不審な動き

 翌日、真司の目覚めは悪かった。眠れないのも無理はないだろう、昨夜は夜通し延々と、真紀那のことを考えていたのだ。

 身支度を済ませてリビングへ下りれば、既に家を発つ準備が整っている。眠く隈が目元に残る頭で、ここから出た後にやることを整備した。

 真紀那の生家である愛染家は、真司が生まれ育った菅原の家からそう遠くない。向こうは今頃葬儀の準備に追われているだろう。幼い頃の、親戚が亡くなった時の記憶を振り返るが、それらは漠然とし、亡くなった人の棺の周りで両親や叔父叔母達が忙しなく動き回っている情景しか脳裏に映さない。中学生の頃に母方の祖父が亡くなって以降、自分も出席するような葬儀がなく、それ故か自分が現場にて何をすればいいかがいまいち浮かんでこない。

 何もかもの準備が整いつつあるリビングを眼前に、もやもやとした頭の中が整理できないまま、話しかけた。

「……父さん。俺向こう行って、何かやることあるかな。俺こういう時って何すればいいか分から」

「お前はそれでいい。手を借りるときは言うから。舞弥ちゃんの傍にいてやるんだろ」

「っ……」

 残酷な事実と、無情に過ぎていく時間が己の発言さえも記憶の隅に流したか、父の声に昨日の会話を忘れていたことに気づく。

 真紀那の存在が昨日を――七月十五日を機に、いつの間にか何もかもを覆うような巨大なモノとなってしまったことをふと実感する。その中での彼女は、まるで可愛い従妹ではなくなってしまったような――言うなれば、畏怖のような。普通なら抱くことのないはずの感情に戸惑いつつ、そのせいで頭から追いやられた舞弥の事柄を連れ戻した。

 ――愛染の家に行ったらまずは舞弥ちゃんに会う。再び沁み残った昨日の出来事にさらわれないように心の中で復唱し、真司はまず、顔を洗いに行った。





 電車に揺られること、計一時間前後。乗り換えも複雑ではなく、普段からも行こうと思えば迷わず行ける、短い旅路だ。

 愛染の家は三階建てのメゾネットタイプのアパートの一室で、最寄りの駅から十分程歩くと入れる閑静な住宅街の中に建っている。しかし今日ばかりは何処か騒がしく、大きな荷物を持って歩く人も、道端に停まる車も妙に多いと感じる。

 そんな日常的な、しかし明らかに異質な街の中、真司達一行はすっと愛染家の号室に入っていった。

「……真司くん?ごめんね、時間取るようなことになっちゃって」

「いえ、……その、舞弥ちゃんは」

「ああ、舞弥……」

 玄関にて叔母が――舞弥と真紀那の母が出迎えるも、その表情はやはりやつれて見え、上手く笑みを作れていなかった。その腕が弱々しく手荷物を受け持とうとしているのが見えて、優しくその必要はないと応じつつ、舞弥について問うと、彼女はここからそのまままっすぐ行けば上がっていける二階への階段にふっと顔を向けたが、すぐさまこちらに向き直って肩をすくめた。――いくら訪人が来たとはいえ、わざわざ引きずり出す気にはなれないだろう、察さずとも理解できる。真司はもう一度大丈夫だ、と応じ、そのまま意味もなく目線を足元に向けた。

「……ごめんね、真司くん」

「おばさんは謝らなくてもいいんですよ。……僕が言うのもなんですが、あまり自分を責めないでください」

 舞弥ちゃんの様子、伺ってきてもいいですかと訊ねれば、叔母は小さく頷いた。手荷物は父に預け、真司は階段をゆっくり登っていった。


 階段を登る前に横目に見えたリビングからは喪服が少しだけ見え、様々な書類が散乱したダイニングテーブルの横、一番目立つところに、敷布団が敷かれてあった。父は叔父や叔母と共に、これから真紀那を迎えに行くのだろう。――きっと、僕達は誘われない。でも、それでいい。少しでも、心の傷を癒す時間があるのなら。そんな時間を与えてくれる大人達に感謝を頭の中で述べ、舞弥の部屋の扉をノックした。

「……」

 反応はない。もう一度ノックしようとしたとき、「こっち」と、真司が向き合っている部屋とは別の方向から、舞弥の微かな声が聞こえた。

 そこは、真紀那の部屋だった。女性二人が並ぶのもきつそうな狭い廊下に、向かい合うように互いの部屋につながる扉がある。振り向けば、彼女がいる部屋はすぐそこにある。

「舞弥ちゃん。僕だよ、真司」

 もう一度、今度は真紀那の部屋の戸をノックして声をかけると、「はい」と、弱々しく声が返ってくる。

「……入るね」

 断りを入れて戸を開ける。電気はついていない。勉強机が向いている窓から差し込む光だけが、暖色でまとめられた女の子らしい部屋をぼんやり照らしていた。窓の対、半ば反射的に見るそこには、大きなベッドがある。舞弥はその側で、ピンク色のクッションを抱きかかえて蹲っていた。

 真司は彼女の側に行くのを少しだけ躊躇った。自分などでは、彼女の側に立つ資格など、その権利など無いのでは、と。しかし弱気になる自分を振り切り、真司はとにかく舞弥の前にしゃがみ込み、気休めにもならないと思いつつも言葉をかける。何度か呼ぶうちに、舞弥は顔を上げた。涙に濡れたぐしゃぐしゃの顔だ。目元はすっかり赤くなり、痛そうとさえ思うほどだ。


「まさ……じ、さん……」

 ぐしゃぐしゃに荒れた前髪の奥から、目を見開いて、舞弥は兄のように慕う従兄を見る。大学生にもなった今となっては頼りないと感じる顔だ、しかし今は、そんな頼りなさが、己の不甲斐なさを受け止めてくれるような気がして。嗚咽もどうにか抑えていた今までが決壊し、何度目か分からない、目と頭が重くなってゆく感覚と、少しの痛みと共に視界がぼやけていった。


「苦しいなら、いくらだって吐き出していいから。……僕はちゃんと、ここについてる」

 かつてと変わらないその声を聞いてしまっては、堪えるなんて無理だった。別れを知って以降、ずっと耐えてきた舞弥はようやく、大きな声を上げてその悲しみを吐き出した。





 泣いて泣いて泣き散らかして、舞弥はようやく落ち着けた。

 言葉がうまく話せるようになってからは、心中を容赦なく従兄へぶつけた。その最中も彼はずっと背や頭を撫で続けて、何も言わないで聞いてくれた。だんだん語彙も乱雑になって話し疲れたころ。真司はハンカチを取り出して、優しく目元を拭ってくれた。強く拭って傷んだそこが、じくりと響いたのはほんの一瞬だけだった。そうして背中をずっと撫でながら真司は舞弥の側にい続け、おかげで舞弥は再び、論理的に話をできるようになった。


「……ずっと考えてたんだ。真紀那ちゃんは、どうしてあんなことをしたんだろうって」

「あんなこと……」

 舞弥の冴えた頭に、少しずつ情報が流れ込む。生まれてからをずっと共にした妹の死、その事実しか見えていなかった舞弥は、ここで初めて、その自殺の異常点を視認した。

「……なんか、SNSで配信したんだっけ」

「名無しのアカウントで飛び降りの場所とか時間を拡散してたらしくて、ビデオの配信とかはしてない。……でも、それを盗撮してネットに上げてる人はいっぱいいるね」

 スマホを手にして情報を集める舞弥の顔は嫌悪に歪んでいる。「何この、飛び降り女子高生って。真紀那……本当にどうしてこんなことしたの」

 戸惑いつつも画面をスワイプし続ける舞弥のスマホが、ある共通したものを写していることに、隣でその様子を見ていた真司は気付いた。


「舞弥ちゃん、何それ」

「何、え?」

「その何か、紙みたいなやつ」

 それは真紀那が飛び降りる直前、大量にばら撒いたビラだった。少数ではあるが、これを写真に撮ってネット上に流している人がいたのだ。紙だけを引きで撮っている画像が多数だが、中にはそこに書かれた文面まで詳細に写しているものもあった。

「このタグで検索かければいっぱい出てくるの、私もさっきから何なんだろうってずっと見てたんだけど……」

「……何だ……この内容……」


 国は真実を隠している、真実を国民に、国民のための政治を――まるでそれは、反政府デモで掲げられるプラカードに書かれているような。どうして彼女がそんなことを訴えたのか。二人はおぞましささえ感じ、互いを見た。


「どういうことなの、これ」

「……」

 胡散臭い、踏み入れてはいけないような境界を、真司は感じ取った。――されど彼女が、そこから道を踏み外していたら、それが自殺に繋がったのだとしたら――!

「……舞弥ちゃん。何でもいい。真紀那ちゃんの、最近不審に思った行動を、何でもいいから教えてほしい。些細なことでもいいから」

「えっ!?そんなっ……そんなこと言われたって、私は何も……!!」

「本当に些細なことでいいんだ、例えば最近部屋に籠もりがちだったとか、どこに出かけているか分からなかったとか……!」

「待って、私っ、ほんとに何も……っ?あ、あっ、待って」

 覆いかぶさらんとする勢いに乗って飛んできた問いに舞弥は動転した。突然豹変したようにすら見えた、従兄の猛威に恐怖すら感じた時。何か言わないと死ぬ、とさえ感じ、必死に回らない頭を回したその時に、舞弥はとある違和感を掴んだ。

「ま、待って!!!そういえばあった!」

「何!?」

「そういえばなんかこう、そう!あの子、すぐに部屋に帰ってっちゃうの、晩ご飯の後とか」

 真紀那の異常性にあてられたからか、真司の勢いに竦んでいるのかどちらからか分からない手の震えを抑えつつ、舞弥は何とか言葉を紡ぐ。

「真紀那あの子、バラエティとかもよく見る方で、それなのに私が一緒に見ようよって誘っても何か、にこっと微笑みながら首を振るの、なんでだろうってずっと思ってたんだけど」

 そう言いながらスワイプされるスマホの画面、そこには『飛び降り女子高生』のタグと、それに関連付けられて沢山の真紀那の写真が映し出されている。

 ふとそんなスマホの画面を見た舞弥が、ひゅっと息を詰まらせた。

「普段あんないかにも微笑みみたいな笑い方しないのに、……そう、これ、これみたいに……!!!」


 そこに映っていたのは、あの時聖母のような微笑みをたたえ、『立会人』を慈悲に満ちた目で見つめていた、真紀那の姿だった。

 舞弥の不可思議な記憶、そこにて微笑む真紀那も、こうした笑みを浮かべていたのだった。


 舞弥はスマホを持ったまま眉間に皺を寄せて虚空を眺めていたが、やがて立ち上がると、ふらふらと前方の机に向かって歩き出した。

 ここは、真紀那の部屋だ。彼女の生前、何度かこの部屋を覗いたときがある。その時妹は、この椅子に座り、何かと向き合っていたような……

 かつての真紀那の挙動を、冷静に思い返していく。そうすると自ずと蘇る記憶が、机を物色する腕の動きをきびきびとさせていく。

「そう……確か……ノートパソコンが……真紀那、いつからかずっとそれに向かって、何かをしてた……」

 ぼそぼそと、自分に刻むようにぼやきながら大きめの引き出しに手をかけた。そこには、銀に光る薄い板が――ノートパソコンだ。舞弥はそっと、それを取り出した。

 開いてみると、数字四文字のパスワード入力画面が映し出される。

「……」

 やっぱりそうだろうな。せめて何かパスとしてめぼしい数字を――求めて辺りを見回すと、ある写真が目に飛び込んできた。


 姉妹二人で遊園地に行った時の写真だ。そこに写る二人は今に近い体躯で、これが、二人で行った最後の遊園地となってしまったと、舞弥は目を逸らして俯く。しかし頭は、これにまつわる記憶を――真紀那がしょっちゅうこの遊園地の思い出を話題に出していたことを、思い出していた。

 舞弥はもう一度、その写真を見る。それにはやけに目立つ太い線で、その日にちが書かれていた。

 ――もしかして。

 おそるおそる、その数字を打ち込む。


 九月十五日。〇九一五。


 エンターを押すと、画面が読み込み画面に移った。そこには、「ようこそ」、と。


 パソコンのロックは解かれた。その一部始終を、真司も見届けていた。

 何かおぞましいものの封を解いた気分だ。しかし、真紀那の謎を解こうと、二人の面持ちは変わらなかった。

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