第2筆 画家は異世界へと舞台を移す 後編

 プツン。

 ──直後、糸のような何かがぷつりと事切れる音がした。


 へぇ、これが死の間近というやつか?


 真っ暗で何も見えなくて、怪我けがをした部分が絶え間ない痛みを生じ、それを抑えようと傷口からあふれているんじゃないかと思うくらいの脳内物質たち。


 音が聞こえないはずなのに、ドバドバ聞こえてきてこいつのせいで幸福感に満たされ始めた。


 そして、寒い。


 命を失ってたまるかと己が心臓は足掻あがき、早鐘はやがねを打って体温を上げようとするが、更に出血量は増すばかり。

 一月中旬の激しい外気からの寒さだけではなく、内側からも寒気が止まらない。

 だが、身体が動かない為、さすることすらままならない。


 うっ、うぅ……。

 涙が止まらない。まだやりたいことが残っているのに。もっと絵を描きたい。子どもたちの笑顔がまた見たい。一生愛せる女性と出逢って共に人生を歩みたかった。


 あぁ、どうかこの声が届かないかもしれないけど、俺は涙を流しながら叫ぶ。



 死にたくない。俺は生きたいッ──!!



『その慟哭どうこく、その願う声、しかと聞いたわ。キミは死なない。そんなものに負けずに目を覚ましてっ! 』


 突如、透明感を感じる声がエコーのように頭の中に響いた。どこか懐かしさを覚えるが、俺の知る人物の声ではない幻聴が聞こえる。



『もう、幻聴じゃないって! キミなら大丈夫っ!』



まさか、この慟哭どうこくが届いた?

 もう痛みで辛すぎてまぶたを開きたくないが、この人の声は不思議な力があるのだろうか?

 その声援に強く押され、本能的に目を覚まさないといけないと感じた。


 もう、何でも良い。奇跡テンシでも悪夢アクマでも良い。

 俺に希望を与えてくれるのなら、何にでもつがってやる!



「そうよ、それでこそキミだよ! 今ここに未来はひらかれたッ!」



 この言葉を皮切りに、岩がのし掛かったかのように重かったまぶたが軽くなり、もう一度開いてみる。


 周りに見えるのは事故を起こした道路ではなく、水色や黄緑色、黄色、だいだい色、薄紫うすむらさき色が淡く混じり合う空間で、かなり水っぽい水彩絵の具をぐちゃぐちゃに混ぜたようだ。


 この景色を見た瞬間、不思議な事に体の傷、痛みが引いていき、地面にはりつけにされたと言っても過言ではない体の重みが、綺麗きれいさっぱりと消えた。

 まるで風船の体になったのかと、錯覚さっかくするほど軽く感じる。


 まさか、体がないとかじゃないよね。

 この顛末てんまつに正直頭が追い付いていない。


 空を見れば、まばらにけた空間のゆがみのような所から、宇宙の星々が見えた。


 俺は宇宙をさ迷っているのか?


 某海外の大学の研究で、臨死中は脳内物質の影響で宇宙にいるような感覚を味わうと言っていたしな。


 下にも絵の具の模様と裂け目から様々な景色が見えて、地面がない状態で浮いているらしい。とても気味の悪さを覚えた。

 地に足がついていない感覚が苦手な俺は脚がすくんだ。足元がふわふわする。


 ん、ふわふわ? 違和感があるな。


 ふと、足元をのぞく。

 えーっと、脚がないね……。

 ほえッ? か、体がないっ!?

 ちょいちょいちょいっ! どういうことだよ、これっ!?


 体がないことに気付いた途端、やっとバレましたかと言わんばかりに、その場しのぎで星の光が天から集まり始めた──!

 この星彩せいさいがより集まっていくにつれ、身体が形作られていく!!



「なんじゃこりゃゃゃあぁああぁぁぁぁぁ!!! え、え? 星の光が集まって身体出来てるぅぅぅ!??」



 俺がパニックになっているのを気にせず、前方辺りから聞こえてくるコンッ、コンッと地面を踏み込む靴の音。


 はっ、と我に返り、先ほど絶叫ぜっきょうしたことをじて誰だろうかと目の前を向いた所、歩く度にピンヒールから円状の波紋を広げ現れたのは……。


 宇宙の柄があしらわれたドレス姿の女性だった。


 ──見た目は20代ほどである。


 ただの美しい女性だけではなく、幼女、少女、成人女性へと衣装と共に七変化している異様な光景が広がっているではないか。


 しかも衣装に施された銀河や星雲の模様が動き続けているのだ。昨年参加したパリコレでもこんなファッションは見たことがない。

 しばらく模様を眺めていると、今しがた彗星すいせいが流れていった。


 一体どうなっているのか?


 身長が縮み、伸び、胸がふくらんでは無くなり……彼女が落ち着いた透明感がある声で呟く。



「ふふっ、雅臣くんの身体の再生は……順調ね。転生の準備も完了するわ」



 幾度いくどか変化を繰り返し、最後に引きずるほど髪が長いロリっ娘に変化した。

 身長は110㎝ほど、髪は撫でるたび色が変わり、大きな瞳は星屑ほしくずを散りばめたよう。


 まばたきする程にその星屑ほしくずは煌めいている。


 そして俺に向かって、先ほどの懐かしさを感じる落ち着いた印象ながらも可愛らしさを感じる声から一転。

 甘ったるくて幼さを感じる、俗に言うアニメ声で彼女は俺に話しかけた。


「転生完了。いらっしゃい、東郷雅臣くん。ずっと、ずぅっーと会いたかった」



 そう言った彼女は突如、柔らかくしなやかな小さき手で、俺の両頬りょうほおを包み、口づけを交わしたのだった。

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