第31話 迂回路1

 迂回路の道なき道を朝から大人数で移動するメドウ王子一行は、思いのほか進んでいなかった。予定では今頃頂上付近で明朝のドラゴン退治に備えて休んでいるはずだった。


 それもこれもメドウ王子がことあるごとに椅子駕籠を停めさせて休憩するからだ。


 昨晩、藁葺き屋根の山小屋で久しぶりに兵士たちもゆっくり休息がとれたとはいえ、麓からの弾丸登山による疲労は完全に回復していなかった。それに加えて正規ルートではない凸凹道を椅子駕籠やベッドを担いで歩かされ、兵士たちはみな、足元のふらつきがおさまらなくなってきていた。


 そのため、休憩すると予定通りに進まないのだが、少しでも休憩時間が増えることは兵士たちにとっていいことだった。


 もし、メドウ王子の伝記が書かれることがあれば、「急いでいるにも関わらず、疲労困憊の兵士たちを憐れみ休憩をとらせた」慈悲深い王子だったと記されるであろう。だが実際、休憩する際に王子から発せられた言葉はあまりにも慈悲とはかけ離れていた。


「ちょっと駕籠揺れすぎ! 停まって停まってー。お尻いったーい。ずっと座ってんのも大変なんだけど。こっちの身にもなってよ」


 その場にいた誰もが、じゃあ自分で歩けよ、と思ったが口には出さず死んだ魚のような目で地面を見つめるにとどめた。王子の側近兼世話係のウルは、休憩の度に兵士たちの間を労いながら回り、なんとか士気を保っていた。


 こんな調子で、ゆっくりと、だが着実に頂上へ進むメドウ王子一行。ウルは一行より少しだけ先行し、行く先に狂暴な野生動物が潜んでいないか確認していたが、頂上に近づいているからなのか、ある時からぱったりと遭遇しなくなったので、それからはメドウ王子の駕籠の横を歩くことにした。ウルのちょうど目の高さに松明に照らされた王子の靴がある。現在進行形で山を登っている人間の靴とは思えないほどピカピカに磨きあげられている。ウルは深い深いため息をついた。


「なんだウル。疲れてるのか? これだから年寄りの側近は嫌なんだよ。メリナ姫と一緒に、あのリエールっていう近衛隊長ももらえないかなぁ。あいつはなかなか見映えがいい。僕の隣に置いても目障りじゃない」


 ピカピカの靴をパタパタと揺らしながら現側近に向かって悪びれもせず言ってのける主に、ウルは流石に一瞬頭に血が上ったが、小指を机の角にぶつけてしまえ、と念じることで怒りをやり過ごした。


「…容姿端麗なだけでなくリエール殿は国1番の剣士らしいですよ。いつか手合わせ願いたいものです」


「同じ国1番の剣士ならやっぱりリエールの方が良いな。ウルとトレードしてもらおう」

「そんな私を物みたいに。まったく王子の冗談は面白いですね」


 はっはっはっと笑いながらもウルのこめかみには青筋が立っていた。むしろロザレス王とこのポンコツ王子をトレードしてもらいたいくらいだ。それにしてもあんなに慈悲深いフィリペンドゥラ国王と妃からどうしてこんなにしょうもない王子が生まれるのか、ウルにとってこれは永遠に解けない謎なのである。


 ウルはこの数日でまた増えた白髪混じりの青髪を頭の後ろへ撫で付けながら、椅子駕籠の前方へ足を進めた。王子と話しているとストレスが貯まるばかり。少しでも離れていたい。


 それからすぐのことだった。真横にあった大きな岩から1頭の立派な角を持つ牡鹿が目の前に飛びだしてきた。


 兵たちはとっさのことに大声をあげ驚いた。牡鹿も予期せぬ大勢と大声に驚き、その場で高く跳び跳ねた。混乱した鹿は何を思ったか、身を低くし、幾重にも枝分かれし黒光りするがっしりとした角をウルたちに向け、突進してきた。20人程の兵士たちは動揺し隊列が乱れ、照明係が松明を取り落とし、辺りが一瞬にして暗闇に包まれた。月は出ていたので完全な闇では無かったが、松明の明かりに慣れすぎたメドウ王子一行には充分な明かりとは言えなかった。


「うわっ」

「ぎゃん」

「足踏まれたー!」


 兵士たちの叫び声がこだまする。牡鹿もパニックになり兵士たちの間を右往左往しているようだ。ウルの耳にメドウ王子の情けない叫び声が聞こえた。


「おい揺らすな、しっかり支えろ! ウルっ! 早くその鹿退治しろっ…て、うわあ」


 何かが激しく倒れる音とともにメドウ王子の怒声が響いた。椅子駕籠ごと王子が倒れたようだった。支えていた兵士が折れた持ち手とともに起き上がった。これではもう椅子駕籠は使えない。岩だらけの地面に叩きつけられて身悶えるメドウ王子を見て、ウルは少し溜飲が下がった自分を恥じた。そして、ようやく夜目がきいてきた。


 ウルは腰に下げた剣を素早く抜くと、パニックで兵士たちの間を駆け回る牡鹿に勢いよく斬りかかった。牡鹿はさらりと身を翻し、角で剣をがっしり受けた。鹿とウルは押しつ押されつの攻防を繰り返す。角と刃の間からぎゃりぎゃりと嫌な音がする。


「くっ…!」


ウルは剣を角から離し、横っ飛びして身をかわした。いきなり支えのなくなった牡鹿は一瞬つんのめったもののすぐに態勢を立て直し、鼻息荒くウルに向き直った。


 今やこの牡鹿は混乱などしていなかった。目の前に立ちはだかる優秀な雄を自分の縄張りから排除せねばという野生の本能にただ突き動かされているのみだ。


 しばしの睨み合いの末、今度は先に牡鹿が動いた。ウル目掛けて鋭くとがった角を突き出す。ウルはこれを剣で受けるが、石くれの多い足元に踏ん張りが効かず、本領を発揮できていない。角と刃がまた嫌な音を奏で始める。


(「この鹿、石食み鹿か…!」)


 石食み鹿とは、文字通り石を食べて生きる鹿である。植物も育たないほどの標高の高い所に生息し、食べるものが無いので代わりに石を食べる。頑強な角を形成する原因であった。どおりで剣で角を斬り落とせないはずだ。この鹿を倒すには体を斬るしかない。ただし、骨も角同様、石のように硬いので骨を避けて体を貫かねば、先に剣が折れてしまう。反対に、石と同じ硬さのこの角が人間の身体を突き破るのはいとも簡単だ。


(「厄介だな」)


 対策を練っている間にも、剣の刃先が欠けていく。刃先が欠けても刺したり打ったりすることは可能だがあまり良い気はしない。ウルと鹿を取り囲んみ、様子を窺っていた兵士の1人が弓を構えた。


「よせ! 俺に当たる!」


 ウルに叫ばれ、鹿を狙っていた兵士はあたふたと弓をおさめた。しかし、弓に気をとられたウルは一瞬牡鹿への集中が途切れてしまった。その隙に牡鹿は重心の位置を変え、組み合うウルのバランスを崩すことに成功した。情けなく尻餅をついたウルに牡鹿が頭を下げ、助走のために2、3歩下がる。下から見上げる牡鹿は正面から見るより数段大きく見え、迫り来る枝状の角がより迫力を増した。


 ウルは長年前線で戦ってきた猛者だ。経験豊富なだけに分かる。体勢を調える暇はなく、無傷ではすまされない。この間ほんの数秒であるが、ウルは左腕を犠牲にすることに決め腹をくくった。左腕で角を受け、その隙に右手の剣で鹿の心臓を一突きする。ドラゴンに遭遇する前に負傷するのは痛手だが背に腹は代えられない。ウルが息を吸い込み、吸い込んだまま呼吸を止め、構えると同時に牡鹿が石だらけの足場を蹴りあげ、音をたてながら勢いよく駆け出した。


「ウルッ!」


 メドウ王子の悲鳴だけが、静まり返った夜の山にこだましていた。

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