それでも書いていく

増田朋美

それでも書いていく

それでも書いていく

ある日、杉ちゃんと蘭は、富士市内でオープンしたばかりの本屋へ行った。読み書きのできない杉ちゃんが、このような場所を訪れるのは、一寸矛盾しているようにも見えるが、今日は、日ごろから親しんでいた人のサイン会が行われるので、どうしても応援に行きたいと、杉ちゃんが言ってきかなかったのである。

サイン会が始まる前にはまだ時間があったから、杉ちゃんと蘭は、本屋の一角で待たせてもらうことになった。

「杉ちゃんさ、読み書きできないのに、こういうところに来て、つまらなくないの?サイン会は二時からだし、始まるには一時間以上あるよ。其れなのにこんなところに来て、面白くないんじゃないの?」

蘭はそういうが、杉三は本を縦にしたり横にしたり、さかさまにしたりして楽しんでいる。

「何をしてるんだよ。売り物にする本をそんな風にいじっちゃダメだろ。」

蘭がそういうと、

「いや、こういう写真集には、上も下も、右も左もないのさ。別な角度から写真を眺めるのも楽しいじゃないか。そう思わないかい?」

と、言う杉ちゃん。そんなことをして著者に失礼だろと蘭は言うが、その写真集は、解説などほとんど入っておらず、単に空と雲の写真ばかりが掲載されていたのであった。杉ちゃん変なところに目をつけるよな、と、蘭はあきれた顔をして、杉ちゃんが写真を眺めているのを見ていた。

「まあ、こういう写真集を、眺めていろんな思いを巡らせるのも悪くないね。だから本屋さんは退屈しないよ。」

という杉ちゃんであるが、いつか本屋さんというのは、メモリーカードにコピーしてくれるところになってしまうのではないかと蘭は、思ってしまうのであった。そんなことをしているのなら、杉ちゃんのような人は、本屋に来られなくなってしまうかもしれない。

「それでは、皆さまお待たせいたしました。それでは、ただいまよりサイン会を始めさせていただきます。ご希望の方は、入り口レジ近くまでお越しください。」

と、本屋の館内放送が流れたため、杉ちゃんと蘭は、すぐに入り口まで行った。二人が行くと、もうサイン会の会場は、たくさんの人が待っていた。

「おお、すごいなあ。これでは僕たちが待っていたら、お昼すぎちゃうかもしれないぜ。」

と、蘭が言うと、

「いいや、過ぎたって。どっかの、ご飯屋でラーメンでも食べていけばいいや。さ、僕たちもサインをもらうために、並ぼうぜ。」

と、杉ちゃんは平気な顔をして、その列についた。蘭は、やれやれ全く杉ちゃんは、こういうことになると平気なんだろうなと、蘭はあきれた顔をして、そういうことを言う。

「それにしても、今日サイン会をする人は、確かデビューする前には、えーと。」

と蘭はそういうことを漏らすのだが、

「草刈男だった。」

と、杉ちゃんが言った。

「草刈男ね、、、。」

と、蘭ははあとため息をついた。先ほどまで草刈をして生計を立てていたような人物が、なんでそんなに素晴らしい作品を描けるのだろうか。うーん人間の才能も、知れたもんじゃないなと蘭は思う。「それでは、お二方どうぞ。」

と、三十分以上待って、杉ちゃんと蘭がようやく呼ばれた。やれやれやっと呼ばれたか、と、蘭も杉ちゃんもやれやれという顔をして、その人の前に行く。

「今日は、中澤さん。えーと中澤聡さん。お前さんの本を読ませてもらった。もちろん読み書きができないので、この蘭に読んでもらったんだけど。」

と杉ちゃんが言うと、中澤聡さんは、にこやかに笑った。中澤さんは、眼鏡をかけた、30代後半くらいの男性で、杉ちゃんの顔を見てにこやかに笑った。

「ありがとうございます。代読でもなんでも、読んでくれてうれしいです。あなたのお名前は?」

と、中澤さんが聞いた。

「おう、杉ちゃんと呼んでください。杉ちゃんと。」

と杉ちゃんが答えると、

「そうじゃなくて、あなたのお名前です。」

と丁寧に言う中澤さん。

「だから、僕のことは、杉ちゃんでいいんだ。本名を忘れるくらい親しみのある名前がいいよ。杉ちゃんと言えば杉ちゃんだよ。よろしくね。」

と、杉ちゃんはにこやかに笑って、そういうことを言うのであるが、

「いいえ、もうこういう立場になったんですもの。だからちゃんと、お客様にはしっかり接しなければなりません。お名前をちゃんと教えてくれませんか。」

と、中澤さんに言われて、杉ちゃんは、

「ああそうかい。僕は影山杉三だ。でも、影山杉三という本名は嫌いだよ。それよりも、杉ちゃんと言ってほしいなあ。」

と、頭をかじりながら言った。

「そうですか。わかりました。影山杉三さんですね。ありがとうございます。ではよろしくお願いします。」

と、中澤さんは、そう言ってサインペンを取り、杉ちゃんが差し出した本の背表紙に影山杉三様、中澤聡と書いた。

「じゃあ、お連れの方も一緒にどうぞ。あなたのお名前は何ですか?」

と中澤さんは蘭に向けてそういうことを言った。

「ああ、僕は、伊能と申します。伊能蘭です。でも僕は杉ちゃんの誘いで来ただけで、本は持ってこなかったので。」

と蘭が言うと、

「ほんじゃあ僕の本に、書いていただけませんでしょうかね、蘭の名前。」

と、杉ちゃんが言うのだった。はいわかりましたと、にこやかな顔をして伊能蘭様と記入する中澤さん。杉ちゃんという人は、そういうことを必ずするのが杉ちゃんというものだ。必ず周りの者に配慮するのだが、それは、迷惑であることが多い。

「ありがとうございます。僕と蘭は、親友だし仲間だし。二人分の名前を書いてくださって、本当に僕たちは、うれしいです。」

杉ちゃんはそういうことを言う。全く、杉ちゃんという人は、どうしてこういう風になってしまうのかなあ。と、蘭はあきれた顔をして、杉ちゃんがサインをもらうのを、眺めていた。杉ちゃんは、どうしてこういう風に、有名人と付き合いがあるんだろうなと、蘭は思ってしまう。

「それじゃあ、僕はこれで失礼します。この本は、本当に面白いというか、楽しく読ませてもらいました。」

という杉ちゃんであるが、まったく、本を読んでいるのは、僕じゃないかよ、と蘭は思ってしまうのだった。

「もしよろしければ、今度、吉永高校で講演をすることになったのですが、一般の方も招待してよいことになっているんです。よろしかったら、来てくれませんか?」

と、中澤さんが言った。

「吉永高校?」

と蘭が聞く。

「あの、名門校と言われたところですか。」

確かに吉永高校というところは、百年以上前から、女子高として君臨している学校だ。確か、二十年くらい前に、共学化されたような気がする。

「しかし、あんな名門校と言われているところが、あなたのような新鋭の作家を招くんですか。それよりも、日本を代表する文豪とかそういう人が招かれるというのならわかりますけど。それはどういうことですかね。」

と蘭は、思わず言った。

「いやああそこは学校というよりサル山だよ。竹村さんがそういうことを言ってた。あの学校は、もう昔の概念を植え付けちゃいけない。ま、たぶん、学校の先生が、生徒を自分の方へ向けたくて、それでお前さんを呼んだんだろうよ。」

と、杉ちゃんがカラカラと笑った。

「まあ、そういうことだとは思っていました。でも、それが、生徒さんたちにとって、いいことになれば、それでいいことにします。」

と、中澤さんはそう言った。ということは、やっぱり、吉永高校の伝説は消えてしまうということになのだろうか。

「しかし、中澤さんは、以前は草刈をしていたんですよね。そんな仕事をしている中でなんであんなきれいな小説が思い浮かんだんですか?」

と、蘭はそういうことを聞いた。おう、僕も聞きたいと杉ちゃんも言う。

「ええ、確かにそうです。確かに日雇いで草刈には、いっていましたよ。今回の小説は、草刈をしながら思いついたんですよ。雑草を抜きながら、雇ってもらっている家の様子を観察しているとね、誰でもにこやかに笑っているような家ばっかりじゃないなということがわかってきて。そこを小説にしただけのことです。」

と、中澤さんは言った。

「はあ、なるほどねえ。そうやって、ひとんち覗いて、ああいう小説が思いついたわけか。変わったやつだなあ。」

と、杉ちゃんはそういうことを言った。

「人んちを覗くというか、雇ってもらっている人にはちゃんと許可を取りました。ご家族も、自分たちの失敗が、本になるというのならと、同意してくださいました。」

確かに、この本の内容は、お金持ちの家族が、娘が大学受験に失敗したのを皮切りに、崩壊していく内容を描いた本であった。何だか有名なテレビドラマにもありそうな内容であるけれど、それが、映像ではなく小説であるということの強みが、彼が文学賞を取った理由であるということである。

「で、その本のモデルになったご家族は、どうなったの?」

と、杉ちゃんが聞くと、

「きっと、にこやかに笑って楽しく暮らしていると思います。」

と、中澤さんが答えた。

そうかあ、本を出版したのは、そういう経緯があったからか。と蘭はため息をつく。あれだけ重々しい文体で、家族の崩壊を描いた作品なのに、モデルになった家族は、にこやかに暮らしていられるようになったのか。あーあ、いいなあ。と蘭は思うのである。もしかしたら、中澤さんが本にしたいと言ったから、間違いに気が付き、和解したのかもしれない。

「そうですか。まあ、どこの家族を書こうとしたまでには聞かないけど、ま、何かきっかけがないと、家族は和解できないわな。」

と、杉ちゃんはにこやかに言った。蘭はそれを聞いて、刺青を入れに来る客にも読んでもらいたいなと思った。

「そうか。まあ吉永高校のやつらは、家族何て信用できるもんかと思っているやつらばかりさ。まあ、それでお前さんが、家族のよかったことをうんと伝えてあげれば、変わるやつもいるかもしれない。」

と、杉ちゃんは言った。

「あの、講演に来てくれますか。一般席の入場券二つ差し上げますから、お願いできませんか?」

と、中澤さんは、控えていた人に、チケットを二つ出してくれと頼んだ。杉ちゃんと蘭は、ああわかりましたと言って、それを受け取った。

その日はとりあえず、彼のサインしてくれた本をもって家に帰った。講演会が開始されるのは、その一週間後である。

その一週間後、杉ちゃんと蘭は、せっかくチケットもらったんだから行ってこようということにして、バスを乗り継いで吉永高校まで行った。講演会は、吉永高校の行動で行われることになっている。ぼんやりとした顔をしている生徒と、少々疲れ果ててた顔をしている父兄たち、そして、一般席に招待された興味本位でやってきた人たちが、講堂を埋め尽くしていた。杉ちゃんたちは、講堂へ入ろうと思ったが、講堂は、段差があって入れなかった。

「あーあ、結局僕らは、中へ入らしてもらえないで、ここでお預けか。」

と、杉ちゃんがでかい声でいうと、

「あの、お二方は。」

と、一見すると不良みたいな感じの、髪を染めた三人の男子生徒が二人に声をかけた。

「お前さんたちは誰だ?」

と、杉ちゃんが聞くと、

「僕たちは、吉永高校の生徒です。もしかしたら、中澤先生のお話を聞きに来た方々ですよね。それならお手伝いします。」

と、見かけによらず丁寧な口調で、彼らはそういうのである。その容貌から見るととても考えられない口調であったが、彼らはそういっているのだ。

「ほんじゃあ、お願いします。」

と、すぐ話に乗るのが杉ちゃんだ。蘭は、もしかしたら彼らは自分たちを暴行でもして、金をとるつもりなのではないかと思ったが、彼らはそのような態度は決して取らず、二人を、講堂に入れてくれた。

「終わりになったら、僕たちを呼び出してください。終わり次第、お手伝いしますので。」

という彼らに、

「お前さんたちは、中澤さんの話は聞かないのかい?」

と杉ちゃんは聞いた。

「ええ、僕たちは聞きません。どうせ、成績が良くないからと言って、誰にも信用されてないし、僕たちも大人何て、どうせ、穢い人たちばっかりだって、わかってますから。」

と、一人の生徒が答えた。

「だって、僕たちは、もう捨てられた存在なんですよ。先生もどうせこいつはできないから、適当な仕事につかせて卒業さえさせればそれでいいってそういうことを言っています。だから、僕たちは、この世の中では必要ないということでしょう。親だって、勉強ができないから、ほかの兄弟とかにっ期待していますし。僕たちは、そういうわけで捨てられちゃったという想いもあるけど、もう誰からも必要とされてないんだって、わかりますから。」

と、もう一人の生徒がそういうことを言う。それは、口だけで言っているわけではないなと、蘭はそう思った。

「でも、君たちは教育を受ける権利が。」

とそれだけ言うと、

「いいえ、そんなもの、どこにありますか。それは成績がいい人に限っていう事でしょう。僕たちは成績が良くないし、もう学校の顔に泥を塗った悪者になってますから。ここの高校では、国公立の大学に行った人しか、幸せになんかなれませんよ。転校したいと思ったこともあったけど、うちはそんな余裕ないと親にも叱られてしまいましたしね。それで、僕たちもう生きていてもしょうがないなって思ったんです。」

と、三番目の生徒が言った。

「じゃあなんで、僕たちに声をかけたんだ?お前さんたちにとって、こういう障碍者は憎むべき標的じゃないか?」

と、杉ちゃんが聞くと、

「いいえ、だって、二人とも着物だし、腕に絵を描いているのがちらちら見えたから、きっとどこかのひとだろうなと思ったんです。」

と初めの生徒が言った。確かに暴力団の組長が着物を着てるのはよくある事であるが、着物イコール、暴力団という概念は持ってほしくないなと蘭は思った。

「僕たちは、そういうやつじゃないよ。ただ、生きているだけの人間だよ。それだけだよ。」

と、蘭はにこやかに笑う。

「着物を着ているからって、やくざと一緒にしちゃいけないな。それにそういうやつを尊敬するような人間になっちゃだめだ。」

と杉ちゃんが言った。

「じゃあ、どうしたらいいんですか。僕たち、もう学校の先生からも相手にされないし、親だってお前は出来損ないだとか、そういう事平気で言うから、もうどこにも居場所がないですよ。」

と、二番目の生徒が言った。確かに、彼らにとって親も教師も信用できないくらい憎い存在なんだと思った。でも、そういう人に従って生きていかなければ、幸せになることができないということも確かなのだ。こういう生徒たちには、俺は絶対に味方だよ!と宣言してくれる存在がいることが何よりも大事だった。運よく、そういう人や物に巡り合える生徒もいるが、大体の生徒は、この三人のように、ずるずると悪の世界に引きずり込まれてしまう。それを食い止めることが必要なのだが、きっと、彼らの両親も、学校の先生も、そういうことはできないだろうなと蘭も杉ちゃんも思うのだった。もし彼らが20歳を超えていれば、彼らの背中に神仏を彫り込んで、困ったら自分の体に入っているものを見ろということもできるのだろうが、高校生にはそういうことはできないなと蘭は思ってしまう。

「そうか、それなら、今日ここに来てくれた、あの中澤聡という人の本を読め。僕は字が読めないが、お前さんたちはちゃんと学校にも行ってるんだし、ちゃんとできるだろ?僕はこの蘭に呼んでもらって、内容を理解できたけど、お前さんたちは読めばすぐに頭に入るよな?あの、中澤という人が描いた本は、お前さんたちが今言ったようなセリフを書いてくれてあるから。それで、お前さんたちと同じ考えのやつらがいるってことを、頭で思っておけ。本ってのはな、そういうところがすごいんだよ。テレビの映像は停止できないが、本はいつでも待っててくれる。」

杉ちゃんがいきなりこういうことを言うので、蘭はびっくりしてしまった。なんで読み書きのできない人が、そういうセリフを言うことができるのか、蘭は、よくわからないと思ってしまう。

「大丈夫だよ。あの本は、もともと草刈男だった中澤さんが描いた本だから、けっして偉そうな言葉も、むずかしい言葉もなにも使っていないから。文字が読めれば、すぐにお前さんたちなら、頭ににはいるだろ。そして、もし大人がひどいこと言うんだったら、何回も読めるのが本のすごいところなんだ。だって、手に取ればそれで読めるんだからな。そして、お前さんたちが経験した大人への憎しみを持ったやつってのの、力になってやりな。」

確かに中澤は、高名な大学を出たとか、誰かに小説の技法を師事したという経歴のひとではなかった。何しろ、作家としてデビューする前の経歴は草刈男だ。草刈男は学歴も何も関係ない。だから、難しい文章を書く、技術はもっていない。そこを評価されたといえばそういう事なのだが、こういう悩んでいる青年たちにとって、一つの力になることは間違いなかった。

三人の青年たちは、杉ちゃんの話を真剣な顔をして聞いている。彼らは、悪い奴ではないということは、蘭にも見て取れた。

「大丈夫だよ。こんな読み書きのできないやつが、代読してもらっただけでも、ちゃんと内容を理解できたほど、わかりやすいお話だったから。お前さんたちもすぐに読めるさ。そしてな、その本を読んで、お前さんたちの味方はここにいるって信じ込んでさ、居心地が悪いかもしれないけど、この吉永高校で、頑張ってくれよ。」

杉ちゃんすごいな、そういうことが言えちゃうんだから。そういうことを平気で口にしたら、自分たちの立場が危なくなってしまうかもしれないのに、と蘭はそう思いながらそういう事を聞いていた。

「まもなく、中澤聡先生の講演会が始まります。」

と、講堂の中でアナウンスが流れる。三人の青年たちは、杉ちゃんや蘭の話に感動したのか、さっきの不良っぽい顔つきはどこかへ消えて、年相応の顔になった。そして、二人の車いすを押して、一般席に連れていった。



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それでも書いていく 増田朋美 @masubuchi4996

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