第10話 キノコ魔人

 オレはルッカに問いただした。


「キノコ魔人ってなんだよ!?」

「知らないよ。ボクが今名付けた」

「え」


 こんなときに冗談やめてくれとキノコの名付け親を睨みつける。その瞬間、ルッカが膝から崩れ落ちた。


「おい! どうした?!」


 気を失ったように地面にうつ伏せたルッカに声を掛けるが返事はない。そばに駆け寄ろうと爪先に力を込めたが、すぐに止めた。横たわるルッカの上に赤い胞子がどんどん降り積もっていく。今日1日のルッカの笑顔が次々と心に浮かび、そして赤く塗りつぶされていった。心臓がドクンと大きく脈打った。


「やっぱり…」


 言いかけた言葉を、慌てて口を塞いで押し留める。そのまま2、3歩後ずさり、きびすを返すと、そのままルッカにから逃げるように走り出した。全速力で走りながら、誰だか分からない誰かに向かってとにかく大声で叫んだ。


「あぁー! せいせいしたっ。これでやっと1人に戻れる! あいついい加減うざったいんだよ!」


 逃げながら後ろを振り返るとキノコ魔人がじとっとこちらを見ていた。正確には顔なんかないのでどこが正面なのかも分からないが、オレにはこっちを見ているようにしか思えなかった。キノコ魔人はオレを見据えたまま、ズブズブブという音を溢れさせ、唐突に形を崩し始めた。


(「溶けてる…?」)


 50メートルほど逃げていたが、その光景に驚き、立ち止まった。キノコ魔人がただれたように溶け始めている。傘から雫がぽたぽたと落ち、あたりに水溜まりを作っている。自身が撒き散らした真っ赤な胞子と混ざり、地上はさながら血の海のよう。


(「キノコ魔人は死んだのか?」)


 走ったのと恐怖とで心臓が忙しなく収縮を繰り返している。息を吸っても吸っても酸素が足らず、苦しい。だが、もうキノコ魔人が襲ってこないのなら、一旦戻ろうと足を踏み出した。


 その時だった。


 半分の大きさまで溶けていたキノコ魔人が残り半分を一気に溶かし、真っ赤な血の色の液体が勢いよくこちらに打ち寄せてきた。焚き火の灯りが一瞬で消え去り、キノコ魔人のそばにいたルッカの体が波に飲み込まれ、流されていく。


「ルッカァァァッ!!」


 流れるルッカを見て叫ぶことしかできなかった。そうしているうちに自分にも波が押し寄せてきた。歯を食い縛り、拳を固く握りしめ、沈んでいくルッカの金色の髪から逃げるように目を反らす。オレは背を向けて再び走り出した。


「ハッ…ハァハァ…」


 息も絶え絶えになりながらひたすら走る。月が雲に隠れているので周りがはっきり見えない。何かにつまずいて転んだり、何かに顔を引っ掛かれたり、生傷が次々に増えるが痛がっている余裕は無い。ついさっき踏みしめた大地を液体が上塗りするまでの時間は限りなく0に近づいていた。あの液体に触れたらどうなるのだろうか。さっきから何かが腐ったような臭いがするのはこの追いかけてくる液体と果たして無関係だろうか。逃げるうちに斜面に突き当たり、折れた腕を庇いながら、四つん這いならぬ三つん這いで斜面を上っていった。


(「このペースでは追い付かれる」)


 爪に土が入り込むのも気に留めず、死に物狂いで上を目指した。途中、ちらりと下を見てみた。液体は斜面を上がれずに大きな水溜まりを作っていた。上がろうとはしているが、さらさらと下に流れ落ちてしまっている。この液体は思ったより粘性がないようだ。


「…はははっ!」


 逃げ切れると思った。ほっとして、つい笑い声が出る。このまま上へ行けばあいつは着いてこられない。斜面の上、平坦な場所まであと少し。


 周りの土が雨で流されたのか、地表にむき出しになっている木の根を支えに、斜面を上りきろうと力を振り絞る。その時だった。根を掴んだ左手が生ぬるい液体に触れた。生ぬるくて、さらさらとした液体。 


 頭の中が一瞬真っ白になった。


 突然、地面が明るく照らされた。雲が風に流され、頭上に白い月が顔を出していた。突然現れた満月に思わず膝立ちになる。冷え冷えとした光が地上に降り注がれる。


 濡れた左手を光に掲げてみると、腐ったような臭いとともに真っ赤な液体が滴り落ちた。いつの間にか同じ赤い液体が足元を通過し、斜面下へ流れ落ちている。


 上からズブズブブという音がした。


 今なら月の光ではっきり見える。斜面の上で溶け出している第2のキノコ魔人の姿が!

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