11 思い出話

 リューと別れ、アルレアネに向かう。


 閉店間際まで待たねばならないことを思い出したが、まあいいだろう。


 だってあそこ人いないし。と思うが、昨日のことを思い出し、足がすくんだ。


 アイツがまた今日も来るはずがない。そう信じて、アルレアネに向かった。


 ドアに手をかけると人っ気は全くなかった、というか休業の札が下がっていた。アタシは気にせずそのままアルレアネの店内に入った。


 店内には、休業とは思えぬほどに煌々とした灯りが灯っている。店長はその煌々とした灯りの中なんと眠っていた。


「店長、休業にしたのか?」


 ふがふがとイビキをかく店長を叩き起こし、きいた。年中無休、毎日営業を看板にしていたくせに、あっさり看板を外してしまったらしい。


 よくこんな明るいところで寝れるな。


「ん?ああ。だってこんなんじゃ買い物できないでしょ?」


 店長はよっこいしょと腰を上げながら言った。


「そりゃそうだけどさあ…。」


 アタシはキャンパスの切れ端やら、得体の知れない虫の死骸やらを見ながら言った。昨日の目分量のやり残しよりも少しだけ少なくなっていたが、その代わりに昨日綺麗にしたところに色々と散乱しており、綺麗に積んだはずの十年ものの新聞の山が崩れていた。


「店長、これ…。」

「ごめんなさい。」


 きっと店長は手伝おうとしてくれたのだろうが、かえって酷くなっていた。まあ、謝ってくれただけよかったというもの。謝らないよりはマシだ。


 しょうがない。今日終わらせる予定であったが、まだまだかかりそうだ。


 頑張ろう、と思ってアタシは掃除を再開した。


 ………


「うわ!え?カビてる…?」


 床に引っ付いた五年ものの新聞紙を剥がすと、異常な光景が広がっていた。アタシがここに通い始めた時から、このカビ達はいたのだろうか。


「店長、窓早く開けて!」


 のそのそと窓を開ける店長。アルレアネに窓なんてあったのか…。


 そんなことより、安心する匂いが、カビの匂いも混じっていたとは。


 雑巾でカビ達を拭き取り、ついでに埃も絡めとる。早く見つかって良かった。こんなとこで暮らしてたら、店長病気になっちまう。


「ライカちゃん、今日はもういいよ。」

「いいや、ダメだ。床だけでも掃除しちゃうよ。ほら店長、画材道具あっちにやって。」


 面倒臭そうに画材道具を移動させる店長。カビが見つかったから床は徹底的にやった。


 ………


「よし、また明日にしよう。」


 アタシは手を拭きながら言った。店長は腰が痛そうにしている。


「ライカちゃんありがとねー。こんな時間までさ。」


 店長は壁を見て言った。どこから出てきたのか、古びた時計があった。それを見ると、すでに十二時をまわっている。古びている割には、しっかりと時を刻んでいた。


「あ、そうだ店長。」

「なに?ライカちゃん。」


 引き受けてくれるだろうか。


「あのさ、アタシの友達がさ。今度のコンテストに作品を出したいってんだ。だけど、ちょっとワケありで、その子の代理を頼みたいんだ。」


 ふーん、と言いながら店長はカウンターの椅子に腰掛けた。ギィィィ、と嫌な音が椅子から聞こえたが店長は気にも留めない様子だった。


「そういえば最近顔が明るいね。その子のおかげかな?」


 多分そう。リューと話す時間は楽しくって、すぐ過ぎてしまう。


「いいよ。でもさ、その子のこと気になるからちょっと話してよ。ワケありの理由をね。秘密は守るからさ。」


 にこにこと笑顔を浮かべて店長は頬杖をつきながら、言った。


 彼の「秘密は守るから」はとても信じられる。嘘はつかない人だから。


「店長、絶対秘密にして。」


 もう一度念を押す。店長は大きく頷いた。リューが、人魚があそこにいるって街の人に知られたら、きっとリューは酷い目にあってしまうだろう。


「友達は、リューは…。人魚なんだ。」


 アタシはリューと出会った経緯いきさつを掻い摘んで話した。そして彼女がアタシの友達であること、街や国中で噂されているほど、彼女が危険でないことを強く主張した。


「ふーん。やっぱりね。」


 アタシが話し終わるとすぐに店長は言った。


「やっぱり?」


 もしかしてアタシの友達が人魚のリューだったことに気付いていたっていうのか?


「人魚ちゃんが危険じゃあないってことだよ。」


 彼は懐かしそうに、笑って言った。ちょっと悲しそうでもあった。


「店長がまだバリバリの現役だった頃かな。入り江の絵を描こうと思ってね。入り江に行ったんだ。人魚の入り江ね。とっても夕日が綺麗でさ。太陽の月にあそこに入る夕日が。まあそんなことはいい。ある日、岩場から足を滑らせて。あそこって急に深くなってるだろ?不覚にも溺れちゃって。その時助けてくれたんだ、人魚ちゃんがね。」


 もう五十はあるだろう店長の薄茶色の瞳は、少年のようにキラキラ輝いて見えた。それはまるで恋をしているみたいだった。


「とっても綺麗だった。何というか、海の神秘が姿を持って現れたような。海の中ってぼやけて見えるじゃない?それが人魚ちゃんの不思議さに磨きをかけたのさ。蒼い鱗、緑の、鮮やかな緑色の瞳。焦げ茶色の髪から覗く、大きなヒレみたいな蒼い耳。彼女は、女の子だったんだ、彼女は僕を砂浜に引き上げて、よかった、と呟いてすぐに海に帰ってしまった。お礼も言えなかったからあとでまた入り江に行ったんだけど、会えなかった。街の人に話したんだけど、信じてくれなかった。人魚が人を助けるもんか、ってね。今まで好きに生きて、このみせを築いたけどさ。あの子にお礼を言えなかったのが、唯一の心残りかなあ。」


 店長はうっとりとした目で語った。店長の一人称が「僕」に変わっていた。


「まあそんなとこさ。ライカちゃん、リューちゃんにもよろしく伝えといてね。頑張ってね。」


 にこっと笑って店長は立ち上がった。見送ってくれるようだ。


「わかった。店長、ありがとう。また明日。」


 アタシは、店長に見送られアルレアネを出た。

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