16 ケンカ

 鼻歌を歌いながらリューが絵を描いていた。アタシはポーッと彼女を見ていた。リューはアタシの目線に気づいたのか、アタシの方を振り返った。


 彼女の整った顔、蒼い瞳、白い手、華奢な身体がアタシに近づいて―。


「ふわっ!り、リュー!ち、近!」


 アタシはびっくりして後退りしてしまった。リューは不審そうに眉根を寄せた。


「?ライちゃん今日ちょっと変だよ?」


 彼女はアタシに近づいて言った。彼女の蒼い瞳が揺れる。


 そのまま彼女のあの…夢だったが、柔らかな、蕩けるような口付けをされるのか、と思ってアタシはギュッと目を瞑った。


 ひやっとした手がアタシの額に置かれた。


「…?うわ!な、何?」


 アタシはついつい強い言い方になってしまった。


「なんだか顔が真っ赤だったから…。」


 リューはアタシの額に乗せた手をどけた。


「私何かしちゃった…?怒ってる?」


 リューは泣きそうな顔をした。みるみるうちに瞳に涙が溜まっていく。友達だったら心がぶつかることなんてあるだろうに。アタシは怒ってないけれど。


 自分の…なんというか、変にリューを意識してしまうことに腹が立っている。


 夢の中では結構いろいろしてくれたが…。


「大丈夫。」


 アタシは出来るだけ赤くなるのを抑えて笑って言った。


「本当?」

「うん。本当。」


 アタシは誤魔化すようにキャンパスに目を落とした。夢のせいで全く進んでいない。


「ライちゃん、昨日ね、楽しい夢を見たの。」


 どんな夢だったのだろうか。アタシは、最初の方はいい夢だった。最後の方は―。


 耳が赤くなる気がして、慌てて考えるのをやめた。


「ふうん。どんな?」


 照れ隠しをするためにぶっきらぼうな言い方をした。


「ライちゃんと一緒に海の中を探検したの。とっても楽しかったなあ。うふふ、海草と珊瑚の森でみんなと遊んで、ヴォルトーン海溝までお散歩して…。それから…。」


 リューは気にせずキラキラと、純粋な瞳で言った。アタシはちょっと気まずい感じで聞いていた。だってアタシは…。


「そ、それから…。」


 ふっと彼女の纏っている空気が変わり、恐怖を帯びた。彼女の肩が微かに震えている。


「どうした?リュー。」


 アタシは彼女の白い肩に触れようとしたが、夢のことを思い出してやめた。


「…ううん、ごめん。なんでもない。ちょっと…。」


 彼女はアタシの方では無く、入り江の入り口を見ていた。あっちに何かあるのだろうか?


 立ち上がって入り口のほうに行った。彼女を怖がらせるものでもあるのだろうか。


「ライちゃん…。」


 リューが小さく言ってアタシを引き留めようとしたのか、アタシは無視をして入り口に行った。彼女から離れる口実を作ることもあったが、何があるのかが気になった。


 見てみたが、何もいなかった。アタシが来た時のだろうか、古い足跡が残っていただけだった。


「何にもいないよ。」


 リューは安心したのか、笑顔を浮かべた。


「よかった。ライちゃん。それからね、これ。またキラキラ光るの落ちてたの。」


 今度は、淡いみどり色の石だった。二日続けて綺麗な石が落ちていることなんてあるのだろうか。


「ライちゃん?」


 まあいいか。


 鉱脈かなんかがあるのだろう。夢のことを考えながらアタシはボーっと聞いていた。


「ねえ、ライちゃん?」


「んー?」


「ねえ、ライちゃん?やっぱり今日なんかおかしいよ?どうしたの?」


 ずいっとリューはアタシに詰め寄った。彼女のほっぺたが微かに赤い。つややかな唇、潤んだ瞳、整った眉…。


 ドキドキとアタシの胸が早鐘を打つ。


 ギュッと目を瞑り―。


「うわっ!」


 ドンッ。


「きゃあっ!」


 彼女の悲鳴が入り江に木霊した。


 アタシはびっくりして彼女を突き飛ばしてしまった。彼女は悲鳴を上げ、肩から砂浜に倒れた。彼女のほっぺたは砂まみれになってしまった。


「り、リュー!ごめん、アタシ…。」


 リューは倒れ込んでしまった方の肩を押さえてゆっくりと起き上がった。彼女の瞳には大粒の涙が浮かんでいる。涙を落とすまいと彼女は唇を噛んでいた。


「…ふっ。うぅ…。」


 彼女の嗚咽が聞こえる。必死で涙を堪えている。


「本当ごめん、リュー…。」


 リューは震えていた。彼女に触れようとしたが、彼女はアタシの手を払って、背を向けて海の中に戻っていってしまった。


 アタシの足に彼女の涙が垂れた。


 嗚呼…。人魚の涙なんて、真珠になんてならないじゃ無いか―。


「リュー…。」


 引き留めようとするアタシの声を掻き消すように彼女は尾びれで大きな水飛沫をあげた。


 アタシの顔に水飛沫がかかった。


 引き留めようと、手を伸ばしたが、彼女には届かなくって。首に下げたペンダントは、悲しそうな色に輝いて見えた。


 アタシがリューを突き飛ばした…?


 アタシは…。アタシはっ…。


 目頭が熱くなって、ほっぺたが微かに濡れて。アタシはそれをグシッと強く、乱暴に拭った。


 爪で傷つけてしまった目蓋から血が滲むのがわかった。

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