第26話 夢

 うさちゃんが1匹、うさちゃんが2匹、うさちゃんが3匹、うさちゃんが…いっぱい。数えきれないほどの真っ白でふわふわで耳の長い可憐な生き物『うさちゃん』に囲まれて、オレは青空の下、名前も分からない野花の咲く土手に仰向けに寝転がっていた。うさちゃんの湿った鼻先が、頬に触れる。


「うふふ、くすぐったい…」


 幸せな感触につい独り言がもれた。うさちゃんがいるということは、ここはハッピーラッキーランドだろうか。でも、どうして?


 そう疑問に思ったところで、あぁ、とオレは思い出す。「旅が終わったらまた来てね」とルッカママにチケット入りのお守りを貰ったじゃないか。ということは、オレとルッカは無事にお互いの不幸せと幸せを半分こに出来たんだな。これで誰もオレの不幸に巻き込まなくて済む。 


 すがすがしい気持ちで胸がいっぱいだ。そんな今の気持ちを表したかのようなサファイア色の綺麗な青空が目に眩しい。耳元で、1匹のうさちゃんが「うーぱー」と小さく啼いた。へぇ、うさちゃんって啼くんだ。


 人生に不要な知識が1つ増えたところで、遠くからオレを呼ぶ声が聞こえてきた。


「シンっ」


 土手の上に金色の光が見える。あれは金髪美女ではない。ルッカだ。2度は騙されない。ルッカは何度も名前を呼び、オレを探しているようだった。どこからともなくコンソメの効いた食欲そそるスープの匂いが漂ってきた。ルッカは飯ができたことを知らせにきたのだろう。右手を高く上げ返事をした。


「今行くー…って、痛ーーーっ!!」


 オレは腕の痛さに飛び起きた。ベッドの脇にルッカとるるとリエールが心配そうに立っている。枕元ではウーパーがしっぽをゆっくり揺らしていた。相変わらず何を考えているのか分からない表情だが、恐らく嬉しそうにこちらを見上げている。


 どうやらオレは夢を見ていたようだ。ここはハッピーラッキーランドではなく藁葺き屋根の山小屋のベッドの上。オレとルッカの旅は終わっていないからオレは不幸体質のまんまだし、なんならドラゴン退治に行く途中で巨大ヒルに血を吸われて気絶したし、右腕の骨折は悪化した。


 オレが気を失い岩影で倒れたあと、ルッカとリエールが交互におぶってこの山小屋まで運んでくれたらしい。魔女の話を聞きながら、薄々感じていた体調不良はヒルのせいだったのだ。


 藁葺き屋根の山小屋は、今は無き木造の山小屋に内装の雰囲気がよく似ていた。これまたよく似た大きなテーブルに1人分強の夕飯が用意されている。るるが暖め直してくれたオニオンスープをすすりながら、オレはみんなに頭を下げた。


「急いでいるのに、申し訳ない」


 日はとっくに暮れていた。満月より少しやせた月が、高い位置から下界を見下ろしている。本当なら、日暮れまでにこの山小屋に着き、一旦休憩して準備を整え、そのまま頂上へ進む予定だった。


 アジンの話では、昨夜この山小屋でメドウ王子たちが1泊しているはずなので、半日分先を進まれていることになる。


 オレたちがレストランを途中で抜け出し、イルドラゴ山に向けて出発した日、メドウ王子は城でパーティーに興じていた。それなのにいつの間にか追い越されているということは、王子たちはここまで休まず登山を続けていたことになる。


(「追いつけるだろうか」)


 オニオンスープを味わって食う心の余裕はなかった。オレのせいで間に合わなかったらどうしよう。


 るるは瞳を潤ませていた。


「シンが無事でなによりよ。血が全然止まらなくて焦ったわ。お願いだからたくさん食べて」


 言われて、首もとの違和感に気がつく。包帯がぐるぐる巻かれ、ヒルに咬まれた部分が乾いた血で固まっていた。オレは情けなさにため息が出た。


「本当にごめん…オレは大丈夫。もう出よう。遅れを取り戻さないと…!」


 スプーンを置き、椅子から立ち上がる。リエールが首を振った。


「それなら少し時間が出来ました。シンが寝ていた間、食料調達を兼ねて周りを探索したのですが、おそらくメドウ王子たちは遠回りをしています」


 リエールは懐から四つ折りにされた1枚の紙を取り出し、テーブルに広げた。それは山の地図だった。オレとウーパーは地図を覗きこんだ。リエールが、一点を指差す。


「ここが今いる山小屋です。そしてこれが頂上への正規の登山道…なのですが、落石で道が塞がれていました。そのため、王子たちはこちらの東側の道を通っていったと思われます。大勢の人間が通った跡もありました。こちらのルートだと余計に時間がかかります。休みなく進んだとしても、頂上に着くのは本日夜中。あのドラゴンは夜行性。夜に攻撃を仕掛ければ夜目の利かない人間には圧倒的に不利です。恐らくメドウ王子は朝までドラゴン退治を待つでしょう。我々も朝までに頂上に着けば間に合います」

「でも今からだと朝までには無理だろ」


 オレはとっさに吐き捨てた。だって、メドウ王子たちが今朝出発して夜中に頂上に着くのだから、オレたちが今から出発しても頂上に着くのは明日の昼過ぎだ。やっぱり追い付けない。


 ヒルになんか咬まれてなければきっと間にあった。なんでオレはいっつもいっつも…。どうしようもなく駄目な自分への怒りがふつふつと沸き上がってくる。


 深く暗い泥沼に気持ちが飲み込まれる。左耳のピアスをちぎり取りたい衝動に駆られたその時、ルッカの明るい声が部屋に響いた。


「シン、大丈夫。間に合うんだよ」


 はっと顔をあげると、ルッカがコクリと頷いた。リエールがルッカの言葉の続きを引き取った。


「はい。間に合います。こちらの正規の登山道を進めば。なぜメドウ王子たちが迂回したのか真相は分かりませんが、おそらく無駄な荷物が多く落石を越えられなかったのでしょう。パーティーの日も「枕が変わると寝られない」と城にベッド一式持ち込んでましたから。あの王子はどこにいくにも荷物の多い男に違いありません。そもそも得物1つでドラゴン退治に行くのが真の男ってもんじゃないでしょうか。まぁ、本当にそうしたら普通に死にますけど」


 実のところ、リエールもメリナ姫とメドウ王子を結婚させたくないらしい。辛辣に毒を吐くリエールをるるがおもしろそうに見ている。ルッカがオレの肩を掴んで椅子に押し戻した。


「そういうわけで、もう少し休んでも間に合うから」


 オレを見下ろすライラックの瞳が「安心しな」と微笑んでいる。不覚にも、涙が出そうになる。


「私、思ったんだけど…」


 るるが口元で両手をポンっと合わせた。


「もし、メドウ王子がドラゴンを退治してメリナと結婚しても、その後で王子をどうにかすれば良いんだわ。ドラゴンも倒せて『一石二鳥』ね」


 さも「名案思いつきました」と言わんばかりでおすまし顔のるるに、リエールがため息をこぼす。


「そういう場合は『一石二鳥』ではなく、『塞翁が馬』とか『雨降って地固まる』ではないでしょうか。るる様はもう少しお勉強も頑張ってください」

「そこじゃないだろ!」


 思わず突っ込んでしまった。ルッカは声を上げて笑っている。


 オレは皿に盛られた肉の塊に手を伸ばした。たくさん食べて、失った血を取り戻さねば。これ以上、後悔の無いように…。そう思いながら、ひたすら肉を食べ続けた。

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