17-2 リューの想い
「こんな顔じゃあライちゃんに会いに行けないや。」
蒼の洞窟の中でリューは笑いながら呟いた。手には鏡の欠片―。最も、リューが鏡だということは知らないが—。
彼女の笑顔に反して、彼女の瞳には涙が浮かんでいた。涙は海にすぐに消えたが。
やっぱり口の中が切れてしまったようで、ツンと傷んだ。外には蒼い世界の住人達が心配して、泳ぎ回っていたが、リューのことを知っている彼らは、蒼の洞窟の中に入ることはなかった。
リューはライカにだけはこのことを知られたくなかった。いや、蒼い世界の住人達にも、心配して欲しくなかった。
リューは自分だけ不幸で有ればそれでいい気がした。
なんだか、自分の事を心配してくれたみんなにも自分と同じようになってしまうような気がして怖かった。
彼女は母親の鮮やかな
またお母さんに会いたいな、きっと優しく撫でてくれるはずだ―。
殴られた痛みより、投げかけられた言の葉の刃で抉られた心の痛みの方が痛かった。
なんで私が、とリューはいつも思うのだがそれが憎しみに変わることはなかった。それは恐れに変わり、痛みに変わった。
唯々、リューは怖くて、悲しくて、逃げるだけだった。
「治るまでライちゃんに会いに行けないなあ。」
大きめの独り言を言い、鏡の欠片を放り投げて、リューはライカを想い浮かべた。
ゆっくりと鏡の欠片は落ちていく。カラリと音を立てて、蒼の洞窟の底についた。
優しい薄茶色の瞳、少年のような顔立ち、日に焼けた肌。彼らとは違う、ライカの優しい笑顔を想い浮かべると、幾らか胸がドキドキして、傷の痛みも引いた気がした。
ライカが動揺しているのにも関わらず、自分だけ先走って、勝手に傷ついて。
何よりも、ライカが「彼ら」とは違うのに、突き飛ばされて、怖くて悲しくて。それでライカが「彼ら」に見えてしまった自分に。
ライカの前では泣かないように、偽りの元気で悩みのない「リュー」を演じていたが、本当の弱っちくて、怖がりの「リュー」が
なんだか本当の自分を自分で殺しているみたいだな、とリューは思ったが、ライカと一緒に居れればそれで良かった。
いつしか、
「彼女」がいなくなっても、悲しくない気がした。
しかしそう簡単に「彼女」はいなくなってくれない。
それどころか、傲慢にも「彼女」はライカに助けを求めて、リューの心にしがみついて消えてくれなかった。
ライカには悲しみごとが分からないように本物の自分を心に閉じ込めて、ライカと会っている時には出さなかった。それでも、独りや夜のときは「彼女」が出てきて、悪夢を見せたり、悲しいことを思い出させたりして、リューとライカに助けを求めた。
何をしても「彼女」は消えてくれなかった。
ただ、あのときは―。
ライカが、真っ白なキャンパスをくれたとき。
一緒に描こうと言ってくれたとき。
「彼女」がリューやライカに助けを求めることはなかった。リューは「彼女」と楽しさを分かち合えた気がした。リューは、本当の自分も、偽りの自分も、全部自分だと思った―いや、思うことができた。
ライちゃんは、「彼女」を受け入れてくれるだろうか。そう思って、リューは不安になった。
ぺたんと洞窟の岩に横たわって、岩の天井を見上げた。
薄暗かった。
嗚呼、私ってなんだろうな、とリューは思い、耳をすませた。夕暮れに、洞窟の入り口は朱く染まっていた。
サアッと音がして、ライカの足音が聞こえた。その音は重く、哀しさを孕んでいた。
ライちゃん、来てくれたんだな。
リューは嬉しくなったが、ライカが怒っていないか不安になった。
リューは今すぐにでも行って、ライカの中に飛び込んでしまいたいと思った。そこで涙を、悲しみを、痛みを、苦しみを全て流してしまえば、リューはこの
でも怖くてできない、心の奥底を操る「彼女」がいるから。
もし、この世界に
リューは
早く治らないかな、とリューは思い、殴られた時にできた痣を見た。
血が出ていたような、少し深めの切り傷も、もう薄い皮膚が張っていた。
「子供は元気だからねえ。傷もすぐ治っちゃうんだよ。」
そんな母親の言葉を思い出しながら傷を眺めた。
彼女には「呪い」のせいで早く治っているように思えた。
こんな時に呪いって便利だな、とリューは思った。
一番大きな傷は、引き摺りだされた時、母親の衣装箪笥のドアにぶつけた時にできた、肩の痣だった。これが治ったら、ライちゃんに会いに行こう。
そう思って、リューは早い眠りにつくことにした。
彼女は知らなかったが、背中にも大きな痣が、人魚の「呪い」でもすぐに治らないくらい深いところでできた、痣があった。
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