14 ディーン・レイサ

 リューと別れ、砂浜を歩いていく。


 向こう側から、あの男が歩いてきた。夕方も散歩をしているのだろうか。


 アタシはとりあえず、関係ないぞと言うように俯いて歩いていく。


 あいつは、苦手だ。


 なんだかぐいぐいくる。リューも積極的だが、なんとなく心地いい積極さだ。彼女の楽しい色の浮かぶ、瞳の奥に感じる…。なんと言えばいいのだろうか。憂い、哀しみ…?それがそう感じさせるのか。


 ―それとも、友達だからなのだろうか。

 

 そう考えた時、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、胸の底、奥の方が、ズキッとした。


「あの…。」


 アタシとすれ違おうとしたとき、そいつが話しかけてきた。


「なんだ。」


 めんどくさいなあ、と思ったことを遠回しに伝えようとして、ぶっきらぼうさを声に含ませた。なのにこいつは話を続ける。


「ライカ…ですよね。ライカ・ラクーン。ラクーンの時計屋の。」


「なんでアタシの名前を…?」


 こんな奴知らない。会ったことすら、この間の一回だけのはずだ。


 それに、ラクーンの名は捨てた。アタシはもう、ラクーンの時計屋あそこの子じゃない。


『画家のライカ』だ。『ライカ・ラクーン』じゃない。


「あの、おれ、覚えてない?ディーン。ディーン・レイサ。学校で一緒だった…。肉屋の。」


 そいつは急に馴れ馴れしくなった。


 このおどおどした感じ…。


 ディーン・レイサ…。


 思い出した!


 あの太っちょの子だ。こんなに背は高くなかったはず。


 そう思ってアタシは疑いの目を向けた。ディーンはそれを感じ取ったのか、


「っ背!背が伸びたんだ!」


 ディーンは赤くなって言った。


「ふうん。じゃあな。」


 疑いの目を向けただけで、訊いてはいない。特に興味もないので、アタシはその場から去ることにした。


「ま、まって!」


 グイッとアタシの肩を掴んで、ディーンはアタシを引き留めた。そのおかげでリューの大切なキャンパスが落ちかけ、砂にまみれてしまうところだった。


 キッとディーンを睨むと、彼はごめん、と小さく謝った。


「あの、あのさ。入り江、大丈夫だった?」


 心配される筋合いなんてない。彼とは学生時代、ほぼほぼ話していないから。


 プレゼントは貰ったが、彼の制服のボタンという意味の分からないものだった。卒業の日に渡されたのだから、もっと意味がわからない。


 きっと今頃、アタシの妹の学生服にでも使われているんだろう。


「はあ?大丈夫だったに決まってるさ。言っただろ、あそこには恐ろしい人魚なんていないって。」


 は。人魚リューはいるけど。


「でも…。あそこは…。」


 もじもじと言う。ディーンは変わってないな、学生時代の時とおんなじだ。


「じゃあな。アタシは忙しいんだ。」


 こんなところで時間を無駄にしたくないアタシは踵を返して歩き出そうとするが、


「ま、まだ、まって!」


 ディーンはまたアタシを引き留めた。今度は画材を抱えた腕を掴まれた。力は強かったが、振り切れないほどではない。


「なんだよ。ちょっと、離せよ。」


 苛立ちながら彼に訊いた。彼の手にグッと力が入るのを感じた。アタシに何か言おうとした表情を浮かべていた。


「あの、もうあそこ…入り江に行っちゃダメだ。あそこは危険だ。」


 バカのひとつ覚えみたいに―。


 噂だけで判断する奴ら街の人達と同じようなことを彼は言った。


「ふうん。なんでそう言い切れるんだ?」


 アタシはディーンの手を振り払おうとしたが、画材のおかげで力が入らず。振り払えなかった。


 アタシは彼に詰め寄って訊いた。彼は少したじろいだ。


「だってあそこには、人魚が、人を殺す人魚がいるんだろう?」


 彼は青くなって言った。


「だーかーらー。いないって言ってるだろ!」


 幼子が駄々をねるようにアタシは言った。怒ったときように顔が火照っているのを感じた。


「おれが、あそこが危険だってことを証明できないように、君もあそこが大丈夫だなんて証明できない!」


 彼は勝ち誇ったように高らかに言った。


 すでに日は水平線の彼方に沈みかけ、夕焼け色に霞んでいる。


「ふん。アタシは…。」


 アタシは少し俯きながら言った。夕焼け色が眩しくて、目がチカチカする。


「アタシはね。証明できるんだ。ただね―。」


 顔を上げ、水平線の彼方に沈む太陽を見た。


 それは今日も美しくて。入り江で、彼女と一緒に見ることができたら、どれだけ楽しいだろう。


 沈黙が続く。


 波の音だけが、波が砂をさらっていく音だけが、アタシを包んでいた。


 スッとディーンの方に向き直る。

 ディーンは、彼はもうアタシの腕を離していた。


「ただね。約束したんだ。」

「誰と…?」


 彼は何故か怒気を孕んだような声色で言った。しかし、アタシの心は穏やかで。


 そう、アタシだけの、約束。


 彼女のことを。


 友達を、絶対に傷付けない、裏切らないって。


 ディーンは、彼はアタシのことを友達かなんか―。


 親しいうちの誰かだと思っているようだが―。


 ディーンは、今までも、これからも、アタシの友達リューを危険だ、とアタシの前で言い続ける限り。


 アタシの友達なんかじゃない。


「じゃあな。」


 アタシがそう言っても、彼はもうアタシを引き止めることはなかった。


「気をつけて…。」


 彼は消え入りそうな声で別れをアタシに言おうとしたが、アタシはクルリと背を向け、何も言わずにディーンと別れた。


 ディーンは何か言ったようだったが。


 彼の声は、波にさらわれたようで、聞こえなかった。

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