19-1 揺れる想い

「リュー、おーい!アタシだ、ライカだ!」


 誰も居ない海に叫んだアタシの声は、寂しく入り江に響いた。


 リューに届くかわからない。


 来ないよね、とアタシは自嘲気味に笑って、砂浜に腰を降ろした。


 ざあっ、ざあっ、と昨日より幾らか強い音を立てて打ち寄せる波の音を、聞いていた。


 キラキラと太陽の光を受けて輝く水面に、チャポンとあの音を立てて、リューが来てくれないか、待つ。


 波の音は、いつもは嫌なことを洗ってくれるが、今日は虚しさややるせ無さを感じさせるだけ。リューの笑い声の響かない入り江は、寂しくって、哀しい。


 はあ、と大きくため息をついて、砂に身を預ける。ポスッと軽い音を立てて、砂浜はアタシの身体を受け止めた。でもその音は重く感じた。


 嗚呼、昔は、独りの時は、こんな静かな入り江が大好きだった。


 だけど。


 だけども、もう此処はアタシだけの場所じゃない。リューから貰った石を嵌めたペンダントを見ながらアタシは思う。


 此処はリューの場所で、アタシの場所だ。 


 


 アタシの、リューの、秘密の入り江。


 知らなかったんだ、アタシ。


「友達」のことも、「大切な人」のことも―。


 その意味も、存在も。


 本当は、「彼女リュー」に気づいていたのかもしれない。


 なのに、馬鹿だなあ、アタシ。


 伸びをしたアタシの手が、ほうったキャンパスや画架イーゼルに当たった。コンテストのキャンパスは、あの時から全く進んでいなかった。


 リューの絵を、あのリューにあげた空白のキャンパスの上に置いて、砂に塗れぬように、見えぬように伏せて置いた。


 彼女の絵を見たくなって手を伸ばしたが、やめた。彼女の絵を見れば、何を彼女が考えているかわかる気がした。でもそれは、凄く怖くて。


 アタシがリューを裏切ってしまういうことも怖かったが、何故か彼女がアタシの事をどう思っているか知りたく無かった。


 あーあ。


 なんてアタシは馬鹿で、幼くて、寂しがりやで、臆病で、弱くて―—。


 波の音を聞きながら、アタシは横向きに寝返りを打った。


「ふあぁ。」


 アタシはあくびをした。


 自分のことが嫌いになって、眠ってしまえば、何故かリューは戻って来てくれるような気がした。


 ………


 ひやっとした何かがアタシに触れて、目が覚めた。


 リューの体温にそっくりな、そんな冷たさ。リューが戻ってきてくれたのかと思って、ゆっくりとアタシは薄く目を開けた。


 なんだ。


 脚に波がかかっていて、潮が満ちてきただけだった。


 動こうとすると、誰かにギュッと腰に手を回されていて、服が濡れていることに気がついた。



 力は弱々しくて、振り払おうと思えば振り払えるようなものだった。だけど、アタシは振り払ったりしない。


 だって―。


 心地いい彼女の体温がアタシの身体を冷やしていく。ふうっと彼女のいい香りがした。


 アタシは眠っているフリをした。アタシが起きていることに気付いたらきっと彼女はまた海に戻ってしまう気がして、怖かった。


「ライちゃん、もう怒ってない?」


 アタシは怒ってない。リューが怒っていてもいいものなのに、彼女はアタシに謝った。


 彼女を苦しめるものはなんなのか。


 アタシは、それを消したい。


 この気持ちは、友達として、なのだろうか。


 どんなものだろうと、リューのためなら、リューを苦しめるのなら、消してしまおう。


「ライちゃん。ライちゃんは私のこと、どう思ってる?」


 リューが「眠っているライカ」に訊いた。アタシを起こさぬように、呟くように、そっと云った。


「私はね、ライちゃんが好き。」

 リューが静かに云う。


 でもそれは、きっと「友達」としての「好き」なんだろう。


 何処かに、アタシの心の何処かに、何故か判らなかったが、判っているのに、残念がるライカがいた。


 アタシは―。


 アタシは、リューの事は「友達として好き」だ。


「ねえ、ライちゃん…。私はね、私、ライちゃんとずっと一緒にいたい。だけど…。」


 アタシの服がじんわりと濡れた。彼女の手が震える。彼女の涙が、アタシの服を濡らす。彼女が何故、涙を流しているのか、どうしてそんなに悲しいのか、アタシには理解できなかった。


 アタシは起き上がって、リューの涙を止めたかった。


 ただただ、彼女を抱きしめて、なんでそんなに悲しいのか―。何がそんなに彼女を悲しませるのか。彼女を悲しませるものを、消したい、と強く思った。そこにはもう、あの変な感情はなかった。ただ、リューを苦しめるものが、憎かった。


 アタシは身体を捻って。それで、起き上がってリューを抱きしめてしまおうとして、上半身を動かした。


「あっ…。」


 小さく悲鳴のような声を上げて、リューは手を引っ込めた。パタッと砂を巻き上げて、リューは急いで海に戻ってしまった。


「リュー!」


 バシャンと大きな音を立てて戻って行ってしまった、リューの名を叫んだ。


 彼女に謝りたくて、また彼女の声を聴きたくて、涙が出てきそうになった。


 グッと涙を堪えて―。怒ってないよ、という笑顔を海に向けた。彼女がアタシの笑顔を解ってくれたのか、判らなかったが。


 きっと…。


 きっと、解ってくれたに違いない。

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