某大学院内にて
つぶやきを更新する手が止まらない。晃はいてもたってもいられず、隣の友人にこっそり話しかけた。
「ヤベェよこれ、マジで飛び降りたんだとさ」
「え?まだタグ追っかけてたのお前。大丈夫?今日中にその研究終わる?」
「ん~~~ンなこと言うなよ真司さんよぉ〜……、ほら周り見ろよ、どいつもこいつもSNS見てっぞ」
かつての院生が残していった論文と、それなりの量の資料とそれなりの設備が整った研究室は静寂に満ちている。しかしそこにいる十数人が全員真面目に研究に取り組んでいるとは限らない。監視の目がないのをいいことに、大体の院生はスマホの画面を何度も下にスワイプし、たまに耳に障らない程度のひそひそ声さえ聞こえてくる。
某大学大学院内にて。人間科学研究科の研究室は、外面こそ普段と変わりないように見えて、そこで学ぶ彼らの心は研究勉学から遠く離れた場所にあった。生真面目な生徒をたった一人、
「悪いけどその話は後にして。俺今ちょっとフィーバー来てるから。書けてるうちに早く切り上げて帰りたいんだわ」
「はぁ~、つれねぇなぁ、こちとら研究どころじゃねーんだわぁ」
晃が机を背に膝を抱えて完全にサボりモードに突入しても、真司には何の弊害もないし関係ない。後々後悔するぞ、と心の中で毒づいて、キーボードを打つ手を速めた。
一通りを書いたところで息をつき、側の資料を手に取るとき、真司はふと隣の友人を見やる。相変わらずSNSをいじって、それが止まる様子はない。
真司は起こっている事件に対して一ミリ、否一マイクロも、全くもって興味はなかった。少なくとも彼本人は自分でそう思っていた。本当に興味はないが、真司はこっそり晃のスマホの画面を覗いた。晃は机にスマホの画面を向ける体勢を取っているため、真司は首や体を動かさなくても画面を垣間見ることができた。
――そんなに夢中になって、そこまで他人が
真司はそう斜に構えていた。画面を覗いたのも呆れからだった。しかし、そんな気取った態度は彼の意志に反して打ち砕かれた。
「……あれ?この制服」
「あん?」
ぽつりと零した言葉を、晃は確かに聞き取った。彼が振り向いたとき、真司はもうパソコンの画面の方を向いていなかった。
「どした?」
「ん?あ、いや……女の子の制服がさ、親戚の子の通ってる高校のだったから」
「マジ?ちゃんと見る?」
「あ、そこまでは別に」
真司は我に返った。作業に戻ろうとするも、晃が誰かが撮った彼女の画像をほれと差し出すと、彼はすぐさま振り向いて画像を確認した。
その顔はみるみるうちに険しくなる。顔をさらに近づける友人の仕草に、晃の表情も段々と険しくなる。
「真司、どうした?」
「ごめん、ちょっと貸して」
スマホを奪い取って、眼鏡を額に上げて真司は画面を凝視する。そして絶句し、一言だけ漏らした。
「……真紀那ちゃんだ、これ」
「えっ」
「……すまん、返す」
「えっああ……わりぃ、ダメなこと聞くけど」
「うん、親戚……これ」
「……」
真司は晃も巻き込んで呆然とした。衝撃が過ぎて思考が戻ってきたとき、彼はまず「何故」と頭に呈した。そして自分のスマホを懐から取り出し、時間を確認すると、ノートパソコンや持ち歩いている資料といった荷物を鞄にのろのろとしまい込んだ。デジタルで示されるロック画面の時計の下には、父からのメッセージと不在着信が通知されていた。
「……帰らなきゃ」
「……何か、すまん」
「いや別に、何ともないけど……多分、父さんが帰って来いって言ってる」
「実家か?」
「うん。先生に伝えてこなきゃ。じゃあ」
「ああ……じゃあな」
「また今度」
真司の表情には悲しみや憤慨よりも、焦りや戸惑いのようなものが滲んでいた。少なくとも、晃からはそう見えた。
一度、頭の中で自身を真司の身に置いてみる。赤の他人だから野次馬の気分で事件を見れるが、身内となれば、突然の死は耐え難いし、彼女が何故死に至ったのか疑問が生じる。ましてや、全世界に配信して自殺だなんて。
心の中でもう一度謝りながら、出ていく友人の背を目で追った。
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