15 夢

「ラーイちゃん。こっちこっち。」


 岩場に腰掛けたリューが、アタシを呼ぶ。

 ふんわりと乾いた彼女の髪はゆらゆらと風に揺れている。


 アタシは彼女の近くまで、海に落ちぬよう、慎重に岩に登っていく。


「ふふふ。ライちゃん、私のこと、好き?」


 にこやかに彼女は笑い、アタシに訊いた。


 決まってるだろ。


「うん。大好きだよ。」


 柔らかく笑って、リューはアタシの手を握った。彼女の体温は低いはずなのに、握った手がじんわりと暖かい。


「じゃあ、行こ?」


 どこへ―?と聞くや否や、リューはアタシの手をグイッと引っ張っり、海に引き込んだ。


 彼女の力は強く、アタシに逃げる術はない。


 ヤアコ貝の真珠を飲み込んでいないにもかかわらず、暖かく色鮮やかな蒼い世界は、アタシを受け入れてくれた。


 リューに手を取られ、蒼い世界を探検する。


 不思議と、彼女の声や、蒼い世界の住人たちの声が聞こえた。


 沢山の住人たちは暖かく迎えてくれた。


「ふふっ。ライちゃん。」


 スルッとリューの白く美しい手が、アタシの首筋に触れた。ほっぺたが赤くなった気がしたが、もう、リューには隠さない。


 こっちだよ、と言って彼女は蒼の洞窟に入っていった。


 住人たちの熱い歓迎を受けていたアタシは、彼らに手を振り、リューの後を追う。


 深い深い蒼の洞窟を、リューを追いかけて潜っていく。


 蒼い、海色の光が溢れている行き止まりの広場に着いた。リューは微笑んでアタシを待っていてくれた。


「ライちゃん。」


 彼女の細い指がアタシの首を、頬を、顔を撫で―。


 彼女のふっくらとして艶やかな唇が近づいてきた。


 そして―。


 彼女の唇が、アタシの唇に触れた。


 彼女の唇は、とても柔らかかった。頭の奥が、蕩けるような、ジンと暖かくなるような。そんな感触だった。


 リューは一通りアタシの感触を楽しんだのか。もっとこの感覚を楽しんでいたい、この感触に溺れていたい、というアタシの願望とは逆に、リューはキスをやめてしまった。


 しばらくその感覚に酔いしれていると、リューがアタシの顔を覗き込んだ。


 リューの瞳は、水の中なのに、潤んで見えた。彼女もまた、アタシと同じように頬を紅潮させていた。


「ライちゃん。私、ライちゃんのことが好き。」


 彼女の潤んだ瞳の中に、狂気のような光が灯っている。


「アタシもだよ、リュー。」


 アタシは狂気の光を無視して、彼女の華奢な身体を抱きしめながら言った。アタシが押し倒した彼女の髪がゆっくりと揺れる。年齢の割には豊かな彼女の胸の柔らかな感触が伝わる。水の中なのに、彼女からはあのいい香りがした。


「ライちゃんとずっと一緒にいたい…。」


 彼女は哀しいような笑顔を浮かべて、アタシの手を解き、起き上がりながら言った。その姿もまた可憐だ。


「だけど、私は人魚。ライちゃんと一緒に生きれない。ライちゃん…。」


 アタシの横にちょこんと座り、彼女は俯いて言った。アタシは俯き、哀しそうな彼女の頭を撫でた。


 パッと顔を上げて、にこっと彼女は笑った。その笑みは、狂気じみているような気がした。


「だから、ライちゃん。一緒に眠ろう。この深い深い、海の底…。二人だけの蒼い世界で…。」


 そう言って彼女は何処から出したのか、美しい装飾の施された翡翠でできた銀の短剣を手にした。


「ライちゃん。」


 哀しそうな嬉しいような不思議な表情を湛えて彼女はアタシの名前を呼んだ。


 止めようとしたいのに、リューの作り出す美しい光景に釘付けになってしまい、体が動かない。


「リュー、何を…?」


 ふふふ、と優しくリューは笑い、短剣を自分の胸にかざした。


「私はずっとライちゃんのものだから。」


 リューは迷い無く自分の胸に短剣を刺した。痛みの悲鳴もなく、光の無くなった瞳で彼女はアタシに笑いかけた。


 彼女はゆっくりと倒れ、光の消えた瞳を閉じた。


「リュー!」


 アタシはゆっくりと倒れてゆく彼女を受け止め、肩を抱いた。


 アタシには心臓を短剣で貫かれた彼女に何もすることはできない。


 すうっと彼女の紅潮した頬から、白い肩から、手から血の気が引いていく。


 彼女の身体から力が抜け、彼女の胸に刺さった短剣の柄を伝って、彼女の血がアタシの顔を染める。


 洞窟内に血の、鉄のような匂いが広がり―。


 ………


「夢…?」


 アタシはアトリエの薄暗い古びた天井を見上げて呟いた。


 布団はアタシの汗でびっしょりと濡れていた。


 汗の、暑さのせいだろうか、こんな夢を見てしまったのは―。


 それにしても、妙に現実的リアルな夢だった。リューがアタシに好きだと言ったこと、彼女の身体を抱きしめたこと、彼女の唇の感触、キスをしたことを思い出して顔を真っ赤にしながら思った。


 夢は心の海を表すと聞く。


 あれが、リューのことが大好きだってことが、リューがアタシにキスをしたことが。彼女をアタシのものにしてしまいたいっていうのがアタシの願望なのだろうか。


 それにしても、彼女とのキスは蕩けるような…。


 バチンと火照った頬を叩き、我に帰る。あれは夢。夢だ。


 これじゃまるでアタシがリューに恋しているみたいだ。彼女は友達で、そんな関係じゃない。彼女にはもっと素晴らしいひとがいるはずだ。例えば彼女の村の人とか。


 そう考えると、少し胸がギュッとなった。


 この気持ちはなんだろう。


 嫉妬じゃない。独占欲恋心…?いやいや、彼女は友達だぞ?


 なんだか今日はリューに会いづらい。あんな夢を見てしまって…。リューに合わせる顔が無い。


 しかし、彼女と交わした約束を破ることはできない。コンテストもある。


 窓辺から漏れる朝日の光は、アタシのもやもやした気持ちとは全く違っていた。

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