第8話 最優秀論文賞

 結局、午後の発表の代わりにナイアガラの滝を観光した俺達は、夜も先生に現地のおいしいレストランで奢ってもらい、これでほんとにいいのだろうかというくらい満喫してしまった。


 そして、今は国際学会3日目の夜だ。今日は色々な発表を聞いたが、さすがに発表や論文のレベルが高いと唸らせられるものが多かった。発想の筋の良さは負けていないと信じているものの、発表のレベルでは、ネイティブスピーカーにはとても叶わない。


 他の発表者の問題意識は、俺とはやや違うところにあるようで、直接競合するような研究が無かったのは良かったのか悪かったのか。


 ちなみに、朝食と昼食は昨日と同じくホテル内で、メニューも似たようなものだった。先生に何故なのか聞いてみたのだけど、「ここは結構会場費高くて、結構予算取られてるからねえ」との事だった。世知辛い。


 今日でICFGそのものは終わりで、明日からは合わせて開催されるワークショップというものの時間になる。形式文法に関係の深いオートマトンという分野や、応用に特化した構文解析に関するワークショップなどがある。ワークショップと言っても、基本的な発表形式は同じで、ただ、規模が小さくなる点が違うらしい。


 というわけで、明日からも数日滞在してワークショップに参加する事が決まっているのだけど、今日は最優秀論文賞の発表と閉会式を残すのみだ。英語ではBest Paper Awardと言う。


「にしても、どれが最優秀とかぱっと見でわからないよな」

「ええ。どれも、ちゃんとした発表に見えたものね」


 小声で隣の涼子りょうこと話す。


 2日目午後の発表を丸ごと聞かないでおいて言えた身分ではないのだけど。少なくとも今日の10以上に及ぶ発表のいずれも、面白い研究ばかりで、もし俺たちが最優秀論文を選べと言われてても、単に興味が近いものを選んでしまいそうだ。


『それでは、最優秀論文賞を発表します。本年度のICFG最優秀論文賞は"Hyper Context Free Grammars: New Foundation of Parsing"に決定しました』


 学会の運営委員が告げた言葉が、一瞬信じられなかった。


「ええ?俺たち!?聞き間違いじゃないよな」


 俺たちの論文タイトルが聞こえた気がしたのだけど。


「確かにそう聞こえたわ」


 目を見合わせる俺たち。ちょっと信じられなかった。


『授与式を行いますので、著者のYoshihiko Oda, Ryoko Tokugawaは壇上に上がって来てください』


 運営委員のアナウンスが告げられる。


「と、とりあえず、行こうか」

「そ、そうね」


 なんだか信じられなかったが、壇上に向かって並んで歩いていく。


 お互いに信じきれていないまま、額縁に入った立派な賞状をもらって、やたら恐縮したペコペコとお辞儀をしてしまって、運営委員の人に逆に困惑されてしまった。


 何よりも提案した超文脈自由文法ちょうぶんみゃくじゆうぶんぽうの画期性が評価されてとのことだったけど、他の発表を差し置いて受賞していいんだろうか、と思ってしまう。


 席に戻っても、未だに信じられなくて、2人とも、なんだか呆然としたまま学会の閉会式クロージングを終えたのだった。 


「やあ、2人とも。受賞、おめでとう」


 閉会の後、ホールで2人、ぼんやりしていたところ、増原ますはら先生に声をかけられた。


「嬉しいはずなんですけど、どうも未だに信じきれていなくて」

「私もです」


 俺たちの心境は似たようなものだった。やはり、たかが高校生の俺たちが、という思いは拭えない。


「無理もないけどね。純粋に論文の良さを評価したものだから、素直に喜びなさい」

「「は、はい」」


 学会での評価にお世辞などというものが入らないことは確かだから、素直に受け取っておくのが良いのかもしれない。


「それに、本当の評価はここからだからね。研究者にとっては、この後、自分の研究が後続の研究者にどれだけ引用されるか、どれだけ影響を与えるかが問題だから」


 それは、日本でも先生に叩き込まれた事だった。研究者の仕事というのは、自分たちに続く研究や研究者に影響を与えることでもあると。先行研究や関連研究を論文で参照する時は、論文名を挙げて引用するのだが、どれだけ引用されたか、そして、影響の大きな研究論文に引用されたかが重要なのだ。


「とりあえず、2人とも、お疲れ様。今日はゆっくり休みなさい」


 そう言って、増原先生は去って行った。


「とりあえず、後で部屋で祝勝会でもしましょう?」

「あ、それいいな」


 というわけで、涼子の部屋で祝勝会をする事になったのだった。


◇◆◇◆


「「かんぱーい!」」


 少し薄暗いホテルの部屋で、2人でグラスをぶつけあう。といっても、まだ高校生の俺たちは当然アルコールはご法度で、俺はコーラ、涼子はジンジャエールだ。あれから、夕食を摂って、汗を流してから部屋に集まっている。


 冷たいコーラが喉にシュワっと来る。


「にしても、最優秀論文賞ねえ。いいことなんだろうけど」


 立派な賞状を横にしてみたり、回転させてみたりするが、当然何も起こらない。


「横にしても、何も変わらないわよ?」


 そう言っている涼子だが、嬉しそうだった。


「わかってるんだけどな。それに、まだまだこれからだし」


 俺たちの研究道は始まったばかりだ、完!じゃなくて、これからも色々積み重ねて行かないといけない。


「やっぱり、提案したもののの筋が良かったからじゃないかしら」


 ぽつりとつぶやく涼子。


「ほんと単なる思いつきなんだけどな。最初の奴はお前に色々ダメ出し食らったし」


 今回、論文で発表するまでに、提案した超文脈自由文法の中身はかなり変わっている。というのは、俺が大枠を考えたものの、細かいところに穴がたくさんあって、それを涼子に大量に指摘されたのだった。


「あなたの悪い癖だけど、もうちょっと誇りなさい?」


 言い聞かせるような口調の彼女。


「そうだな。とにかく、今回はほんとありがとうな」


 何はともあれ、彼女のおかげであるのも間違いない。


「どういたしまして。でも、次は私が第1著者の論文を書きたいわね」

「業績的には、俺の扱いが大きくなるんだろうしな」


 複数で執筆した論文の業績評価は色々あるらしいけど、俺達の専門分野だと、まず第1著者が、ついで第2著者の業績になる傾向が強い。


「何はともあれ一区切りか」


 今回やることはやり終えたという解放感もあって、ベッドにどさっと倒れ込む。


「あー、ベッドがふかふかで気持ちいい」


 下手したら、このまま寝てしまいそうだと思っていたら、隣のベッドに居た涼子がこっちのベッドに飛び移ってくる。


「お、おい。どうしたんだ?」

「私もちょっと解放感に浸ってみたくなっただけ」


 弾むような声。ここ最近見たことが無いほど、だらしの無い、ふにゃっとした表情だけど、こんな気の抜けた表情を見るのは久しぶりで、普段がしゃきっとしているからか、見とれてしまう。


「なんか、お前がそんなにだらけてるの珍しいな」

「私も、ちょっと気が張ってたのかしら」

「毎日毎日論文の直しとかやってくれてたからな。恩に着るよ」


 日が変わる頃に、論文の修正箇所を送ってきたこともあったっけ。涼しい顔をしてはいたけど、やっぱり疲れはたまっていたんだろう。


 ふと、今なら、もっと距離を縮められるんじゃないか。そんな事を思って、ぐいっと身体と顔を近づける。


「ちょ、ちょっと。善彦よしひこ!?」


 目と鼻の先で、顔と耳まで赤くして、あたふたする彼女。普段みたいに、取り繕う余裕もないのか、そんな様子が愛らしい。


「キス、してみたくなって。駄目か?」


 そう言いながらも、なんとなく嫌がっていないのはわかっていた。


「駄目じゃないけど。ちょっと準備させて」


 何度も深呼吸をする涼子。そんな様子が妙にツボにはまってしまった。


「おま、おまえな。深呼吸とか……」


 くっくっと笑いが込み上げてくる。


「笑わないでよ。必死なんだから」


 拗ねたような声とともに、睨みつけてくる。ちっとも怖くないけど。


「よし。準備完了したわ」


 そんな声とともに、再び俺に向き合う彼女。目を閉じて、唇を少しずつ近づけてくる。そんな可愛らしい様子に、今度は、こっちが緊張してきたな。


 そうして、俺たちは、少し触れ合うだけのキスを交わしたのだった。キスの味とかはわからないけど、とても心地がいい。


「なあ、もう一度してもいいか」

「う、うん」


 味をしめた俺は、もう一度口づける。今度は、さっきよりもゆっくりと。


「今度は、私も」


 今度は彼女の方から。今度は、唇をくっつけあいながら、ぺろりと口元を舐められる。それに対して、俺もキスをお返しする。


 そんな事を繰り返す内に、なんだか下半身の方が反応してしまう。


「……?どうかしたの?」

「いや、えーと」

「ちょっとし過ぎだった?ごめんなさい」

「そうじゃなくて。ちょっと下半身がな……」


 男としては大変恥ずかしいのだけど、言わないとわかってくれそうにない。


「ご、ごめんなさい」


 涼子は、途端に、ぐるんと反対方向に寝返りを打ってしまう。


「いや、俺こそごめん」


 せっかくいい雰囲気だったのに、恥ずかし過ぎる。


「やっぱり……エッチな気分になっちゃった?」


 顔を見ていないおかげか、彼女からの答えはすぐに返ってきた。


「そりゃ、お前、女だし、可愛いし。今は恋人だし」


 健全な男子高校生としては欲求が出てくるのは仕方がないのだ。


「私は、今してもかまわないけど……アレがないものね」


 なんだか衝撃的な発言がかえってきたんだが。え?


「いや待て、いいのか?」


 自分で言っておいてなんだが、素直に肯定されると、逆に戸惑う。そして、速攻でアレの事に思い至っているこいつも、なんというか……。


「そりゃ、初めては痛いとか聞くけど、別に遅らせても変わるわけじゃないもの」


 なんともはや、割り切った理論である。


「つか、告白してまだ3日目だぞ。急とか思わないのか?」


 海外のホテルという場所や、学会が終わった解放感とか色々あるにしても。


「そういうのは、お互いをよく知り合ってない人同士でしょ?今更だと思うわ」


 だいぶ声が落ち着いて来ているように感じる。


「信頼されてるのは、嬉しいが複雑だな」


 こう、男としては、嬉し恥ずかしから進めて行きたいところがあるのだ。


善彦よしひこの趣味は、エッチな漫画で把握してるけど。私を相手に選んだ時点で、そういうロマンチックなのは、諦めなさい」


 えええ?


「いや待て、あれはベッドの下に隠したはず」


 なんで見つかってるんだ?


「なんだか、不自然にマットレスが少し盛り上がってたわよ」

「ええ?そんなところからわかるのか」

「よく観察してたらわかるわよ」


 マジか。ということは、俺の性癖が全部こいつにはバレていることに。


「それで、引いたりはしなかったのか?」

「アブノーマルなプレイが好きじゃなくてほっとしたわ」

「そうか……」


 最初に致す前から色々把握されてるのは、微妙過ぎる。


「善彦ったら、すっごいロマンチストなのよね。意外だったわよ」

「うん。まあ、そうだな」


 深くは語るまい。

 

「ちょっとやり過ぎちゃったわね。ごめんなさい」

「いやもう今さらだからいいんだけどね!?」


 色々な事が筒抜けだと思うと、身悶えしたくなってくる。


「とにかく、今日は無理だけど。帰ったら、色々しましょ?」

「色々、ね……。うん、考えとく」


 嬉しいはずなのに、相手がこう「準備完了、バッチこーい」となっていると、素直に喜べないのは、俺の我儘だろうか。


「なんか、眠くなってきた……」


 さっきの話でテンションがフラットになったからか、眠気が襲ってくる。


「このままここで寝て行けば?」


 さっきまでだったら、ドキっとするところなんだろうけど、今日は何も起こらないのが目に見えているからか、ちっともドキっとしない。


「じゃあ、そうするよ」


 ああ。ほんとに、寝てしまいそうだ。


 同衾どうきんしてるのに、こんな平然と寝られてしまうもんなんだなあ。


(色々知っているのも良し悪しだ)


 そんな事を思いながら、意識を手放すのだった。


☆☆☆☆ あとがき☆☆☆☆


 第1章はこれで終わりになります。第2章では、帰国後の普段の高校生活や、同級生との交流、そして、新たな研究の始まりとかを描いていく予定です。

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