19-2 搖れる想い

 リューはライカが入り江に来たことに気づき、そっと岩陰から覗いた。


 リューは、ライカの元に今すぐにでも行きたかったが、腕にできた傷をライカに見られるのが怖くて、岩陰でじっとしていた。


 ライカは自分が来た事をリューに知らせるため大声でリューの名を呼んだ。リューはギュッと自分の腕を強く掴んだ。赤い跡が付いたが、すぐに消えた。


 ライカが入り江に来た事で、ライカがリューに怒っていないことは分かったが、やっぱり「彼ら」のことも、「彼女」のことも、傷のことも。


 ライカなら解ってくれるはずだとリューは信じていたが、絶対に―。絶対に、知られたくなかった。


 ライちゃんは優しいから、心配してくれるだろな。


 そう思ってリューは心がいっぱいになったが、やっぱりライカに知られるのは怖かった。

 ライカの心の中に心配事を、特に自分のことでライカを心配させたくないとリューは思った。


 だから絶対、ライちゃんには隠し通そうとリューは思った。


 同時に、いつか気づいて欲しいという矛盾した思いも浮かんだ。隠し通して、隠し通して、それはリューの望みなのに、ライカが気付いてくれなかったら、ずっと気づいてくれなかったら、と怖くなった。


 なんでだろうな、とリューは思った。


 きっと「彼女」が邪魔をしてるのだろう。「私」は違うんだ、「私」は「彼女」と違うんだから、「私」は心が強いのだから、とリューは思った。


 キラキラ光る波打ち際にライカは腰を降ろし、少し高い波を見ていた。ライカはリューには気付いていないようで、リューは岩陰から気配を消して観ていた。


 リューは顔が赤くなって、顔が熱くなるような気がした。熱っぽい気がした。


 其れはいつか母親がリューに教えてくれた風邪というものを思い出した。


「もし、いいえ、リューがいつか風邪で苦しんでいるにであったら、おでこを冷やしてあげてね。」

「なんで?だってお母さん、私達はかぜなんか引かないでしょう?」

「うん、そうね。私たちは風邪をひいたりしないけどね。もし、よ、リュー。」


 お母さんが言ってた風邪なのかな、人魚って風邪をひいたりしないはずなのに、とリューは母親と交わした会話を思い出しながら思った。


 パチンとリューは自分の頬を叩いた。


 ライカは砂に横になってしまった。


 リューは、ライカと話したかった。


 一緒に笑って、それで一緒に絵を描いて、一緒に遊んで。あの絵をまた見たかった。


 でも、もしライカがリューの事を嫌いになってしまっていたら。


 ライカがここにいる事でそうじゃないことは分かっていたが、リューは怖かった。


「ねえ、お母さん。私どうすればいいんだろう。」

 母親のみどり色のペンダントを見ながらリューは言った。


 リューはこんな時どうすればいいか知らなかった。


 今までも、これからも、ライカに出逢わなかったら、リューは怖がらなくってもよかったうえ、こんな気持ちを知らなくても良かった。


 すうっと泳ぎ、水飛沫をあげないように、白波に姿を隠しながら彼女はライカに近づいた。リューの白い肌と、白い服は波に隠れるのには都合が悪かったが、白波の色でかき消えた。


 ライカは眠ってしまっていたようで、起きる気配はなかった。


 浜に上がって、ライカの顔を覗き込んだ。


 すぐ寝ちゃう人だな、とリューは思った。リューは人のことは言えないが、ライカは昨日も夜遅かったに違いない。


 リューのキャンパスは伏せられていて、ライカが約束を守ってくれていることが嬉しくて、ライカに抱きついた。


 リューはライカの腰に手を回して、ライカの背中に顔を埋めた。


 ライカは、絵の具や紙の香りがした。


 いい匂い、ずっとこうしていたいな…。とリューは思った。砂粒が頬に付いて、切り傷がピリッと痛んだが、ライカの近くに居れる幸せに埋もれて消えた。


 ライカが眠ってしまっていて、リューは残念だったけれど、それと同時に安心した。リューはライカのその優しい薄茶色の瞳で見つめて欲しかった。


 ライちゃん、お母さんみたい…。大好き。


 そう思ってリューはギュッと力を入れた。


 リューは気付いていなかったが、ライカが好きだった。


 母親への好きではなくて、どちらかと言うと母親から訊いた御伽噺で、王子様とお姫様が恋に落ちるような、そんなような好きだったが、その気持ちはまだまだ微かで、リューは気付けなかった。


「ライちゃん、もう怒ってない?」

 リューはライカを起こさぬようにそっと訊いた。返事はない。


「ライちゃん。ライちゃんは私のこと、どう思ってる?」

 リューはライカに訊いた。やっぱりそっと、起こさぬように。


 ライカはもう起きていて、リューに気付いていたが、リューは知らなかった。


「私はね、ライちゃんが好き。」


 パッと頬が赤くなってリューは言った。

 リューの心の中のライカへの想いが強まったが、リューは気付かない。


「ねえ、ライちゃん…。私はね、私、ライちゃんとずっと一緒にいたい。だけど…。」


 リューはライカとずっと一緒にいたかった。


 一緒に生きたいと思った。


 だけど、其れは出来ない。


 人魚は死ねない。


 


 リューには、何故母親が不死身の事を嫌いだったのか、「呪い」と言ったのか、判った。


 私は、ずっと生きて、ライちゃんはいつか、私より先に死んじゃうんだ。ずっと一緒にいることは赦されない。


 嗚呼、呪いだ。


 理不尽、理不尽だ。酷い仕打ちを、何で?


 憎らしくて、悲しい呪い。


 リューは決して自分を嫌い、歪んだ正義感を振りかざす村の人や「彼ら」に憎悪を抱くことはなかったが、人魚が死ねないような呪いを、呪いそれを与えた、神様ヴォートンを憎んだ。


 歯を食いしばったって、其れは変わらぬ、変えられぬ事実。


 嫌だ、そんなの、とリューは思い、涙が出た。憎しみの涙ではなくて、悲しみの涙だった。リューはライカが寝ているのだからと涙を流す。


 蒼い世界の住人達が先に死んでしまうのは悲しかったが、ライカを想うともっとずっと、母親が死んでしまった時ぐらいに悲しかった。


 何でそう思うのかわからなかった。


 リューはライカなら、自分を救ってくれるような気がした。


「リュー」と「彼女」はおんなじ思いだった。


「あっ…。」


 もそり、とライカが動き、リューは焦った。


 起こしてしまった、涙を見られてしまう、とリューは急いでライカから離れ、海に逃げ帰った。


「リュー!」


 ライカがリューを呼び止めようと大声で叫んだ。


 その声で振り返る。


 ライカは笑っていて、怒っていなさそうだった。まるでリューが来てくれて嬉しいというような笑顔で。水の中からで歪んで見えたけれど、とても優しい、強い笑顔だった。


 ライちゃんは気付いてたんだ、全部。


 ライちゃんへの想いも、泣いたことも、全部。


 リューは怖くなったが、同時に聞いてもらって嬉しかった。何者でもない、ライカに訊いてもらって、嬉しかった。


 蒼の洞窟へ戻ったリューは、呪いが嫌で、ライカとずっと一緒に生きれないことが悲しくて、泣いた。


 泣き魚なきむしの自分が嫌で、呪いが嫌で、悲しくて―。


 ライちゃん、ずっと一緒にいられなくて、悲しい。


 リューは、ライカなら―。


 ライカなら、答えが分かる気がした。

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