少女の死


 空から降って来た大量のビラに気を取られていたのも束の間、前方から女性の悲鳴が聞こえた。

 それを皮切りに現場は阿鼻叫喚に染まった。待機していた救急車が即座にブルーシートをかけ、少女を搬送した。警察が、飛び降りを――少女の体のあらゆる部位が飛び散る様を――見てしまった人々のケアに当たっている。降りしきるビラが雪のように道路を白く染めるが、少女が落ちたその箇所だけは、アスファルトもビラも真っ赤に染まった。


 そんな最中でも、人々は歪んだ好奇心を失ってはいなかった。


 後ろから皆高くスマホを掲げていて、そのスマホからはひっきりなしにシャッター音が聞こえてくる。警察が撮るなと叫ぶ。しかし効果はなく、声はシャッター音にかき消されて聞こえなくなる。面白そう、なんて感情だけで動く道徳倫理を失ったヒトというものは、実に残酷であった。そして撮られた写真は即座にSNSで出回った。様々な意見が飛び交い、電子の広場は大混乱に陥った。


『【速報】国会議事堂前の女子高生、マジで飛び降りる』

『目の前に落ちてきた……無理、吐きそう』

『アイツマジで飛び降りたのかよwwwwww』

『#飛び降り女子高生 タグ、一気にグロ画像の巣窟になったwww』

『飛び降り現場の写真上げてる人何考えてるの。常識的におかしいでしょ』

『写真消してください。かわいそうです』

『写真撮るな上げるな言ってるけどさ、お前らだってさっきから#飛び降り女子高生で検索かけまくってんだろ?同類だよ同類』

『ていうか女の子めっちゃかわいいじゃん。純白セーラーの王道清楚系女子高生。死んじゃったのが悔やまれる』


 SNSでは匿名性をいいことに好き勝手書き込める。いいね稼ぎも正義のヒーローになるのも自由な電子の広場で、『飛び降り女子高生』は膨大に拡散された。

 トレンドはそれにまつわることばかりで埋め尽くされた。ついにマスコミまでもがこの事件に気づき、報道カメラや中継を繋がれたキャスターが現場にやってきた。その頃『立会人』となった野次馬達は放り出され、現場には黄色いテープが張り巡らされ、ついに警察関係者以外立ち入れなくなった。野次馬はそれぞれにスマホをいじっていたり、事件が起こる前までの予定の都合を合わせている。既に現場を去った者もいるようだ。

 そんな野次馬達の塊に、撮れ高がありそうなコメントを求めてマスコミが突っ込んでいく。そして、気持ちの良い朝のお茶の間に、無理矢理心の傷を吐かされた哀れな人のさめざめ泣く姿が放映されたのは、言うまでもなかった。




 さて、それとは別に、違った焦点からこの事件を見る人々もいた。

 野次馬の中にいた男、沙川渡さがわわたるは、現場から追い出される前にたくさんの紙を回収していた。少女が飛び降りる前に撒いたビラだ。渡はこれに書かれた内容に強い疑問を抱いた。


「『国は重要なことを国民に隠してる』……ねぇ」

 誰の目にも留まらないような陰に隠れて、渡は集めたビラを眺めた。彼が真っ先に思ったことは、「それはいつものことじゃねぇか」と。

 他のビラも似たような内容ばかりで、こういうことを言ってはなんだが、面白くない。面白くないし、これと飛び降りであの少女が何を伝えたかったのか分からない。

 こんなビラを――しかもバージョン違いを何種類も用意するほどの力の入れようで――どっさり多量に刷り、それに飽き足らず命を贄に捧げまでしたのだ、彼女にも何かしらの矜持があったと思わざるを得ないが、こんな説得力のない主張だらけの文面を見てしまっては、大々的に死を曝してまで自らの命を犠牲にした意味はないんじゃないかと渡は正直に思ってしまう。


「……正義感に満ちた女の子が、頑張ろうとか思っちゃったのかねぇ」


 一人そうごちた。彼女は生き急いでしまったのだと。正直なことを言うと、そこまでしか彼女の死を考察することができなかった。故に勝手に一人で納得して、事を結んで帰ろうとした。

 しかし彼はそれさえできず。目の前で死んだ少女は、男を自身に縛り付けてきた。

 見落としたのだろう、どのビラにも斜め読みでは気づけないような細かい文字が刻まれていた。それに気づいてしまった渡は文字列に完全に気を取られた。手に一枚ずつ、ビラをとって読み比べるようにその細かい文字を追った。

「何だ?この、……防衛隊……ん?」


 ――正直に思う、この内容が信じられない。だってこんなの、ドラマかなんかの設定話みたいじゃねえか。


 他のビラも読み漁り、渡は放心した。え?と声に出して何度も読み返した。それでもこのビラに書かれた告発は信じられなかった。これまで生きてきた数十年の記憶を、落ち着きがてら読み返す。


 自衛隊が防衛隊と名を改められたことは記憶に新しい。自国だけではなく、世界のあらゆる争いから平和を望む人々を衛る、という意図を込めて、自衛隊の名前から『自』を抜いたのだと言う。かつて何度もその存在について是非を自問自答し続けたこの国は、ついにそれを『世界の守護者』と定義した。当時、国民も、野党も、与党にいる議員さえもこの改名の意図を理解していなかった。今になってようやく、一部の人々がこうなのかなとぼんやり考察する程度だ。


 そしてその防衛隊で、起こっている出来事があると言う。渡は自身の目を擦り、頬をつねった。これは読み違いなどではなかった。ここは夢などではなかった。





 世界の守護者、防衛隊では、恐ろしい人体実験が行われているという。

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