第61話 糸切り


 俺達三人はエーリックの助言通り、隣国であるゼーガス皇国に向かう為、スレイン渓谷を目指していた。



 王都の東に大地を裂くように長く続く、スレイン渓谷。

 その谷の深さはかなりのもので、興味を擽られた幾人もの冒険者が谷底に降りたが、生還した者は僅かだという。



 それ故に東側からの攻防に有利な地であり、ラベリアが王都を置くには最適な場所だったのだ。



 渓谷に橋は架かっておらず、地上を行くならば南北へ遠回りしなければならない。

 よって、必要最低限の警備しか置いていないのが現状だった。



 ラベリアの兵に見つからずに隣国に逃れるには、渓谷を越えるしかない。



 ともかくスレイン渓谷までの足を確保すべく、俺達は道中にある小さな町の前へとやって来ていた。



 そこは町と言うには規模も小さく、ちょっと栄えた村のような感じだった。

 それでも馬車ぐらいは調達出来そうだ。



 ただ問題なのは、既にこの町にも俺達の情報が伝わっているらしく、町の規模の割には警備兵の数が多いように思える。



「もう、ここまで手が及んでるのか……。これじゃ馬車どころじゃないな……」



 俺達は草葉の陰から町の入口の様子を探っていた。



 この状況では、運良く馬車を得たとしても、すぐに足が付いてしまう。



「ここは徒歩で向かった方が良さそうだ……」

「私もそう思います」

「うんうん」



 アリシアとエリスが同意してくる。



 彼女達は飛べば容易に渓谷へ辿り着けるだろう。

 更に言うならば、そのまま渓谷すら越えることが出来る。



 さすがに彼女の力では俺を抱きかかえて飛ぶことは出来ないだろうし、寧ろこの状況では俺が足を引っ張っている形になっていた。



「すまない、俺一人の為に」



 するとアリシアは言われるまで思ってもみなかったのか、驚いた顔を見せた。



「何を言ってるんですか。私はルーク様と共にあると、前に言ったじゃないですか」

「ああ、そうだったな」



 今はそんな事に気を遣っている場合じゃない。

 すぐにこの場所を立たなくては――。



 そう思って、行動を起こそうとしたその時だ。



「誰だ!? そこにいるのは!」

「……!」



 背後から声が上がった。

 それはすぐに警備兵の一人だと分かった。



 ――マズい……!



 互いに顔を合わせた瞬間、咄嗟に糸を放糸キャストし、兵士の影を縫い付ける。



「……っお!?」



 身動きが取れなくなった所で、仲間を呼べないように唇を縫う。



「むぐっ!? ん……んんん……んんっ!」



 兵士はその場で藻掻くだけの存在になっていた。



 しかし、反射的にやってしまったが……彼をこのままにしておくわけにもいかない。

 かといって、糸を抜けばすぐに仲間を呼ばれてしまうだろう。



 ――糸が伸ばせる最長距離まで離れて、そこで解放するか……?

 解いてから余り猶予は無いが、それしか方法が思い付かない。



 ――仕方が無い。その方法で行くか……。



 糸を伸ばす為に距離を取ろうとした、その時――、

 別の兵士達の声が近付いてくるのが分かった。



「おい、今あそこで何か物音がしなかったか?」

「もしかして、例の〝災い者〟か?」



 ――まだ、いたのか!?



 兵士に声に体が反射的に退ける。

 その反動で思わぬ事が起きた。



 プチッという感触が俺の手に伝わってくる。



 見れば、兵士を縫い付けていた糸が切れていたのだ。



 ――なっ!?



 しかし、そんな状態であっても兵士の影縫い効果と、唇の縫い付けは維持されたままだった。



 こんな簡単に糸が切れるなんて初めてのことだ。

 しかも縫い付けを維持しているなんて……。



 だが、驚いている暇は無い。

 俺はアリシアとエリスと共に、林の奥へと退避した。



 そこへ潜んで、やって来る兵士達の様子を窺う。



 彼らは縫い付けられた兵士の姿を発見すると、すぐに異変に気がついたようだった。



「おいっ!? そこで何をしてる?」

「んんっ! んんんっ!」



 縫われた彼は必死に訴えようとするが声に出せない。



「どうした? 喋れないのか?」



 もう一人の兵士は変わったことが無いか周囲を探っている。



「んんっ! んーっ!」

「何が言いたいのか分からねえよ。とにかく、こいつを詰め所に連れて行こう。おい、手伝ってくれ!」



 そう言うと、辺りを探っていた方の兵士が、縫われた彼のもとへと戻って行く。



「おい、なんだかこいつ岩のように重くて動かないぞ……」

「くうっ……なんだこりゃ、まるで地面に足が張り付いているようだ」



 彼らは両側から縫われた兵士の肩を担ごうとするが、一向に進むことが出来ない。



 俺はその様子を窺いながら考えた。



 ――糸を切っても能力が持続している。

 これはもしかして……そういうスキルなんじゃないか?



 ステータスの中でまだ把握出来ていないものがある事を思い出す。

 それは影縫いのレベルが3になったことによる恩恵だ。



 前にレベルが上がった時、何が変わったのか分からなかったが、もしかしたら、これがレベルアップによる追加能力なのかもしれない。



 特に名称は付いていないようだが、強いて言うなら〝糸切り〟とでも言っておこうか。



 もしこの状態を意図的にコントロール出来るなら、かなり使い勝手の良い能力だ。

 糸の有効範囲から出ても能力を持続出来るのだから。



 ただ、糸も魔力で出来ている。

 供給元を失った状態でどれだけの時間を維持出来るのかは不明だ。



 それはともかく、このまま目の前に兵士達に居られては、俺達もここから身動きが取れない。

 せめて足下の影縫いだけでも解除しなくては……。



 普段なら意識するだけで糸を引き抜くことが出来るが……。

 糸が切れた状態でも、それは可能なのか……?



 俺は試しに物陰から影縫いだけを解除するように意識を向けてみた。

 途端――影に刺さっていた糸だけが霧散した。



「うおっ!? 急に軽くなったぞ……?」

「何だったんだ、今のは?」



 兵士達は急な変化に困惑していた。



「んんっ……!」



「まだ喋りはそのままのようだな……。だが、これで身動きが取れる。連れて行くぞ」

「おう」



 そんなやり取りをした後、彼らは喋れない兵士を担いで町の方へと消えて行った。



「ふぅ……なんとか、やり過ごせたな」

「今のすごいね。どうやったの?」



 安堵の息を吐いた俺にエリスが聞いてくる。



「俺も今、初めて使ったから詳しくは説明出来ないが、糸を切って使えるらしい」

「おー……」



 彼女は酷く感心したようだった。

 そういえばエリスには俺の糸が見えていないんだったな……。



 実験的にその場で短く糸を出しみる。

 切りたい長さで意志を伝えると、見事にその長さで切ることが出来た。



 ――やはり、意図的に可能だ。

 あの時は反射的に「離れなければ!」と思ったから、それが無意識に伝わってしまったんだろう……。

 上手くコントロール出来るようにならないといけないな。



「それはともかく、急いでこの場から離れよう」

「うん」

「はい」



 俺達は物陰から立ち上がり、素早い足取りでその場を後にした。


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