第32話 黒怒竜
――
エーリックが絶望の顔つきでそう囁いた。
俺も名前だけは知っている。
異界の底に棲んでいると言われる魔のドラゴンだ。
俺が読んだ文献の中には、
その口から放たれる炎は、この世のありとあらゆるものを一瞬で蒸発させ、世界を三日で焼き尽くすとも。
実際、内部で滾る紅い炎は、怒りの竜の名の通り、憤怒を露わにしているようにも見える。
まさに本に書かれている事に等しい姿を成していたのだ。
とはいえ――
姿が伝説を準えているからといって、本当に
ただ、これだけは言える。
あれがヤバい相手であることは確かだ。
そもそも
ドラゴンを相手にまともに戦えるのは、Sランク……いや、
それはここにいる冒険者達も当然理解している。
皆、ドラゴンの顔を見た途端、血の気が失せたような顔をして及び腰になっていた。
しかも、それだけじゃない。
ニヴルゲイトと呼ばれる歪みの門の隙間から、先ほど倒したもの同種である黒鱗の
奴らは、ここから生み出されていたのか……?
これでは切りが無いじゃないか……。
「おい……こいつはマジでヤバいんじゃないか……?」
「んなこと分かってるさ……」
殆ど冒険者が同じ考えで、静かに後退りし始めている。
「ルーク様……」
不安に気圧されたアリシアが俺に声を掛けてくる。
「ああ、分かってる……」
さすがに今の俺達ではドラゴンを相手することなど出来ない。
例え、覚醒した裁縫スキルがあっても、通用するしない以前に、奴に糸を届かせること自体が至難の業だ。
恐らく、その前に焼き殺されてしまうのがオチだろう。
逃げることは確定している。
問題はどうやって逃げるかだ。
ドラゴンはその巨体故、
遠方にそびえ立つ山に風穴を空けたという噂があるくらいだ。
逃げ惑う冒険者を焼き払うのも容易いだろう。
だが幸いにも
門をこじ開けようとしている最中だったのだ。
今なら、まだ間に合う。
急いで馬車に戻り、この町を離れるのだ。
「エーリック!」
俺は近くにいた彼に向かって叫んだ。
指揮する者がいなくては、行動がまとまらない。
彼はすぐに俺の意図を汲んでくれたようだった。
「皆、馬車へ走れ! そのまま町から離れるんだ!」
エーリックが叫んだ途端、冒険者達は慌てたように走り出す。
俺達も遅れてはならないと、動き始めた刹那だった。
熱風が俺の前髪を横切った。
「っ……!?」
直後、目映い閃光が辺りを包む。
「ぐっ……!」
「きゃっ……!」
眼前が真っ白になり、視界が遮られる。
ただ、よろめいたアリシアの感触だけは体に感じたので、それを受け止める。
しばらくして、ようやく視界が元通りになった時、変わり果てた周囲の光景に絶句した。
地面が溶けたように抉られ、それが一直線に町の外まで続いていたのだ。
所々が赤く燻っていて、それが
ニヴルゲイトから頭を出した状態からそいつを放ったのだ。
当然、その先にいたはずの冒険者達の一団は、形すら残らず消し飛んでいた。
炎というよりは高熱の塊に近いものだ。
あんなものを食らっては一溜まりも無い。
俺達が驚愕している最中、
「う、うわぁぁぁー……っ!!」
逃げ惑う冒険者達。
そこへ、降下中の
地面に二本目の筋が出来上がり、それだけで冒険者の半数が失われた。
果敢に立ち向かおうとするAランク冒険者と王国兵士もいたが、彼らも敢えなく蒸発して消えた。
このままでは本当に全滅だ……。
俺は夜空を一瞬だけ見遣った。
満月の夜だ。
夜であっても影の色が濃い。
影縫いなら例えあの巨体であっても、制止させることが出来るかもしれない。
さすがに完全に捕縛するまでは出来ないと思うが、時間稼ぎにはなるはずだ。
迷っている暇は無かった。
俺は逃げる者達と逆方向に走り出す。
「ルーク様っ!?」
アリシアの声が背後に聞こえたが足を止める訳にはいかない。
制止しようとするエーリックの声も聞こえてくる。
しかし、ここまで来たらもう後戻りは出来ない。
地響きを轟かせ、俺の眼前に見上げるほどの巨体が舞い降りた。
その体長は
さすがに足が竦む。
金眼が俺を捉えたのが分かった。
喉元にファイアブレスの予兆とも取れる光を見つける。
先に動作を起こされたらお終いだ。
俺は、すかざす糸を放った。
左手の糸が全て、
斉射された矢のように糸が地面に突き刺さった。
「グゴォ……」
それで
ファイアブレスが止まったのだ。
もしかして……行けるのか!?
俺は右手の糸を
やれるなら……解析してやる!
糸の先が岩のような皮膚に浸透して行く。
さあ、ドラゴンとやらの中身を見せてみろ!
これまでのように対象の構造を探ろうとした時だった。
「ぬ……ぐぁっ!?」
糸の先に異変が起こった。
構造が解析出来ない!?
それどころか、何か得体の知れない不穏なものが糸を伝って俺の体に流入しようとしている。
こ、これは……。
「……呪詛防壁か!?」
それに触れた者の体を汚染する呪詛が編み込まれていたのだ。
このままでは体が呪いに汚染される!
俺は慌てて糸を引き抜いた。
それで呪いは免れたが、運悪く月に雲がかかり、影縫いの効果が薄れる。
「!?」
再び
まずい……!
死を覚悟した直後だった。
真横から強い力で俺の体が掬い上げられる。
気付いた時には空高く舞い上がっていた。
「ご無事ですか?」
「アリシア……!」
彼女が俺の体を抱きかかえ飛んでくれたのだ。
しかし、それで安心は出来なかった。
「少し揺れます!」
彼女はそう断りを入れると、高速で町を離れながら左右に激しく飛び回る。
両翼になったことで得た最高の機動力だ。
熱線がアリシアの翼をかすめて行く。
しかし、後続の熱風に煽られたのか、彼女はバランスを崩した。
「きゃっ!?」
「ぐっ……!」
天と地が判別出来ないほど回転する。
まるで錐揉み状態だ。
そのまま俺達は近くの森の中へと墜落して行くのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます