第3話
エステルのラブレターを目の当たりにした日。
エスメラルダは沈黙したまま機嫌が最底辺から浮上することはなく、ニーナは一日中居心地の悪い思いをさせられた。
最高位の婚約者の居る彼女が悔しがるのは的外れに感じはしたものの、ニーナが迷惑を被ったのは間違いない。
何とか逃げ出した彼女は自室に引きこもるなり怒りに任せてダンっとテーブルを叩いた。
エスメラルダを含む全員の胸中には『自分は選ばれなかった』という劣等感が楔のように打ち込まれていた。
それもこれもあんな庶民に熱を上げる頭のおかしい輩が居るからだ、と手入れされた指を食む。
そう、誰も……婚約者の有無を省いても、あの中の誰一人としてラブレターをもらっていないのだ。
「あんな子の何がいいの!」
エステルを支持する理由がまったくもって不明だ。
確かに王家が直々にオファーを出しただけで、他家との関りをほとんど持たない手付かずの令嬢だ。
商家という情報が回っているだけで、取扱商品や財務状況などは表に出てきていない。
派閥への引き入れ、家族構成や親戚筋の関係性、取引相手や商材などなど、知りたいことやりたいことはいくらでもある。
それこそ家の事情で『お近付き』になりたいのはわかるものの、余り近付きすぎると今度は何事かに巻き込まれかねないというのに、だ。
そもそも相手はほんの数年前まで庶民として育ってきている。
ことあるごとに礼儀を知らない。作法がなってない。常識が足りてない。会話が噛み合わない。家格が合わない。何しに学園に来ているのか、といった声があちこちから聞こえてくるのだ。
そう簡単に社交界に馴染めるわけがないというのに、次期国王と目される王太子の婚約者と険悪なのは公然の秘密のようなもの。
そんな火中の栗を拾うような真似をするような者がどれだけ――
「……もしかしてあれは自作自演なのでは?」
抑圧されていたことで思い至らなかった可能性がふと過ぎる。
あの屈辱のシーンを思い出す。差出人も内容も何一つ見えぬまま豪奢な封筒に綴じられていた。
もちろん開けていないのだから、中身が空っぽであっても……いいや、しっかりとした重量があったか。
だが中身が白紙であっても誰もわからない。
であればそれらしい封筒を持ち歩き――
「あたしたちがハンカチを噛むのを楽しんでいるのね!」
本当かどうかもわからない予想に傾倒し、バンバン、とベッドを叩いてニーナは意趣返しに燃える。なかなか暴力的である。
ともあれやり返すのは簡単だ。封筒さえ用意すればいい。
グループ内で開封されることを考えるならば、自身の理想のラブレターを書いてみるのもありだろう。
ただし自作自演でバレるほど恥ずかしいこともない。そのためには数種の封筒が必要だ、とすぐに使用人に手配させた。
「ふふ……これで明日は気分良く過ごせるはずだわ」
グループ内でも優位に立てる、とニーナはいそいそと封筒に自分の名前を書き込んでいく。
これが思いもよらない方向に行くとも知らずに。
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学園内におけるラブレターブームは日に日に熱を増し、既に婚約者が居る相手にまで届くような状況になってきている。
さすがに名前を記入する勇気がなかったらしく無記名ばかりだが、政治的にも危険な兆候が現れ始めた。
ただ、そうした危険性をはらんでいても、婚約者が居る者でさえ『誰かが自分のことを思っている』となると気分がいいものだ。
脅迫状などの不快感を煽るものでもないので、学園からの介入も様子見にとどまっているところだろうか。
「ごきげんよう、エステルさん」
「おはようございますエスメラルダ様。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
背後からの声にカバンを揺らして身体を委縮させる。
慌てて振り返り挨拶をすれば、いつものような言葉が返ってくる。
「構いませんわ。貴方の礼儀知らずは今に始まったことではありませんから」
「お気遣いありがとうございます」
当てこすりの嫌味にも平然と返すエステルの手には、今まさに受け取ったと言わんばかりの封筒がある。しかも昨日に引き続き三通も、だ。
エスメラルダの柳眉がピクリと動いたことでようやく事情を把握し、慌ててカバンに突っ込むも一足遅い。
もはや苦笑いを浮かべて流すくらいしか対処がないが、逃がしてくれるわけもない。
「本当におモテになりますわね」
「一体どんなことをすればそこまで人気になるのかしら」
「殿方が喜ばれることでもされているのでしょうか」
「色目でも使っているんじゃないですか?」
「まぁはしたない」
「そういえば婚約者のいらっしゃる方とも平気でお話されてますしね」
「殿方の人気を勝ち取るのは苦労されますね」
「わたしたちにはとてもとても……」
取り巻きたちから次々と投げかけられる言葉は、どれもいわれもないエステルへの遠回しな誹謗中傷だ。
こんなことをされてはエステルなどと関わり合いになりたいと思えないことだろう。
しかしよくよく聞けば『お前ごときになびくなんて最低だな』と言っているわけで、実際に牙が向いている先は男性側である。
これではどれだけ容姿や成績、家柄がよくとも男性から支持を得るのは難しい。
ちなみに婚約が決まっているのはグループ内で四人だけである。
「あー……いえ、これは実家からの知らせです」
「そのような可愛らしい封筒で?」
「それも何通も?」
「これでも実家や関係先とは連絡は密にやり取りしていまして。
それにわたし、可愛いものが好きなんです。味気ない報告書のやり取りだけではやる気が出ないので、連絡を貰う際は飾ってもらっているのですよ」
「ふうん……なら隠す必要なんてありませんよね?」
「人前で開けるようなものではなかったので……。それにこんな封筒でやり取りしてるなんて知られたら恥ずかしいじゃないですか」
「では昨日のものも?」
「えっと、そ、そうですね!」
精一杯にこやかに返事をするが、頬が引き攣っているのは遠巻きに見ている周囲からでも明らかだ。
とはいえ、封筒を開ける理由にはならないし、万が一本当に在野から子爵家に抜擢されるような家の機密情報が入っていればオオゴトである。
裁判沙汰どころか家の取り潰しに発展しかねない事態に首を突っ込めない。
とてつもなく嘘くさい内容でも信じるしかなく、これ以上はただの押し問答だ。
むしろ因縁を付けようにも今は失点がないのだ。
「そうでしたか。お騒がせしてすみませんね」
エスメラルダは頃合いとばかりにすっと踵を返せば、追随する取り巻きたちも不審気な視線を残して立ち去っていく。
事なきを得たエステルは、ふぅーっと大きな息を吐いて心を落ち着かせる。
向かう先はエスメラルダたちと同じ方角……エステルはカバンから三通の封筒を取り出す。
そして扇子のように広げて口元を隠してにやりと笑う姿に気付いた者はいなかった。
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