第11話 診察
「……どうなされたのですか?」
突然、独り言のような台詞を吐いた俺のことを、アリシアは不思議そうに見ていた。
そうなるのも分かる。
人が呼吸困難で苦しんでいる横で何かを得心し、小さな笑みすら浮かべているのだから不思議に思うのも当たり前だ。
進化した俺の裁縫スキル。
これまで、それによって岩や剣の構造を知ることが出来ていた。
なら、人体の構造も同様に理解出来るのでは? と考えたのだ。
本当にそんな事が出来たら……。
そう思ったら、期待感からワクワクしてきてしまい、それが顔に出てしまったのだ。
「アリシアの病の原因……それが分かる可能性がある」
「えっ……」
それは当然といえば当然の反応だった。
本人ですら、これまでずっと何の病なのか分からないでいたのに、ここに来て急にそんな事を言われたのだから。
「あくまで可能性の話だから、期待はしないでくれ」
「……」
「試してみる気はあるか?」
そう言われても何をされるか分からない。
普通なら警戒するだろう。
だが彼女は、それについて尋ねることすらしなかった。
「ルーク様がそう仰って下さっているのに、私に断る理由はありません。ですが……宜しいのですか? 私のような者にそこまでして頂いて……」
「俺にとってはアリシアが良くなることが利益に繋がる。ただそれだけだ」
「分かりました。お願いします」
相変わらず愛想の無い言い方になってしまった。
しかしアリシアは、それに対して顔色一つ変えずに答える。
どうやら彼女には自分の為に何かをするという思考が欠如しているようだ。
「じゃあ、しばらくそのままじっとしていてくれ」
「は、はい……」
俺は毛皮の上に座っている彼女に向かって両手をかざす。
魔力を指先に集中させると、すぐにそこから蜘蛛の糸のような細い繊維が無数に伸び始める。
すると、アリシアが思ってもみなかった反応を示した。
「これは……?」
彼女は自分の目の前で触手のように蠢く糸に視線を向けながら、そう言ったのだ。
「もしかして……見えてるのか?」
「え、ええ……」
アリシアは俺の反応を見て、言ってはいけなかったのだろうか? というような不安の表情を見せる。
それには俺も驚いていた。
影縫いのスキルによって、俺の糸は他者から見えないはずだと思っていたからだ。
スキルが発動していないのか? それとも彼女だけが特殊なのか?
周囲の状況が関係している可能性だって考えられる。
現時点で理由は分からないが、とにかくその事は今後の為に頭に入れておいた方がいいだろう。
「見えているなら説明し易い。今からこの魔法の糸でお前の体の中を探る」
「はい……」
言われても糸が体の中を探るなんて話、意味が分からないはずだ。
でも彼女は頷くことしかしなかった。
俺はそのまま糸を進める。
彼女はさっきまで呼吸困難に陥っていた。
ということは胸の辺りから喉にかけての範囲に何か原因があるかもしれない。
糸を操り、彼女の胸元……丁度、隷従刻印の上辺りにその先端を差し込む。
いくつかの糸が肌を擦り抜け、体の中へ中へと入って行く。
やられている方は痛みも何も感じないはずだ。
アリシアはその様子を不思議そうに見守っていた。
俺の方はというと、彼女の体に糸が入り込んだ瞬間、様々な情報が頭の中に流入してきていた。
「これは……」
糸の先端が探り当てたのは彼女の肺だった。
それよりも驚いたのは、それが肺という臓器であることを知っている自分にびっくりした。
この世界に、肺というものは血液に酸素を取り込む為の臓器であることを知っている人間はいない。
魔法や魔術はあれど、そこまでの医学は発達していないのだ。
王室付きの医者だって知らないはず。
あれは症状に合わせて薬を調合する薬師に過ぎないのだから。
なのにも拘わらず、それが分かるというのはどういう事だ?
考えられるのは、あの黒ウサギ――
今、俺の中にあるこの知識は……あの魔導書の中のものなのか??
それは彼女の体に糸が触れた途端、俺の中に眠っていた知識が目を覚ましたかのような感覚だった。
でも、これなら……分かるぞ……。
石や剣の構造解析をした時も知らない知識が溢れ出てきた。
あの時の同じように人体の構造が手に取るように理解出来る。
俺は思うがままに糸を動かした。
彼女の肺――その裏側に何かある。
糸を背中側にまで伸ばし、その周辺を探る。
両肺の上部、そのすぐ真裏。
丁度、肩甲骨の辺りだ。
そこから普通の人間にはない骨格が見られる。
これは……翼か。
翼の骨と筋肉が肺の真後ろの辺りから伸びているのが分かる。
しかし、彼女は片翼だ。
その形がちゃんとあるのは左翼だけ。
右側は根元の骨と筋肉、そして神経は存在するもののそこから先は無い。
しかし、残された筋組織を見る限り、外力によって切断されたとか、そういったものではなさそうだ。
そこから分かる事は、生まれながらに片翼だったということ。
そして、この残存する筋組織と骨が問題だった。
筋組織が肺の一部と癒着し、翼の根元の骨を取り込んで肺の上部を圧迫しているのだ。
それは喉の方へも影響を及ぼしていて、気道狭窄を起こしていた。
だから激しい動作や体の向きなどで呼吸困難を起こすのだろう。
これを治すには、癒着している筋組織を切り離し、圧迫している骨の一部を切除すればいい。
今の俺にはそれが出来る力がある。
そう、構造改変糸のスキルだ。
その具体的な方法は、俺の中で目覚めた知識で賄うことが出来る。
そこに迷いは無かった。
全ての糸を問題の箇所に集約させると、的確な糸捌きで細胞を改変してゆく。
瞬く間に肺は正常な位置に戻り、右翼の組織も他を阻害しないように残される。
その間、時間にしたら数分だっただろう。
構造改変が問題無く終えたことを確認すると、俺は魔力の糸を引っ込めた。
「これでお前の病は治ったはずだ」
「えっ……治った……? え……??」
アリシアはぼんやりとしていた。
病の原因を探ると言われたのに、それを勝手に通り越して、「治った」と言われたのだから、目が点になるのも当然だろう。
信じられないながらも、彼女はゆっくりと息を吸い込み、深呼吸をしてみせた。
「……!?」
それだけで以前とは何かが違うと悟ったのだろう。
彼女の目が見開かれた。
「本当に……私……」
「原因が分かったから、ついでに治しておいた。もうこれで苦しい思いをしなくなるだろう」
「……」
呆然とする彼女。
だが、じんわりと現実が見え始める。
そんな彼女の瞳には薄らと涙が浮かんでいた。
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