17-1 リューの想い
「うぅ。うっ。」
少女―もといリューは、泣いていた。涙はすべて海の一部となって消えた。リューの周りには、蒼い世界の住人達が心配しているように忙しなく泳ぎ回っている。
あたりには彼女の嗚咽が
ついさっきまで笑顔だった彼女は、友達のライカと喧嘩をしてしまったばかりだった。喧嘩では無いのかもしれないが。
絶対に嫌われた、そう思って、彼女の感じる自己嫌悪は増していく。彼女を突き飛ばしたライカが村の人魚達のように見えた。
いやだ、嫌われたく無い、ライちゃんにだけは―。ライちゃんは、あの
彼女には、ライカ以外の友達はいない。なぜなら。
なぜなら、彼女は村中の嫌われ者だったから。
彼女の鮮やかな蒼い瞳の色や明るい髪の色は村の人魚達とは違っていた。それだけが彼女が村中からのいじめを受ける原因では無かったが、少なくともそれも原因の一つだった。
彼女の母親がいなくなってから、いじめの酷さは増した。
こんなとき、母親に相談したら彼女はなんと言うだろう。
大丈夫、そんなことで友達はいなくならないよ、と言うだろうか。
それとも、明日謝りなさい、今日は休みなさい、と言うだろうか。
しかし、彼女に確かめることは出来ない。
そんなことを思って、また悲しさがこみ上げてきた。母親が恋しくなったリューは、母親との思い出が詰まっている自分の生家に行くことにした。
リューの生家は村の外れにある。村の人魚達がほとんど来ないところだった。この立地こそ、彼女の母がこの村を出て行かなかった一つの理由であったが、リューはそれを知らない。彼女は、母親がここから出て行かなかったことを不思議に思うだけだった。
夜を待ち、村の人魚達に気付かれぬよう、彼女はそっと家の中に入った。
家の中は月明かりがあったが仄暗くなっていた。もう五、六年ほど使われていないのにもかかわらず、綺麗だった。珊瑚や海草は生えておらず、魚達の住処にすらなっていない。彼女は月二回ほどここへ来て、夜の間掃除をしていくからだ。
母親の部屋に入ると、誰かが家の中に入って来る気がしたので、急いで母親の衣装箪笥に身を隠した。
ジッと息を潜めていると、やがて気配はなくなった。気のせいだったのかもしれない。
彼女は安堵の溜息を漏らし、衣装箪笥のドアに手を伸ばした。
カタンと何かが落ちる音がし、彼女の心臓が跳ね上がる。
そっと箪笥の外を見て見たが、誰かに聞かれた様子は無かった。月明かりが箪笥の中を照らし、音の主の姿が見えた。
それはキラキラ光る、宝石だった。彼女が朝見つけたものよりも深い深い、美しい
キレイだなあ、そう思ってリューは箪笥の中にもう一回入った。
暗さが懐かしくって、嗚呼、お母さんとこうやってかくれんぼうをしたっけ。私が探すとき、お母さんはいつもここに隠れていたなあ。
服にはもう母の香りなど残っていないはずなのに、懐かしい香りがまだある気がした。
………
箪笥の隙間から漏れる朝日で彼女は目覚めた。久しぶりによく眠れたな、という安心感より、朝になってしまったという絶望感が彼女にのしかかる。
どうしよう、みんな起きちゃう…という焦る気持ちを抑えて、彼女は慎重に動こうとした。
その時。
一階の居間からカシャンという音がした。何かが落ちた音。
ここは廃墟になっていると認識されているため、開けっ放しの入り口から大きな魚達が隠れ家を求めてやってきたり、村の人魚達が訪れることもある。
大抵、魚達も人魚達も気に入らずにそのまま帰ってしまうが、万が一を考えて彼女は魚が帰るのを息を殺して待つことにした。
しかし、二階の部屋のドアを開けたりしていることからそれは魚では無いと彼女は気付く。
ギュッと母親の服を、ペンダントを握り締めて、その人が去るのを息を殺して待った。
トンっと軽い音がして、その人が母親の部屋に入ってくることがわかった。彼女は怖くて、ただ震えていた。見つかったら何をされるかわからない。殺されはしないが、暴力は振るわれることは分かっている。
お願い、早く帰って…。ここを見つけないで…。という彼女の願いも虚しく、カタッと音を立てて衣装箪笥が開けられた。
明るい日の光が目に入ってきた。
目がチカチカして、怖くて縮こまる。カタカタと彼女の身体の震えは大きくなっていた。
「おい、おまえ!」
大きな声で怒鳴られ、彼女は声にならない悲鳴を上げた。
声の主は強い力でリューの腕を掴み、箪笥から引き
「何やってるんだ!」
そうだった。このひとはここを引き取ったひとなんだっけ。それじゃあ、私は―。
ギュッと目を瞑り、母親のペンダントを握り締めて、彼女は振るわれる暴力に耐えた。暴力だけではなく、言葉の刃も振るわれた。
言の葉の力は時に力よりも勝る。
彼女の昔受けた心の傷よりは小さかったが、チクチクとその傷を言の刃は
心に振るわれる言の刃と、身体に振るわれる拳の数々に傷つけられた彼女は、抵抗せずに、ただ悲しくて、痛くて、怖くて、震えていた。
彼は歪んだ正義感に駆られて、気の済むまで彼女を殴った。
彼は殴ることに飽きたのか、それともやり過ぎたと微かながらも感じたのか。彼は彼女の髪を乱暴に掴み、村の外に放り出した後、勝ち誇ったように、彼は「
嗚呼、あの人はやり過ぎたなんて思ってないんだ…。
鼻血が出ていて、あたりが赤く見えた。彼女はただただ震えて、しっかりとペンダントを握っていただけで、絶対に抵抗しなかった。ただ、小さく縮こまり、終わるのを待っていた。抵抗しただけ、歪んだ正義感に拍車をかけることは分かっていた。
人魚は、どれだけ
いや、死ぬことは
痛みに耐えながら彼女は蒼の洞窟に泳いで戻った。唇が切れたのか口の中が切れたのかわからなかったが、彼女は血の味を感じた。鱗の、腕の擦り傷が、切り傷が、悲しみと痛みをより強くした。
珊瑚と海草の森の住人達は、心配して彼女の後を追ったが、彼女は彼らに笑顔は見せなかった。
蒼の洞窟の中で横になり、彼女は悲しくて、痛くて、震えながら今は亡き母親を想った。
死ぬことを
彼女の母親は、これを「呪い」と言った。
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