第22話 研究集会(4)~懇親会~

※ 実際の研究集会で、そこまでプライベートな話をする先生は滅多にいません。

※ 念のため。


「それでは、今日一日、皆様お疲れ様でした。かんぱーい!」


 今回の研究集会の幹事である歌丸うたまる先生が乾杯の音頭を取る。

 ちなみに、高校生である俺たちは当然アルコール禁止である。

 昨今、大人がうかつに未成年にアルコールを飲ませると危ないらしい。


善彦よしひこ君、涼子りょうこ君、先日の国際学会はお疲れ様。それと、最優秀論文賞おめでとう。僕もせっかくなら行きたかったんだけど」


 乾杯が終わるなり、歌丸先生は俺たちの居る机に移動してきた。歌丸先生はまだ20代半ばという若さで、LANG所属の中でも歳が近い俺達と接することが多い。先生たちの中で、俺たちの名前を下の名前で呼ぶのも彼くらいだ。そして、俺達も親しみを込めて、彼を下の名前で呼んでいる。


「歌丸先生は講義だったから仕方ないですよ。先生こそ幹事お疲れ様です」


 俺たちの初の国際学会である、ICFGは、歌丸先生の専門分野とも近いが、講義があるので出席できないと事前に聞いていた。 


「せいぜい会場の手配と懇親会の手配。それと、発表の受付くらいだからね。大した手間じゃないよ」


 そうあっさりと言いつつ、ビールをまたたく間に飲み干していく。


「すいませーん。泡盛お願いしまーす」


 飲んだ端から、おかわりしている。


「泡盛ってかなり度数高くありませんでした?」


「結構高いほうだね。でも、まだまだ大丈夫」


「先生、泥酔したら絡んで来ますし、ほどほどにしてくださいね」


 涼子の苦言。俺も気持ちはよくわかる。


「大丈夫、大丈夫。限界はよくわかってるから」


 ちっともわかってなさそうに見えるんだけどなあ。


「それで、ICFGでの反応はどうだった?」


「うーん。良いといえば良いんですが、やっぱりなんでまた新しい形式文法を、って話は出ましたね」


「難しいところだね。君たちの問題意識はわかるし、僕も共感するんだけど……」


「歌丸先生的にはどうでした?論文読んで」


「かなりよく出来てたと思うよ。最優秀論文賞も納得だ」


 歌丸先生は変に飾らないから、きちんと評価してくれているのがよくわかる。


「でも、歌丸先生に比べたら、私達の形式化けいしきかはまだまだですね」


 論文の主に理論面を担当した涼子がため息をつく。


「その辺りは論文をもっと書いていれば自然に身についてくるよ」


 その言葉を否定しない辺り、涼子の懸念はあたっているんだろう。


「ところで、超文脈自由文法って、先生がご専門のオートマトンだと、どういう風に位置づけられるんでしょうか?」


 形式文法と形式言語、オートマトンには密接な関係がある。

 たとえば、古典的には、

 非決定性有限オートマトンは正規表現と同じ能力があると知られている。

 そして、正規表現が表すが正規言語である、といった具合だ。


「うーん、そうだねえ。文脈自由文法の拡張という辺りからすると、非決定性プッシュダウンオートマトンを拡張した何らかのオートマトンを作れる気はするんだけど、こればっかりはぱっとわからないね。ところで、君たちはマクロ文法についてはサーベイしたかい?」


「いえ。名前だけはちらっと聞いたことはありますが……」


「マクロ文法というのは、文脈自由文法に対して引数を付けられるようにした拡張なんだ。プログラミング言語でいうと関数定義と関数呼び出しを追加したようなものなんだ。君たちが考えている、「今のプログラミング言語を表現できる文法」にも関係してくるから、調べておくといいよ」


 こういう言葉がさらっと出てくるところがさすがに歌丸先生だ。


「マクロ文法の初出論文はわかりますか?」


「うーん。ちょっとまってね……確か、かなり昔なんだけど。あった、あった」


M. J. Fischer, "Grammars with macro-like productions," 9th Annual Symposium on Switching and Automata Theory (swat 1968), Schenedtady, NY, USA, 1968, pp. 131-142

※実在の論文です


 スマホの画面を拡大して、歌丸先生は論文タイトルを見せて来た。


「1968年……今から50年前ですね。そんなに歴史があるなんて知りませんでした」


 これだけ歴史のある話をサーベイ出来ていなかったのは、少し痛いところ。


「マクロ文法の研究はイマイチ主流にはなれなかったからね。無理もない。でも、マクロ文法によって表現できるものも結構あるから、一度調べておくといいよ」


「助かります。ところで、今日は奥さんは?」


 歌丸先生は既婚者なのだが、大変な愛妻家で、奥さんをよく懇親会に連れて来ていたのを思い出す。


「友達と同窓会があるんだってさ。というわけで、今日は独り寂しく飲み明かすさ」


 そう自嘲する先生だけど。


「歌丸先生みたいに奥さん連れてくる方が変わってますよ」


 と涼子のツッコミ。俺も同感だ。


「いや、別に研究集会に奥さんを連れてきちゃいけないって決まりはないだろ?そういうお固い空気が良くないんだよ。国際学会だと、夫婦で参加とか珍しくもないのに」


 持論を展開する歌丸先生。確かに、国際学会では、結構夫婦で参加しているらしき人も見た気がする。


「それより~、君たちはどうなんだい?うまくやってるかい?」


 気がついたら、ウイスキー、日本酒のグラスが何本も空になっている。

 あ、これは絡まれるパターンだ。


「え。うまくやってるって。その、先生はどこから……?」


 戸惑う涼子。


「いや、国際学会に仲良く恋人で参加したんだろ?」


 ん?なにか話がずれてるような。


「先生が、私達が付き合ってるってどこかから聞いたわけじゃなくて?」


「さすがに学会の先生方の間でそんな下世話な話はしないよ。というか、付き合ってなかったのかい?」


 不思議そうな目で見つめてくる歌丸先生。あー、なるほど。最初からで見られていたのなら、それは話もずれてくるな。


「えーと、実は、その、国際学会で付き合い始めたという経緯がありまして……」


 少し恥ずかしいが、正直に経緯を話す。


「そうか。そりゃおめでたい。なら、二次会でその辺を色々聞こうかな?」


 もう歌丸先生は完全に出来上がってらっしゃる。


 というわけで、懇親会は何故か、歌丸先生とばかりやたら話す会になってしまった。仲の良い人とばっかり話す懇親会はありがちなんだけど、色々大事な話を聞き逃した気がする。

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