第9話 片翼の少女


 翼人の少女を買うことを決めた俺は、その場でケルグに隷従刻印を刻んでもらった。



 契約の儀式そのものは簡単なもので、主と奴隷の血を数滴だけ採取して混ぜ合わせ魔術契約の素材とし、魔術式を加えた上でその血を彼女の胸元に一滴垂らす。

 すると肌の上に隷従刻印が浮かび上がり、奴隷契約は完了となる。



 それで命令に逆らうことの出来ない主従関係が出来上がった。



 と、そこまではよかったのだが……。



 俺達は奴隷商の店を出てすぐの路地にぼんやりと立っていた。

 彼女は何をするわけでもなく、俺の行動を待つように少し後ろで佇んでいるだけだ。



 とりあえず、隷従契約の際に彼女の名前だけは知ることが出来ていた。

 アリシア――それが翼人の少女の名前だった。



 そんなアリシアを連れ、俺は何から手を付けたらいいものかと悩む。



 そもそも奴隷を買うのは初めてのことだったので、彼女とどう接していいのか分からない。

 しかも翼人とはいえ、おおよその見た目は人間の少女と変わらないので尚更扱いに困る。



 翼人は長命だと聞くが、外見では俺と十歳くらい離れているようにも見えるしな……。



 気がかりなのはそれだけじゃない。



 彼女の痩せ細った体が目に入ってくる。

 薄暗い中から一転、陽ノ下に晒されたことで骨の浮き出た腕と、青白い肌がはっきりと見て取れたのだ。



 檻の中では、まともに食事を与えられていなかったのだろう。

 見るからに栄養状態が良くないようだ。



 体もフラついていて、目も虚ろ。

 立っているのがやっとという感じだ。



 購入したばかりでいきなり倒れられては困る。

 それにこれからは冒険者として働いてもらわなくてはならないのだ。このままではとても戦力にはならない。



 とにかく、まずは体力を付けることからだな。



「よし、飯を食うぞ」

「え……」



 その発言が意外だったのか、彼女はきょとんとしていた。



          ◇



 そんなわけで、俺達は大通り沿いにある食堂に来ていた。



 まだこの町の地理を良く分かっていないので、とにかく目に付いた店に入ったのだが、中は食事時ではないのにも拘わらず結構な人数の客で賑わっていて、かなりの繁盛店のようだった。



 この様子なら味にも期待出来るだろう。



 俺は店の入り口で怯えたようにしていた彼女を中へと促す。



 そして席に着くなり、精の付きそうなものを適当に注文した。

 ウボルカス魚の肝焼き、カンガジャ牛のステーキ、メフリ貝の蒸し焼きなどがテーブルの上に所狭しと並ぶ。



 持ち金のほとんどは奴隷購入に消えてしまったので、先日手に入れた麦粒程度の磁鉄鉱を道具屋に売った金と、残りの小銭を掻き集めてなんとかこれだけのものを頼んだ。

 お陰で俺の財布もすっからかんだ。



 これからの生活費は疎か、今晩の宿代すら無い。

 だがこれは初期投資だ。

 明日からはクエストを受けて、彼女にもしっかり稼いで貰う。



 それに俺もこの町に来てまだ何も食っていない。

 丁度、腹が減っていたところだ。

 しばらくは、まともなものが食えなさそうだから今のうちに鱈腹食っておこう。



 俺は早速、肉汁の滴るステーキを無造作にフォークに突き刺して齧り付く。



 んまいっ!



 口に入れた瞬間に分かる美味しさ。

 やはり、この店は当たりだった。



 ステーキ以外の料理も安定の旨さだ。

 思わず夢中になって食べていると、向かいの席に座っている彼女が未だ料理に手を付けていないことに気付く。



「なんだ、食べないのか? 遠慮しなくていいんだぞ」

「えっ……」



 アリシアは自分に言われたのだとは理解出来ていない様子だった。



「……私に?」

「他に誰に言うっていうんだ?」

「……」



 明らかに戸惑いが窺えた。



「どうして……私に食べさせてくれるんですか?」

「どうしてって……生きて行くには食べなければいけない。当たり前のことだ」

「当たり前……」



「それに、お前には明日から冒険者として働いてもらわなければならない」

「冒険者……」

「とても体力のいる仕事だ。だからしっかり食え」

「……はい」



 まるで命令したから仕方なくといった具合でフォークとナイフを持つ。



 なんだか調子が狂うな……。



 しかし彼女、どうやら食べ方が分からないらしく俺の手元を真似しながら、ぎこちない動作でステーキを切ってゆく。



 時間をかけてようやく一口大に切り分けることが出来た彼女は、一つの欠片を口へと運ぶ。すると、



「ごほっ、ごほっ……」



 上手く飲み込めなかったのか、咳き込んでしまった。



「大丈夫か? ほら、水を飲め」

「けほっ……す、すみません……」



 俺から木のコップを受け取ると、苦しそうにしながらも少しずつ水を飲む。



 そんな彼女の姿を見ながら思う。



 長い間、食べ物らしい食べ物を口にしてこなかったんだろうな……。

 そこへ、いきなり大きな固形物を飲み込もうとしても体がびっくりして上手く通っていかないのだろう。



 それに奴隷商のケルグが言うには彼女は病気持ちらしいし、さすがに脂ギトギトのステーキは体に障るかもしれない。



「魚の方がまだ食べ易いかもしれない。貸してみろ」

「……?」



 俺は彼女の前にあるウボルカス魚の皿を取り上げると自分の前に持ってきて、その身を小さく解し始める。



「あの……何を?」



 アリシアは不思議なものを見るような目で俺のことを見ていた。



「何をって、見れば分かるだろ? お前が喉に詰まらせないように細かくしてるんだ……て、こいつ小骨が多くて解し難いな……。それに上にかかってる肝ソースのせいで良く見えん……」

「……」



 魚の小骨と格闘すること数分、皿の上に柔らかい身だけがフレーク状になって盛られていた。



「ふぅ……やっと出来た。さあ、これなら食べられるだろ?」



 その皿を差し出すと、彼女は驚いたような表情で固まっていた。



「ど……どうして……そこまでしてくれるのですか?」

「ん?」



 どうしてが多い奴だな。

 でもここはハッキリと言っておいた方がいいだろう。



「それは俺がお前を必要としているからだ」

「私が……必要……?」



 思いも寄らない言葉だったのか、彼女は銀色の目を丸くする。



「必要無いのに奴隷を買う奴はいないだろ」

「そうですね……」



「分かったのなら、ちゃんと食え」

「はい……」



 アリシアは返事をすると、解してやった魚の身を口へ持って行った。

 今度は噎せずに食べられたようだ。



 しっかりと飲み込めたのを確認する。

 途端、彼女の瞳が震えた気がした。



「美味しい……」



 それは意図せず自然と口から溢れたような物言いだった。



「それは良かった」

「……!」



 アリシアは無意識に口を突いて出た言葉に自分で驚いていた。

 そして改まったように一度落ち着くと、消え入りそうな小さな声で告げてくる。



「あの……ありがとうございます。ご主人様……」



 恐らくそれは魚を解してやったことに対する礼だろう。



「礼を言われるようなことじゃない」



 そう口にして思う。

 これまでもそうだが、どうして俺はこう突き放したような言い方しか出来ないのか……。



 それも――まだ人を信じられない自分が、どこかにいるのかもしれない。



 にしても、ご主人様という単語には違和感しか覚えないな……。



「その呼ばれ方はあまり慣れないから、次からはルークと呼んでくれ」

「はい、ルーク様」



「……」



 様はいらないんだが……とは思ったが言えなかった。



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