第2話
窃盗未遂事件は学園内に一気に広がったが、真相を知る者はほとんど居ない。
エステルが連れ出された姿だけにフォーカスされ、事情聴取を受けた他の生徒の話は聞こえてこない。
さらにまことしやかに『犯人っ
嫌なことは重なるもので、真犯人追及を訴えたエステルを退けたのは外ならぬ持ち主だったりする。
彼女の言い分は『持ち物が少し移動しただけで損傷も損失もないから』というものだった。
どうやら彼女たちはやはりグル……最初からエステルを狙い撃ちにするつもりだったのだろう。
こうして事件は表向き穏便に終結したが、窃盗未遂事件から時間が経ってもエステルへの周囲からの当たりは色褪せることはない。
むしろ貴族的には『傷を持つ』とさえ言える減点に遠巻きにあら探しを受け続ける。
味方の居ない五里霧中の中で、エステルは淡々と日々を過ごしていた。
そんな折に、学園内で一つのブームが起こった。
顔を合わせば話せなくなってしまう。二人きりになるなんてもっての他だ。
性別にかかわらず、嬉し恥ずかしな婚約者の居ない意中の相手にしたためるラブレターである。
好意の矢印は誰に向けられているか。誰と誰が奪い合っているか。中には誰にも知られずに相思相愛な者も居るのではないか。
各所が桃色空間で満たされる学園内で、一人ほくそ笑んでいる者が居るとも知らずに。
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「まったく。色恋沙汰にうつつを抜かしているなんてどうかしているわ」
ニーナは自室のベッドに転がり溜息をこぼした。
家が相手を決める貴族社会で誰かを好きになるなんてつらいだけだと考えてしまうのだ。
たとえ好みの異性が居たとしても、お互いの同意の上に家同士の許可が必要だなんて、一緒になるだけでハードルが高すぎる。
余程嫌でなければ単にレールに乗っているだけでいいじゃないか、と枯れた発想していても仕方がない。
貴族は遊んで暮らしているように見えても様々なシガラミにがんじがらめだ。
何かをすると誰かの邪魔をしてしまったり、何もしなければ誰かの反感を買ったりする。
マナーや慣習にうるさいのは利権構造を守りたいからだし、新規参入を阻みたいからだ。
一つの家だけがぽつんと存在することなどありえず、庶民が思っている以上に息苦しい世界なのだ。
「今だけだからかもしれないけれど……」
ただ、憧れがないわけではない。
否応にも家の決定に従うしかない中で、この学園内までは短い青春を謳歌できる。
そして婚約が決まれば。学園を卒業すれば。即座に断絶する甘い甘いひと時は今しかないのだから。
「あたしにも想い人が居れば変わったのかもしれないけれど」
子爵家に生まれた六女末っ子のニーナ。
優先度は最も低く家督争いから外された窮屈な世界で生きる淑女の一人としては、色恋沙汰よりも身の振り方の方が大事である。
何かしらの成果を得て逆転しなくては、何処か寂れて年の離れた地方領主に嫁ぐ未来まで一直線だ。
どうにかこの学園内での地位と人気を得なくてはいけない。
学園外の事情を持ち込むことはご法度とされているものの、家同士で仲の良し悪しは当然ある。
あくまで努力義務であり、大きな問題にさえ発展しなければ黙認されることもしばしばだ。
そんな管理・保護された政治・経済の箱庭とも言える学園は、コネクション作りに最適な場と解釈されている。
今代でも勢力を伸ばすため様々なコネクションが必要なニーナは、家格の最も高いエスメラルダと同じグループに属する努力を怠らない。
近付くために同調し、自身が手を汚すことも辞さない上昇志向は、多くの取り巻きの中から彼女を見出させることを可能にした。
次期王妃に媚びを売るのは何も悪いことではないだろう。
「エスメラルダも王の下で正式に婚約してるのに、わざわざエステルに目くじら立てなくても……」
なんてことを呟くも、ニーナからしてもエステルは嫉妬の対象だ。
廃位が目立つ中で王家から子爵位を『
高い爵位に在野からの大抜擢……他家との繋がりをほとんど持たない異端の商家が貴族社会に与えた影響は計り知れない。
そんな何をしているのか不透明な家の令嬢が学園に来れば熱視線が注がれるのは明白で――
「牽制のように王子が声を掛けたことでエスメラルダが躍起になるなんて……」
はぁ、と溜息がこぼれる。
平民が貴族に上がっただけでなく、王家から目を掛けられ、他家とのつながりを気にすることなく好きに振る舞える。
単純に彼女がうらやましい。好意的な感情など持てるわけがない。
「あの子が不幸になったところで胸は痛まないから構わないけど面倒なのよね。そろそろ他に何か一手打てればいいのだけれど」
そう。これまでの何らかの嫌がらせも、自分や自分に近しい他家の子に手伝わせている。
窃盗の件を濁したのも、真相を明らかにされてはこちらが困るからだ。
そして今なお消え切らない『エステル犯人説』は、ニーナが絶やさぬよう、されど特定されぬようにコントロールしている。
まことしやかに語られる汚点は、いつか彼女が失態を侵したときに牙を剥くことだろう。
「そろそろ音を上げるかしら……もう少し楽しませてくれるといいのだけれど」
暗い笑みを浮かべるニーナは、エスメラルダが言い出しそうなエステルへの言いがかりを思い浮かべながら就寝した。
翌日、学園の変化に驚くことになるのだが。
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――パタパサパタ……
反対側から廊下を歩てきた生徒がエステルにぶつかり、持っていた紙束をザラッとバラまいた。
エステルは慌てて拾い上げようとしゃがんだところへ、彼女を目の敵にしているエスメラルダと取り巻きが現れた。
話題になることの多い彼女へ向けられる視線は良くも悪くも集中する。
いや、これ自体が仕込みだったのだろう。心配そうな表情を浮かべるエスメラルダの目の奥が嘲笑に揺れているのが見て取れた。
「あら、エステルさん。おはようございます」
「エスメラルダ様、おはようございます。それと皆さまも。
「お手伝いいたしましょうか?」
「いえ、気にしないでください。わたしが拾いますから」
「エスメラルダ様のご好意を無視する気?」
「これだから元庶民は……」
「そう捲し立てるものではありませんよ。わたくしに配慮してのことでしょう。代わりに拾って差し上げて」
「エスメラルダ様が仰るなら……」
「やはり大きな心をお持ちですね」
「私どもも感動いたしました!」
エステルの意見など聞かず繰り広げられるエスメラルダ一派の一芝居。
巻き込まれてはならぬとこっそり、そして迅速に紙束を拾い上げていくが、最後の一つをニーナに取り上げられてしまった。
慌てて手を伸ばすも、今度は体勢を崩して持っていたものを全部投げ出して転ぶ。
運動神経は悪くはないのだが、どうにもこうしたドジが抜けていかない。
「……あら、これは?」
「今流行りのラブレターですわね」
「まさか、この子に想いを寄せる人が!?」
「ちょっと待ってくださいまし! これ全部……?」
「そんなはずがっ!」
持ち主のことなど忘れたように、さっと拾い上げたラブレターを手に言いたい放題だ。
貴族令嬢にあるまじき転んで鼻をさすっている彼女を見逃すほど動揺しているらしい。
ちなみにエステルを囲うようにニーナの傍に寄ったため、転んだ彼女は周囲から隠されてもいる。
ともあれ彼女たちは一通ももらっていないのだろう。
「あの……わたし宛てのものなので、さすがに開けないでくださいね?」
「誰がそんなことをするとおっしゃいますか!」
「相手が気になるご様子でしたので。差し出がましいことをしてしまい申し訳ありません」
「わかればよろしいのよ。それにしても……五通もいただいているだなんて貴方、とても人気がありますわね?」
「注目だけはされてますからね。人気あるのでしょうか?」
「知りませんわ。わたくしはこれで失礼させてもらいます」
ぷいっと踵を返してエスメラルダは場を立ち去り、取り巻き立ちも慌てて追従する。
手元には帰りがけに突き返された五通の封筒が残り、
「拾っていただきありがとうございました」
エステルは深々と頭を下げる。
そして誰にも見えない顔には、隠しきれない笑みが表情に現れていた。
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