第25話 夢魘


 翼竜ワイバーン討伐に向けての説明を聞き終えた俺達は、明日に向けての英気を養う為、食堂に向かった。



 この町に来て、初めてアリシアと入ったあの店だ。

 だが、あの時と違い、今度は金に余裕があったので少しだけ贅沢な物を食った。



 相変わらず味は最高だった。

 アリシアはデザートというものを初めて食べて酷く感激していた。



 久しく感じていなかった誰かとテーブルを囲む穏やかな夕食。

 二人して鱈腹食べた後は、特に寄り道もせず例の安宿に戻って来ていた。



「明日は早いからな。もう休んだ方がいい」



 明日は早朝から町の入口に集合し、一斉にカダスへ向けて出発の予定だ。

 寝過ごすわけにはいかない。



「はい、そうします。ルーク様はお休みになられないのですか?」



 装備を外し、軽装になったアリシアが尋ねてくる。



「荷物を整理したら、俺もすぐに寝る」

「そうですか……」



 どういう訳か、彼女はベッドの横で何か言いたそうにモジモジとしていた。

 心なしか仄かに頬が紅潮しているようにも見える。



「どうした? 何か話しておきたいことでも?」

「い……いえ、なんでもないです。では、お先に休ませて頂きます」

「ああ」

「……おやすみなさい」



 彼女は名残惜しそうに言うと、俺が寝るスペースを空けるようにベッドの端へ横になった。



 それを見届けた俺はリュックの中の荷物を詰め直す。

 今回のクエストに必要そうな道具は、予め取り出し易い位置に変えておく。



 そういった細かい準備が、冒険では運命を分ける大きな違いに繋がってくると知っているからだ。



 素早く判断して、テキパキと作業を進める。

 そして、最後の荷物を詰め込もうとした時だった。



 持ち上げた物の中から黒いものがポロリと床に落ちたのだ。



「お……」



 思わず、動作が止まる。



 それは裁縫スキル覚醒の要因となった――黒ウサギの人形だった。



「そういえば……」



 忘れていたわけではないが、これまで何の変化も無かったので特に気にせずにいた。

 だが、この人形がしゃべっていた時のことを思い出すと、何だか気味が悪い気もしてくる。



 ともかく、こいつは大事に持っておかなければならないものだ。

 だが、どこに入れておくか悩む。



「うーん……ここでいいか……」



 俺は黒ウサギを拾い上げると、腰ベルトにぶら下がっている革ポーチに入れ直した。



 これで全ての準備は整った。

 後は寝るだけだ。



 そう思ってベッドの方へ意識を向けた際、横になっているアリシアに異変を感じた。



「うううっ……うう……」



 苦しそうな声が漏れ聞こえてくる。



「どうした!? 大丈夫か?」



 俺はすぐさま彼女の側に寄り、様子を確かめる。

 すると突然、彼女は俺に抱きついてきた。



「お、おいっ!?」

「ううっ……」



 かなりの強さで体を締め付けられる。

 そして俺の胸板に彼女の嗚咽が響いた。



 ……泣いている?

 いや……うなされているようだ。

 悪い夢でも見たのか?



 一瞬、異種の翼を移植したことによる拒絶反応かと思いヒヤッとしたが、そうではないようだ。



 とはいえ、怯え苦しんでいる事に変わりはない。



 俺は強く掴んでくる彼女の体を包み込むように抱き止めた。

 彼女はゆっくりと俺の胸から顔を上げる。



「ご……ごめんなさい……こんな……ひっく……」

「いいんだ。気にするな」



 まるで子供のようにしゃくり上げている。

 しばらくそのままの状態でいると、ようやく落ち着きを取り戻したようで、彼女は恥ずかしそうにしながら身を離した。



「すみません……。こういう事……たまにあるんです。昔を思い出してしまうというか……辛かったあの頃の事が、思い出したくもないのに勝手に出てきて……」



 そう語る彼女の手は、まだ僅かに震えていた。



「おかしいですよね……? 今はルーク様のもとで、こんなにも幸せでいるというのに……未だに過去を引きずっているなんて……」



 アリシアは自嘲するように笑った。



 彼女の過去に何があったのかは分からない。

 だが、そのうなされ具合からして、普通ではない人生を送ってきたことは想像出来る。



 奴隷として酷い扱いを受けたのか……?

 それとも、翼人達の間で壮絶な何かがあったのか……?

 またはそれ以外の何か……?



 何にせよ、これから先、夜を迎える度にそんな苦しい思いをさせるわけにはいかない。



 俺はふと、子供の頃に母が言い聞かせてくれていた言葉を思い出した。



「いいか、良く聞け」

「はい……?」



 アリシアはきょとんと俺の目を見つめた。



「これだけは確実に言える。〝生まれも過去も、決してお前を支配などしていない〟」



「……」



 するとアリシアは再び、俺に抱きついてきた。



 少しだけ驚いたが、何も言わず抱き止める。



 しばらくすると、彼女はそのまま泣き疲れたように俺の胸で寝てしまった。

 俺も俺で、穏やかな温もりが体に浸透し、眠気を誘う。



 まあいいか……。



 俺は諦めたように深い眠りに就いた。


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