡鹿の柔らかな腹部目掛けて剣を突き出したが、察した鹿は即座に飛びすさってこれを躱した。
「リエール、待ってー」
山下からこの緊迫した状況には似つかわしくない気の抜けた声が聞こえてきた。その場にいた、リエール以外の全員が、一斉に声のした方へ振り返る。月のまばゆい光に照らされて、きらきらと輝く金髪をたなびかせながら、1人の少年がこちらに向かって走ってきた。
「お、お前は、ハッピーラッキーランドの!? あいつら仕留め損ねたのか!」
金髪の少年の登場に動揺し、メドウ王子は口を滑らせた。今度はメドウ王子自身が兵士たちの視線を浴びることとなった。
しまった、という表情でなにやらまごまごする主を、牡鹿を目の端に捉え続けながら、ウルは問い詰めた。
「王子、『仕留める』とはどういうことですか?!」
メドウ王子は「いやぁ」と言ったきり天を仰ぎ、ウルと決して目を合わせようとしなかった。刀を鹿に向けて構えたまま、リエールが代わりに答えた。
「その様子だとウル殿は預かり知らぬことのようですね。メドウ王子は刺客を放ち、そこにいらっしゃるハッピーラッキーランドのルッカ王子と…」
リエールは一瞬言葉に詰まったが、すぐに次の言葉を続けた。
「ルッカ王子と、その連れ合いの方々をもろとも暗殺しようとしたのです」
「そんな、バカな」
ウルは危うく剣を取り落としそうになった。メドウ王子はバカだ。これは揺るぎようのない事実だ。しかし、他国の王子殺害を企むほどバカではない。そう思っていた。これは個人の話で済む話ではない。もはや国を巻き込む大きな問題になる――つまり戦争だ。
ウルは何かの間違いであってほしいと強く願いながら主の方を見た。他の兵士も同様に視線を向ける。兵士たちの責めるような、問い詰めるような視線に耐えきれなくなり、メドウ王子は地団駄を踏んで言い訳を始めた。
「だって、こいつが悪いんだよ。抜け駆けするような真似して!」
兵士たちの反応は冷ややかだった。この道中、王子の人となりを嫌というほど目の当たりにしてきた彼らが王子に向ける視線はあまりにも無遠慮だった。
「それに昔から嫌いだったんだ! オレアレス国でのパーティーに招待されたときにも、みんなしてこいつばっかりちやほやして! 僕の方が美しいのに!」
「…なんということをっ」
ウルは、ついに剣を落とし、膝から崩れ落ちた。昂る鹿と向き合っていることも、何も、考えられなくなっていた。
メドウ王子にハッピーラッキーランドのルッカ王子が先に山を登っていることを伝えるべきでは無かったと、ただただ激しく後悔した。自身の主がこれほどまでにバカだとは思っていなかった。ウルは地面の石を手に跡がつくほど握りしめ、そのままルッカに向かって額が擦れるほど深く頭を下げた。
「ルッカ王子、この度は、我が主が大変なご無礼を。誠に申し訳ございません! このような謝罪で済むなどとは思ってはおりません。ですが、どうか、王子の命だけは」
ウルは自分の命はどうなってもいいと心底思っていた。メドウ王子の世話を任されて早2年。これでも成長したほうだが、まだまだ立派な王子にはほど遠い。待ちに待ってやっと出来た子供のため、甘やかされ過ぎた王子は、全てが自分中心に回っていると思っていたし、実際、自国内ではほとんどそうだったので、自分の思い通りにならないことがあると許せないのだ。この気質は簡単に矯正できるものではなかった。それでも、ウルにとって命の恩人であるフィリペンドゥラ王の大事な1人息子である以上、自分の命をかけてでも、彼だけは守り通さねばならなかった。
リエールと牡鹿は相変わらず睨み合いながら間合いをとっている。牡鹿は、ウルのみならずリエールの登場で、勝機はないと野生の勘で察し、逃げるタイミングを見計らっていた。その傍らで頭を伏せ続けるウルにルッカはさらっと言った。
「あなたは悪くない」
ルッカの視線は完全にメドウ王子を捉えていた。手に縄を持ったままずんずん近づいていく。メドウ王子は、首を締められる!とぎょっとして、側にいた兵士の後ろに隠れたが、その兵士に迷惑そうな表情で前に引きずりだされた。
「キミがメドウ王子?」
ルッカの初めて会うような口振りに、メドウ王子は一瞬、恐れよりも怒りが勝った。
「昔、会ってるだろ! 覚えてないのか! 成り金国家のくせに!」
メドウ王子は吐き捨てると、別の兵士の後ろに隠れようとしたが、またしても、前に引きずり出された。ルッカは暫く考えていたが、諦めたように首を振った。
「んー、ごめん、思い出せないや。それより、これ、ボクにくれない?」
ルッカは持ち手が壊れ横に倒れたままの椅子駕籠を指差した。予想外の言葉に、メドウ王子は無言で目をぱちくりさせた。無言を勝手に肯定と捉え、ルッカは椅子駕籠を勝手に起こしにかかった。近くの兵士たちがルッカを手伝う。「ありがとう」と兵士たちを労いながらルッカは縄を椅子駕籠に縛り付けた。そして、手を叩き、周りの注目を集めた。
「みんな出来るだけ下に集まって。リエール、鹿をこっちに逃がして!」
ルッカはニカッと笑うと、鹿と対峙しているリエールに大きく手を振った。ルッカの意図が分からなかったが、リエールは黙ってコクリと頷いた。兵士たちも顔を見合わせながら、いそいそと動き出した。
リエールは呼吸を整え、今まで以上に神経を研ぎ澄ませた。ルッカは鹿を挟んでリエールの対面にいる。リエールの左手斜面下側にはルッカの指示で兵士たちが集まり始めていた。鹿の逃げ道はリエールの右手斜面上側しかない。そちらに逃げるのを防ぎながらルッカの方へ鹿を仕向けなければならない。ウルの助けが必要だ。
「ウル殿。鹿がそちらへ逃げないよう、頼みます」
ウルは地面に跪いたままだった。自分の主のしでかしたことからまだ立ち直れずに呆然としていた。
「ウル殿! 王子の件は幸い命はみな無事でした。ただ、山小屋が燃えて失くなってしまいました。償う方法はこの後で考えましょう。だから今はルッカ王子の言うとおりに!」
ウルは、はっと我に返り剣を構えた。牡鹿は形勢不利を感じとり、じりじりと後ろへ下がっている。
その時、リエールが動いた。牡鹿の右手側に素早く回り込み、黒光りする重厚な角に一太刀浴びせた。角がスパッと斜めに両断され、重量物が地面に落ちる音が辺りに響いた。頭の随分軽くなった牡鹿は、とっさにリエールの居ないほう、斜面下側に跳び跳ねた。が、大勢の兵士がいることに気が付き慌てて方向転換を謀った。方向転換した先には縄をくるくる回すルッカがいた。
鹿はルッカに向かって斜め右に跳び跳ねた。その瞬間、ルッカが縄を放った。見後に鹿にハーネスがかかった。ルッカは椅子駕籠に飛び乗り、リエールにも来るように叫んだ。
口をあんぐりさせるメドウ王子に、鹿の曳く椅子駕籠で通り過ぎざま、ルッカはニッと笑いながらチャクラムを振り上げた。
「ボクの分はこれで許すよ」
「ひいっ!」
メドウ王子はとっさに手で顔を覆った。綺麗な顔にだけは傷をつけさせまいという強い意思。しばらく痛みを待ったものの、どこにも感じず、ゆっくり顔をあげると、鹿に曳かれた椅子駕籠が勢いよく山を登って、遠ざかっていた。リエールも椅子駕籠の天井に載っている。
「そのまま頂上までゴーゴー!」
ルッカの陽気な掛け声が聞こえてきた。手には鞭らしきものも持っている。メドウ王子は妙に下半身がスースーすることに気がついた。周りから兵士たちのクスクス笑いも聞こえてくる。恐る恐る下を見ると、かわいいうさちゃん柄のカボチャパンツが、月明かりに照らされてみなの注目を集めていた。ルッカは鞭代わりに王子のベルトを獲っていったのだ。
「だって、うさちゃんかわいいだろー!!」
顔を真っ赤にしながら叫ぶメドウ王子に、兵士たちは堰を切ったように笑い出した。ウルも涙を流して笑った。こんなに笑ったのは久しぶりだった。ひとしきり笑ったあと、ウルはふてくされる王子に近づき、ベルトの代わりになるような紐を見繕って渡した。ぶすっとしたまま無言で受けとる王子に、ウルはすっかりいつもの真面目な面持ちに戻って言った。
「今まで私たちはあなたを甘やかしすぎました。これは私の罪でもあります。だから一緒に罪を償います。今は、ルッカ王子のドラゴン退治を手伝いましょう。兵士が多くて困ることはないでしょうから」
「はぁっ? じゃあ、僕の結婚は?!」
涙目でぐずる王子にウルは毅然とした態度で答えた。
「メリナ姫の結婚の条件はドラゴンを倒した王子です。ドラゴンを倒した部下をもつ王子ではないのです。はなから自分で倒す気のないあなたには、最初からメリナ姫と結婚する資格はなかったのです。私は王からあなたを一人前にするように託されています。あなたはまだ一人前どころか半人前以下です。でも、私はあなたが一人前になるまで決して見捨てません。我が王が私を見捨てなかったように…」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。