第11話 再び

「もう一体!?」


 キノコ魔人その2は、すでに半分近く溶けている。


 次の展開は想像できた。とっさに横に跳びすさる。瞬間、キノコ魔人の残り半分が一気に溢れだしドドドッと音をたて斜面を駆け降りていく。


 間一髪だった。しかし、着地の際に足を滑らせ、かなり下まで転がり落ちたので、折れていた右腕の完治は遠のいた。

 液体から少しでも離れるため、悪化した右腕を庇いながら、斜面を再び上っていく。今のところ他にキノコ魔人は見当たらない。あるのは2体分の更に大きな水溜まりとなった元キノコ魔人の液体だけだ。水溜まりは静まり返っている。時々振り返りながら、なんとか斜面を上りきり、やっと開けた場所にたどり着いた。


 膝に手をやり呼吸を整えながら、水溜まりを見下ろしてみる。水面には白い月が不気味に映っていた。しかし、さっきまでの生物感はまるで感じられなくなっている。


 (「もしかして、月の光で活動が停止するのか?」)


 そもそもキノコ魔人がどこから来たのか、いったい何物なのか、どんな生態なのか、全く何もわからない。


 だが、ただ1つ分かったことがある。あの液体は浴びても臭いだけで特に害はないようだ。汚れた左手を服にこすりつける。


 となると心配事が蘇ってくる。


(「ルッカは無事だろうか」)


 液体が無害なことは分かったが、溺れ死んではいないだろうか。金色の髪が波に飲み込まれていったあの光景が頭をよぎった。


 あのとき、助けに行ってたら助かったんじゃないか?

 オレが人を助ける? 逆に死なせてたさ。


 頭の中がぐちゃぐちゃする。激しく頭を振り、余計な考えを振り払う。焚き火の場所からは、かなり離れてきたつもりだ。


 オレから離れたらルッカの持ち前のラッキーが発揮されているのではないだろうか?

 いや、そもそもルッカはあの赤い胞子を浴びて倒れていた。液体は無害だが胞子はどうだろう?

 あれを浴びた時点でもう手遅れだったのじゃないか。


 そこまで考えて、真っ赤に染まったルッカの横顔が鮮明に思いだされた。疲れと、何より絶望で膝に力が入らない。自分で自分の体を支えられなくなっていた。


(「またオレのせいで…」)


 だからさっさと死ねば良かったのだ。

 オレは生きていちゃいけない人間だと分かっていながら、他人に迷惑が掛からず、なるべく苦しくなさそうな死に方を選んでいたから、いつも失敗するのだ。どれだけ迷惑を掛けようと人に首を刎ねてもらい、どれだけ苦しもうと腹を十字に切り裂けばオレだって確実に死ねたのだ。


 ルッカと旅に出れば「普通」の人間になれるかもだって?


 そんなこと最初からあるわけない!


「オレの呪いは解けないっ!!」


 大声で叫ぶといろいろと諦めがついた。分かっていたことじゃないか。乾いた笑いが自然と漏れる。体を起こすと、斜面下、水溜まりの変化に目を奪われた。


 白く細長い糸のような物体が水面から無数に這い出し、こちらへ手を伸ばすように迫ってきている。白い糸は、細い1本ずつが絡まりあい、木の根のように、あるいは毛細血管のように分岐を経て、最後は太い1本に集結している。それぞれの動きはとても速かった。太い1本の先端は既にオレの足元まで延びている。


 もう逃げも隠れもする気がしなかった。しばらくすると白い糸の集合体が、残らず斜面を上がってきて足元に大きな円形を作った。もぞもぞと何やらうごめいている。そのうち、赤地に白いドット柄の傘がぽこんと生え、青白い軸がにょきにょき伸び、目の前には第3のキノコ魔人がそそりたっていた。


(「キノコ魔人ってこうやって出来るのか…」)


 オレは妙に感心していた。不思議とキノコ魔人を初めて見たときほどの恐怖心は無い。

 満月がキノコ魔人の影に隠れ、それがかえってキノコ魔人のシルエットを不気味に際立たせている。キノコの傘が反り上がり始めた。あの血の色の胞子がもうすぐばらまかれるはずだ。


 立ち寄ってきた街で迷惑を掛けた人々、ルッカやその家族、そして孤児院にいたみんなの顔が次々と浮かんでくる。


(「みんな…やっと死にます。出来れば、あわよくば、これで許してください」)


 オレはピアスに手を当てた。オレを産み、すぐに亡くなった母親の形見のピアスだ。あの世があるならそこで会うことができるだろうか。でも、会えたら悲しい。オレが逝くのはきっと地獄だ。急に全身が震えてきた。オレはぐっと拳を握り込み、叫んだ。


「かかってこい! キノコ魔人っ!!」


 鮮やかな赤い胞子が、傘の襞から見え隠れしている。いよいよかと固唾を飲んだとき、ヒュウッと風を切る音とともに2枚の円盤のようなものがキノコ魔人の後ろ、両方向から現れた。月の光を反射してキラキラと煌めいている。


 …チャクラムだ!


 チャクラムの剥き出しの刃が素早く回転しながらキノコ魔人の石づきに深い切り込みをいれた。首の皮一枚で繋がっていたキノコ魔人はしばらくバランスをとりゆらゆら揺れていたが、結局自重に耐えきれず大きく傾き、傘をぽろりと落として、派手に地響きをたてながら倒れていった。


「キノコ魔人収穫完了っ!」


 キノコ魔人が居た場所の後ろにはチャクラムの持ち主が立っていた。月を背にしているのでシルエットしか見えないが、声で誰だか分かる。


「ルッカ! 生きてたのか?!」

「あったりまえだよー」


 ルッカの元気そうな声を聞いて、心底ほっとした。自分のせいでまた人が死ななくて良かった。さらにルッカは武器を持っている。ルッカはオレの救世主だ。だから、片膝をついてルッカに懇願した。


「ルッカ、オレを殺してくれ」


 こちらへ近づいてきていたルッカの足がピタッと止まった。逆光でここからルッカの表情は見えない。しかし、ルッカからはオレの表情が分かるはずだ。オレが真剣なことが分かるはずだ。オレは再び懇願した。


「ルッカ頼む。これ以上オレのせいで誰かに不幸になってほしくないんだ。お前はいい奴だから…だから頼むよ…」

「ボクはやらないよ」


 即答だった。しかし、こちらも半端な気持ちで頼んでいるわけではない。キノコ魔人に殺されかけてやっと覚悟が決まったのだ。これを逃したらまた不幸を撒き散らしながら生き続けてしまう。


「何度も死のうとしたんだ! でもなぜか死ねなかった。オレは呪われてるから死を望むと死ねないんだ、きっと。こんな気持ち、死にたくなかったのに死んでしまった人たちに申し訳ないとも思う…。だけどもう消えて無くなりたい…」


 涙が勝手に溢れてきた。オレの心に常にあるのは「死にたい」というよりも「消えて無くなりたい」だ。最初から消えて無くなりたい。生きててごめんなさい。分かってます。ごめんなさい、ごめんなさい…。


 ルッカが近づいてくる。同情してくれるなら一思いにってくれ。もう、嗚咽を抑えることも出来なかった。醜いであろう泣き顔を見られたくなくて俯く。


 頭上から降ってきたルッカの声は驚くほど穏やかだった。


「ボクは死にたいなんて思ったことないからシンの気持ちは分からない。シンがそう思うことをボクに止める権利は無いけど」


 ルッカがゆっくりとしゃがんだ。オレは驚いて固まった。ルッカが突然抱き締めてきたのだ。ルッカはそのままとんとんと背中を叩いてくれた。優しい感触だ。思わず顔が上を向く。満月が綺麗だ。


「とりあえず死ぬのは明日にしなよ。そして明日になったらまた次の日に。また次の日になったらまたまた次の日に…。そうこうしているうちにボクのラッキーとシンのアンラッキーを半分こにする方法が見つかるよ」


 ルッカが体を離しながら「それに」と付け加えた。今は、ルッカの顔がはっきりと見える。


「ボクはスーパーラッキーボーイだからシンを置いて死んだりしないよ」


 オレはうっかり見とれてしまった。

 花の舞う窓辺で見たときの、あの、人好きのするニカッとした笑顔だった。

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