第29話 ひめおもう

 ロザレス城でメドウ王子立候補パーティーが盛大に執り行われた次の日の昼下がり、メリナ姫は淡い水色のシックなドレスに身を包み、穏やかな陽のあたる窓辺で午後のティータイムを物憂げに過ごしていた。


 絶妙な加減でバラの風味を感じさせるピンクのイスパハンをひとかじりし、中庭に目を向けると、妹たちが仲睦まじくペットのドーベルマンの世話をしていた。


 16番目の姫『エスメラルダ』、17番目の姫『ピンキー』、18番目の姫『グレイス』…。

 メリナにはもう1人妹がいるが彼女の姿はどこにも見えない。昨日のパーティーにも顔を出さなかった。何故いないのかはおおよそ検討がついている。


(「困った子…」)


 はぁ、と大きなため息をついたところで窓に映る人影に気がつき、メリナは振り向いた。


「もうマリッジブルー?」

「アビゲイル」


 メリナの3つ上の姉アビゲイルだった。ロザレス南西にある地域大国バルベヤに嫁いだが、夫婦喧嘩をしたといって先週から王宮に戻ってきていた。バルベヤ王が寝言で別の女の名前を呟いたのが気に入らなかったらしい。その話を聞いたとき、メリナは一夫多妻のロザレス王の娘が何を言ってるんだか、と可笑しく思ったものだった。


 母親違いの年上の姫はメリナの対面に座り、残っていたイスパハンに躊躇なく手を伸ばす。


「もらったーっ!」

「あーっ!」


 メリナの悲痛な叫び声も空しく、皿の上の最後の1個はアビゲイルの口の中に素早く放り込まれた。彼女の頬はイスパハンでパンパンで、まるで冬支度をするりすのようだ。


「もう、行儀が悪いんだから」


 メリナは笑いを堪えながら一応怒って見せた。アビゲイルは口をモゴモゴさせながら何か喋っている。


「らって…かえ…前…でき…ん!」

「なになに? まぁお茶飲んで」


 メリナは我慢出来ず吹き出しながら、アビゲイルに紅茶をいれた。一瞬にして部屋が紅茶の爽やかな香りで満ちる。アビゲイルは差し出された紅茶を一気に飲み干した。


「だはあっ! 口一杯にスイーツを頬張る幸せ。たまには良いでしょ。彼の前ではこんな食べ方できないんだもん。嫌われたらショックだし」


 彼とはアビゲイルの夫バルベヤ王のことだ。お茶目にウインクをするアビゲイルに、口元にクリームがついていますよ、と手で示しながらメリナはからかうように笑って言った。


「喧嘩してたんじゃなかったの?」


 アビゲイルは口元のクリームを舌でペロリと舐めとると肩をすくめた。オフショルダーのドレスから覗く肩が艶やかだ。


「別に嫌いだから喧嘩した訳じゃないし。彼のことは大好きよ。とっても愛してる」


 恥ずかしげもなく夫への愛を語るアビゲイルにメリナは少々面食らった。

 アビゲイルとバルベヤ王は結婚するまで2回しか会ったことがない。アビゲイルだけではない。ロザレスの姫は結婚する相手とほとんど会うことなく結婚が決まる。姫が結婚の条件を公表する。各国の王や王子が立候補する。条件を1番最初に満たした王か王子と結婚する。ロザレスの姫の結婚のプロセスはこれだけだ。結果、よく知りもしない相手に嫁ぐことになるのが常だった。


 それでも、これまでのところ、どの姫の結婚も成功を収めている。ロザレスの姫と夫婦になれば、夫婦円満はもちろんのこと家内安全、国家安泰も間違いなしとすこぶる評判が良い。

 時折ロザレスに里帰りしてくる姉たち自身も、なんだかんだ言って幸せそうに結婚生活を語るので、メリナは不思議でしょうがなかった。


「バルベヤ王に初めて会ったときから好きだったの?」


 メリナは姉たちが結婚するときにいつも思っていた質問をついにぶつけた。


「うーん、どうかな? 嫌な気持ちは無かったと思うけど。日に日に? 愛が? 募っていく感じ?」


 自分で言っておきながらくすぐったそうに笑ったアビゲイルは、アンニュイな頬杖をつくと茶化すようにメリナの顔を覗きこんだ。


「メドウ王子かっこよかったじゃない。睫毛長くてさ。メリナにメロメロだったし」

「でも好きな顔じゃない」

「ぜいたくー! まぁロザレスきっての美姫の御眼鏡に適うのはなかなか難しいか…」


 美姫といえば、とアビゲイルは突然思い出したように言った。


「残念な方の美姫が見当たらないけどどうしたの?昨日のパーティーにも来ないなんて」


 メリナは今抱えている最大の悩みを思いだし、また深くため息をついた。


「あの子は本当に残念な子なの。考えるより先に動いてしまう。でもリエールがついているからきっと大丈夫」


 昨日のパーティーの際、るるが見当たらないと思っていたら、近衛兵から耳打ちを受け、目を見開くリエールを見かけてメリナはピンと来た。リエールを呼び、話を聞くとるるが警護の目をすり抜けて姿をくらましたという。


 メリナは自分たちに警護がついていることを知っていた。そもそも普通はサンタクロースの存在のように大きくなれば自然と察するものなのだ。


 メリナはるるがイルドラゴ山に向かったと確信していた。話を聞いたリエールは半信半疑だったが、他の場所は部下に任せ、自分は1人イルドラゴ山に向かった。


 ティータイムのこの時間までリエールが城に戻ってこないということは、やはりるるはイルドラゴ山にドラゴン退治に行っていたのだ。そのうちリエールから一報が届くに違いない。


 るるもリエールも無事であって欲しい。メリナは自分の結婚のことよりも2人の安否のほうが気になってしょうがなかった。


 その時、すでに開いているドアを、それでも礼儀正しくノックする音が部屋の中にこだました。


「アビゲイル様、馬車の準備が出来ました」


 侍女がドアの前で恭しく頭を下げた。アビゲイルが軽く返事をして立ち上がる。


「私、バルベヤに帰るね。彼から謝罪の手紙が毎日わんさか届いてて。ほっといたら本人が国をほっぽりだしてやって来そうな勢いだからさ」


 困った人なのよ、とアビゲイルは口ではそういいつつもなんだか嬉しそうに微笑んでいる。メリナも立ち上がり頬に別れのキスをした。


「気を付けてね。もう喧嘩しちゃだめよ」


 アビゲイルは少しはにかんだかと思うと、急に真面目な顔になりメリナをまっすぐ見つめた。


「自分のために自分が決めた難しい条件を、自分と結婚したい殿方が必死でクリアしてくれたら嫌でも好きになるものよ。だから大丈夫。安心して。―あと、るるにも宜しく伝えといてね」


 「それじゃ」と身を翻し、るんるんと部屋を出ていったアビゲイルを見送ると、メリナは窓辺に立ち、そこから見えるイルドラゴ山の頂きを遠く見つめた。


「自分のために…か」


 メリナはロザレス国を、ロザレス国民を誰よりも深く愛している。だから、みんなのためが自分のためだ。だから、結婚の条件はドラゴン退治にした。


 だけど、これは本当に自分のためだったのか?


 メドウ王子がドラゴンを倒したら彼を本当に愛せるのか?


 結婚すると決めてから、ことあるごとに浅葱色の瞳が脳裏にちらつくのは何故なのか?


「るる。私もあなたのように自由に生きられたら」


 メリナは想い人のいるであろうその山を、窓越しにそっとなぞった。

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