8 宣戦布告
アルレアネが閉店するまでまだ時間があるので、噴水の縁に腰掛けて仕事が終り、家に帰っていく漁師や酒屋にいく男達を眺めることにした。
ボーっと眺めていると、ペンダントを見たくなった。
アトリエに帰るまで待てずに、かさかさと包みを開ける。
リューから貰った琥珀は、涙型に削られ、中心部にはあのスカラベが削られる前よりもくっきりと見えた。
鱗状のひび割れは街明かりに照らされて、琥珀もともとの黄金色よりも、もっと濃い黄金色に輝いている。
琥珀が嵌め込まれている金属の縁は、白銀でできており、細やかな花のレリーフが施されている。それは琥珀の色を反射して鈍く黄金色に染まっていた。
うっとりと眺めてしまうくらい、ペンダントは美しかった。流石、職人が腕に依をかけて作ってくれたものだ。
もしアタシじゃなくて、リューがこれを付けるんだったら。どれだけ似合うのだろうか―。
アタシみたいな奴がこんな綺麗なペンダントを付けていいのだろうか―。
パッと頭を振って、悩みを振り払う。
リューはアタシにくれたんだ。アタシを選んだ。それならば、アタシには、これをつける権利があるはずだ。
ペンダントの鎖の繋ぎ目を離し、首にかける。
カチッと音がして、ペンダントがアタシの首にさがった。
琥珀はとても軽く、金属の重みだけがアタシの首に伝わった。
きれいだなあ。
もっと感想あるだろと自分でも思うが、本当に綺麗なペンダントだった。
昨日の
遠くにそれを聴きながら、ふとなぜあの吟遊詩人は人魚を題材にした曲を作ったのだろうか、と気になった。
他の曲は昔話や小説なんかを題材にした曲だった。あの曲だけ妙に具体的な詩だ。だって人魚の殺し方、と言っても本当かどうか怪しいが、曲の中に入っている。
まるで
でももし、あの詩が本物だったら。
人魚が、リューが不老不死ならば、リューはアタシより永く生きて、アタシはリューよりずっとずっと早く死んでしまって―。
アタシはリューの楽しい「思い出」の中の一つになってしまって、他の楽しい思い出に
あの詩はきっと吟遊詩人が考え出した御伽
明日リューにきいてみようかな。
立ち上がって、アルレアネに向かう。まだ時間があるが、アルレアネはほぼ客が来ないから、すぐに片付けはじめられるはずだ。
アルレアネの店の前に立つ。人っ気を感じて、出てくる客の邪魔にならぬよう、ドアの横に立った。
こんな時間に、誰が?
建て付けの少し悪いアルレアネのドアが開いて―。
「アイツ」が出てきた。
華やかな服に身を包んでいるが、自分が服に負けていない。そいつは鋭い目付きでアタシを見据えた。
「あら、ライカじゃないの。」
アイツ、もといルカは気さくにアタシに話しかけた。気さくさの奥には闘争心が見えた。
もう何も気にしていないはずなのに、あの時どうでもよくなったはずなのに、まるで鷹に睨まれた兎のように体が震えてしまう。
「貴女もコンテストに?」
「まあ。」
震えを必死に抑えて、必要最小限の返事をする。
「あはは、せいぜい頑張りなさんな。貴女の古びた道具でね。」
嫌味ったらしくルカは言った。とんとアタシの胸を肘で押し除けながら、コンテストでは貴女に勝ってやるわと耳元で囁かれた。
アイツを見送りながら深呼吸をした。しばらく胸の鼓動の音が煩かったが深呼吸をすると落ち着いた。
アルレアネのドアを開けて、店内に入る。
「あら、ライカちゃん。早いねえ。やる気あんの?」
店長が珍しく新聞を畳んで、頬杖をついていた。彼はいくらか不快感を露わにしていた。
「店長、さっきの…。」
「ルカちゃん?ああ、あの子嫌な子だよねえ。
ニコニコと笑いながらルカの悪口を言う店長。
嫌な奴、と言うのはアタシも同感であるが、店が汚いってのはアイツに共感する。
「まあいいや、さっさと片付け始めるよ。」
そう言ってアタシは片付けを始めた。
………
「ライカちゃん、今日はここまでで。店長、疲れちゃったし、ライカちゃんも疲れてるでしょ?」
夜も更けて、半分ほど片付けが終わったとき、さっき手伝い始めたばっかりの店長が言った。
狭い店だし…と舐めていたが、ここまでかかるとは。
アタシは腰が痛くなっていて、もう終りたいな、と思っていたところだった。
大きな埃の纏まりが、掃除されていないアルレアネの歴史を物語っている。
十年ものの新聞や虫食いだらけのキャンパス、カッチカチに水分の抜けた水彩画絵の具なんかも発掘されていた。キャンパスや新聞紙はまとめて紐で縛ってあるが、天井へとつかんばかりの高さである。
まだ半分ある、しかも後の半分の方がもっと酷く散らかっていると思うと気が滅入るが、金のためだ。しょうがない。
終わったらお金を渡すね、と言われてアルレアネを出る。
今は暑い季節なのだが、ひんやりした夜の風がアタシを包んだ。風は、海の方向へと酒屋で馬鹿騒ぎをしているオヤジ達の声を運んでいる。
何処も彼処も賑やかな明るい
こんな賑やかな夜の街は、アタシは見たことがなかった。アタシが早く寝過ぎただけかもしれないが。
こんな感じで、夜は更けていくんだな、と思って、夜の街を後にした。
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