マフィンは猫の王子様

 カラスの攻撃を受けた私は、そのまま地面に激突……とはならない。このまま落ちてたまるかー! とっさに伸ばした左手が、一本の枝をつかんだ。

 か、間一髪。何とか落ちるのを防いで、木の途中で宙づりになっちゃったけど、そんな私の耳に、マフィンの心配そうな声が届く。

『アミー、大丈夫ー⁉』

「あ、あんまり大丈夫じゃないかも。これからどうしよう?」

 状況は依然悪いまま。まだ地面まで距離があるのに、この位置からだとうまく木に足を掛けられない。しかも枝をつかんでいるのは、左手一本だけ。だって右手には、さっき見つけた鈴がにぎられているんだもの。でも、どうしよう。登ってた時は平気だったのに、下を見ると地面がやけに遠くに感じちゃう。

 マズイマズイマズイ! こんな高さから落ちたら、絶対に大ケガしちゃうよ!

『アミ、アミ聞こえるー⁉』

「う、うん。聞こえるけど」

『鈴は? 鈴はちゃんと持ってるの? その鈴を今すぐ、ボクに渡して!』

「へ? ええー、こんな時に鈴の心配なのー?」

 そんな、私が落ちちゃうかもしれないっていうのに、マフィンは鈴の方が大事なんだね、シクシク。あ、だけどよく考えたら、鈴を放したら両手が使えるようになるか。

『鈴をボクの所へ。早く地面に落として!』

「う、うん。それじゃあ落とすけど、ちゃんと拾ってね。いくよー!」

 にぎっていた右手を開くと、鈴はゆっくりと地面に向かって落ちて行く。よし、これで両手が使える。自由になった右手を伸ばして、枝をつかんだ瞬間。

 ミシッ。

 何、今の音? 見るとぶら下がっていた枝が大きくしなっていて、今にも折れそうになっている。ええーっ、せっかく何とかなりそうだったのにー! 待って待って待って。お願い、もう少しだけたえて!

 ミシッ……ミシミシミシッ!

 願いむなしく、枝は私の重みにたえられずに、ようしゃなくひび割れていく。

 マズイマズイマズイ! ああ、もしかしたら今日の給食のカレーをおかわりしたから、重くなっちゃったのかな? ごめん、明日からダイエットするから、今だけでも体重減ってくれない? だけどそんなことを考えている間にも、枝はどんどん曲がっていって、ついに――バキッ!

「キャー!」

 とうとう枝は折れてしまって、私は地面に向かって真っ逆さま。

 ど、どうしよう。このまま死んじゃうのかな? 前に事故にあった時は助かったけど、今度は……。パパ、ママ、寂しい思いをさせちゃってゴメンね。

 両手で体を抱きしめながら、ぎゅっと目を閉じたその時。

『アミ!』

 何も見えない暗闇の中、聞こえたのはマフィンの声。そして来ると思っていた衝撃はやって来なくて、代わりに誰かに受け止められたような感触が、全身を包んだ。

 え、何が起きたの? 恐る恐る目を開けると、そこには。

「へ? だ、誰⁉」

 驚いて思わず、声をあげちゃった。だって目に飛び込んできたのは、私と同い年くらいの、初めて見る男の子だったんだもん!

「ふう、間に合ってよかった」

 ホッとしたみたいに、息をつく男の子。髪の色はこげ茶色。目は緑色で、眩しいくらいキレイな顔をしている彼。この子が、助けてくれたのかなあ?

 けど安心したのもつかの間。ここで私はようやく、自分のおかれている状況に気がついた。

 男の子の腕の中で、背中と足に手を回されて横抱きに……別名、お姫様抱っこをされていることに。え、ええーっ⁉ ちょっとちょっとちょっと! 何これー⁉

 ドキンと心臓がはね上がる。パパやママ以外に抱えられたのなんて初めて。しかも相手は、初対面の男の子なんだよ! そもそも、この子いったい誰⁉

 恥ずかしさとドキドキが一度に押し寄せて来る中、改めて男の子を見る。髪の色も目の色も、とっても珍しくて、土方くんとは別のタイプの格好良さがある。そして一番の特徴は、頭の上にぴょこんと生えている、二つの猫の耳で……って、猫の耳⁉

「な、な、何それ⁉」

 信じられないことに、漫画やアニメのキャラクターみたいに、男の子の頭に生えている二つの可愛らしい耳。そしてよくよく見るとその耳には、何だか見覚えがあった。

 私はこれと同じ、とっても可愛い耳をした猫を、よーく知っている。というか、ついさっきまで一緒にいたんだけどね。信じられないけど、まさか……。

「き、君。もしかして、マフィンなの?」

「そうだよ。他に誰だっていうのさ?」

 あっさり認めちゃった! 自称マフィンの男の子はキョトンとした顔で、不思議そうに小首をかしげているけど、私の方がビックリしてるんだから!

「だ、だってマフィンは、とってもちっちゃい子猫なんだよ」

「……そこまで小さくはない」

 不機嫌そうに、プイとそっぽを向く男の子。あ、この仕草は確かにマフィンっぽい。だけどすねてないで、どういうことか教えてよ!

「前に言ったじゃない、ボクは猫の王子様だって。ほら、猫の王族って、魔法で人間に変身することができるでしょ」

 はあ⁉ ちょ、ちょっと待って! 今さらっと、すごいこと言ったよ!

「王子様ってのは聞いてたけど、魔法で変身できるって何⁉ そっちは初耳なんだけど!」

「あれ、そうだったっけ? 言ったつもりだったんだけどなあ」

 マフィンー、そんなうっかりミスですませないでよー。魔法とか、人間に変身するとか、普通はあり得ないから! ファンタジーだよファンタジー!

 動物の声が聞こえるのは受け入れてる私だって、これは受け止めきれないよ!

「で、でもそれじゃあどうして、今までは変身しなかったの?」

「もちろん、鈴が無かったからだよ。鈴が魔法の力の源なんだもん。もちろんなかったら変身できないよ。だから必死になって探していたんじゃないか」

「それも初耳!」

「それじゃあ、鈴の気配が分かるのは、鈴が発している魔力を感じることができるからっていう話は……」

「初耳! 全部ぜーんぶ初耳!」

 ああ、マフィンよ。どうやらわざとナイショにしてたんじゃないみたいだけど、大事な事なんだからさあ。そういうことは、ちゃんと言っておいてよー。マフィンにとっては当たり前の事なのかもしれないけど、私にとってはビックリすぎるんだから。

「まあボクのことは置いといて」

「え、置いといちゃうの?」

「それよりもさ、ボク言ったよね。危ないことをしちゃダメだって。なのに止めるのを無視して木に登って、カラスに襲われて落ちちゃって。いったいどういうつもり?」

 ううっ、それを言われると辛い。

「変身するのがもう少し遅れてたら、無事じゃすまなかったんだよ。カラス達も、なんてことしてくれたのさ」

 バサバサと羽ばたいているカラスを、キッとにらみつけるマフィン。

 カラス達は怖かったのか、『ごめんなさーい』って言って、どこかに飛んで行っちゃった。けど、怒るのも仕方がないかも。

「ごめんね、また無茶しちゃった」

「まったくだよ。けど、ありがとう。おかげで、鈴を見つけることができた。どんなに感謝しても、しきれない」

 そんなオーバーな。あ、でも人間に変身できる特別な鈴なんだもの。必死になって探していた理由も、今なら分かるよ。

 そしたらマフィンは何を思ったのか、横抱きにしている私を、そっと持ち上げた。

 わ、そういえばまだ、抱っこされたままだったんだ! だけどマフィンはそんな事お構い無しに、ゆっくりと私の顔に頬をすり寄せてきて……って、ちょっとー!

「ま、マフィン。何やってるの?」

「何って、お礼だけど。ほら、鈴を見つけたら、モフらせてって言ってたじゃないか」

「え、ええーっ⁉」

 そりゃあ確かに言ったけどさあ。だけどその、今それをやられるのはちょっと。だって今のマフィンは、どこからどう見ても人間の男の子なんだもの。頬すりなんてされたら、恥ずかしいに決まってるじゃない。

 けど、そういえば私も前に、マフィンに頬すりしたり、お腹に顔を埋めてモフモフしたりしたことがあったっけ。あの時は猫の姿だったけど、今目の前にいる男の子に、あんなことをしてたんだと思うと……。あわわ、なんか色々、やらかしちゃった気がするー!

「ま、待って! やっぱりモフモフしなくていいから!」

「どうして? ボクのこと、嫌いになっちゃった?」

「そ、そうじゃなくて。ああ、そんな悲しそうな顔しないでよ! マフィンのことは大好き、大好きだから!」

「よかった。それじゃあ、モフっても良いんだね」

 ふぎゃああああああ!

 甘い声を耳元でささやいて、もう一度頬を寄せてくるマフィン。

 あわわ。さっきからもう、胸のドキドキが止まらない! お姫様抱っこされて、キレイな顔をすり寄せられて。とろけるような声でささやかれて……は、恥ずかしすぎる―!

「うーん、キャパオーバーすぎて、もうダメ―」

「アミ? ああ、目を回しちゃってる。アミー、いったいどうしたのー?」

 慌てるマフィンの声が、だんだんと遠ざかっていく。

 猫の王子様とか、人間に変身できるとか、ビックリすることの連続だよ。前にマフィンは、人間の知らない不思議なんていくらでもあるって言っていたけど、確かにその通りかも。

 世界には私が知らない不思議が、まだまだたくさんあるみたい。薄れる意識の中、そんな事を思うのだった。

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