第5話 先に進まない
「…入るわよー。あら、思ったより顔色が良くて安心したわ」
「母さん! お医者さんは?」
「パパが呼びに行ったわ。もう少し待ってね」
部屋に入ってきたのは、セミロングの女性だった。ウェーブ掛かった撫子色の髪も相まって、ふんわりした優しい印象を自然と抱かせる人だ。若く見えるがどうやら金髪君の母親らしい。
「あら、リンゴ。きれいに剥けたわね。でもまだ固形物は早いんじゃない? すりおろしてくるわ」
そう言って皿に手を伸ばした金髪君のママさんにオレは慌てて声をかけた。
「このままで大丈夫です。すみません」
うさちゃんカットのリンゴがすりおろされるのは忍びなかったし、何よりこれ以上オレのために手間をかけさせたくなかった。すぐさま1つ手に取って食べて見せた。爽やかな甘みが口一杯に広がる。美味!
ママさんは、「良かった。他にも食べたいものがあったら言ってね」と目を細めながら言い、手に持っていたものを枕元に置いた。オレが元々着ていた服だ。
「ボタンが取れていたから着けておいたわ。家にあったボタンだから前のとは違うかもだけど。あっ、それと…」
エプロンのポケットに手を押し込み何かを探すママさん。しばらくして目的の物を見つけだすと、オレの前にそれをかざした。
「黒ずんでたから磨いてみたら綺麗になったの。それにしても素敵な模様ね」
それは、失くしたと思っていたピアスだった。あまり見かけない幾何学模様が
オレの右手が折れていることを思い出したママさんがオレの耳に付けようとしてくれる。それをとっさに断り、左手でピアスを受け取ると、口でキャッチを外し、どうにか自分で耳に付け直した。
定位置にあるピアスを撫でながら少し泣きそうになる。諦めたつもりだったが、諦めきれてなかったらしい。それにしても今日のオレはとことんツイている。怖い、怖すぎる。一刻も早くここを出たい。
オレは黙って抜けだすのを諦め、正直に伝えることにした。
「3日も世話になったと聞きました。迷惑をかけて申し訳ないです。本来はお礼の1つでもすべ―」
「あっ、そういえば!!」
金髪君が急に叫んだ。何を思い出したのか知らないが、人の話を遮ってまで言わなければならない大事なことなのだろう。
「まだ自己紹介してなかった! ボクの名前はルッカ。そしてこっちが母さん。キミの名前は?」
まだ自己紹介してなかったの?とママさんが金髪君改めルッカに、あらあらという表情を向け、ルッカもルッカで、えへへと笑った。そして、2人ともオレに向き直って興味津々に返事を待っている。
「…オレの名前はシン。今回は迷惑をかけてすまなかった。さらに申し訳ないが、オレは急ぎ―」
「シンはなんで浜辺に倒れてたの?」
ルッカがまた話の腰を折る。話が進まない。人の話は最後まで聞くようにしつけられなかったのだろうか。ママさんも「それそれ」じゃなくて息子を
「…乗ってた舟が嵐に巻き込まれて難破した。すまないが、オレは今すぐここを出―」
「難破?! 怖かったでしょう!! 舟には誰と乗ってたの? そういえば、親御さんはどちらに??」
オレはさすがに唸った。
「ママさんっ! 人の話を遮るな!! オレは天涯孤独、故郷ももうない! 迷惑かけてすみませんでした。もう大丈夫なので出ていきます!!」
やっと最後まで言えた。大声を出したので少し息が切れたが言いたいことが言えてほっとした。あとは出ていくだけだ。
本来なら面倒を掛けた分、礼をしてから去るのが筋だろうが金は無い。金が無いなら手伝いをするなど体で返す方法もあるだろうが、オレではかえって迷惑になるのが目に見えている。手遅れになる前に着替えてとっとと出ていこう。
その時だった。扉をノックする音と共に、今度は男が2人入ってきた。メガネを掛けた銀髪オールバックの男が白衣を来た小柄なおじいさんをおんぶしている。
「坊主の目が覚めたって?? お医者さん連れてきたぞ!」
「父さん! 遅いよー」
ルッカに言われ、父と呼ばれた男は、「悪い。道に迷っちゃって」と豪快に笑った。その笑顔がルッカに似ている。つられてルッカやママさん、背負われている医者まで、あははと笑い出した。
オレは1人頭を抱えた。全然先に進まないよう!
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