4 プレゼントを貴女に
「画家、ですか?」
朝早く、入り江に向かおうと砂浜を歩いていると、散歩していた男が、アタシに話しかけてきた。
アタシより少し上くらいの見た目で、肌はアタシほどではないが、日に焼けている。薄茶色の瞳が、アタシを捉えた瞬間、きらっと輝いた気がした。
「…まあ。画家の端くれだ。」
「どこで描くのですか?」
なんだ、コイツ。すごく話しかけてくる。教えない、というのもなんか後味が悪いので、答えることにした。
「あそこの、入り江で…。」
「え、あそこで…?」
彼は真っ青な顔になった。
国中から恐れられている、人魚の入り江。
引きずり込まれるぞ、と
人はほとんど、いいや、アタシくらいしかあそこにいない。
「じゃ。」
そう言って入り江に向かおうとするアタシの手首を、彼は掴んだ。
「ちょっと待って!」
「離してくれよ。」
突然のことでしかも初対面の奴だったから、驚いた。しかし、アタシは落ち着いて言った。
「あそこは、危険だ。行っちゃダメだ!」
確かに、危険だ。入り江には、
あの子は、あの子の絵は、アタシを
でも、それがなんだって言うんだ。
「アタシだって、重々承知さ。だけど、あそこには恐ろしい人魚なんていない。会ったことは、ない。」
「でも…。」
「じゃあ。アタシは、これで。心配してくれてありがとう。」
「本当に、気をつけてください…。」
彼は少し赤くなったような気がした。きっと朝焼けが当たっただけだろう。朝焼けが薄れ、太陽が蒼い海を白い光で満たした。
水平線が白く霞んでいて、彼は何か言おうとしたが、アタシは気にせずに歩き出した。
………
「ライちゃん!」
リューは、もうすでに入り江にいた。
ここに住んでいるのかな?アタシはリューを見たことは、今までなかったが。
「リュー、アンタ早いな!」
「えへへ。ライちゃんと会うのが楽しみだったの。ライちゃんはなんで早いの?」
リューは歯を見せて笑った。
そりゃ、決まってる。だけど、ちょっとアタシはイジワルをしてやろうと思った。
「そりゃ、決まってるよ。朝焼けの入り江を見にくるため、さ。あ、あと、アンタにこれを見せるため。」
彼女がちょっとしゅんとしてしまったから、キャンパスを見せながら慌てて付け足した。
「良かった。ライちゃん、約束忘れちゃったのかと思った。」
すぐ笑顔になって、彼女は言った。
忘れるわけないじゃないか。だってリューは、アタシの唯一の友達なんだから。
フッとさっきの出来事と、キャラバンのビラを思い出した。
「リュー。」
「んー?なあに?」
彼女はアタシのあのキャンパスを惚れ惚れと見ながら、返事をした。
「アタシが来たってわかったら、砂浜へ上がれよ。」
彼女は少し強張って、アタシのほうを見た。アタシはリューの近くに寄って、しゃがんで目を合わせながら言った。
「アタシ以外の人間にアンタの姿を見せちゃダメだ。人間はアンタ達人魚を、良く思っていない。」
彼女の強張りは解けていて、柔らかな笑みを浮かべていた。
しかしその笑みは、哀しい色を孕んでいた。
「わかったか、リュー。アタシ以外の人間がいる時は、姿を見せちゃダメ。アタシは、アンタを大切な人だと思っているから。」
もし、彼女が人間に捕まってしまったら、どうなってしまうか、リューがどんな目にあってしまうか、怖くて想像できなかった。
「うん!心配してくれてありがとう。なんだか、ライちゃんお母さんみたい。」
元気に頷いて、彼女は言った。
お母さん、か。
リューの母親は、素晴らしいひとなのだろう。
アタシの母親は―。
いいや。もう母親じゃあ、ない。
縁は切ってしまったのだから…。
「ね、ライちゃん。ちょっと待っててね!」
彼女はばしゃんと海に潜ってしまった。キラキラと水飛沫が飛び、アタシの左のほっぺたを濡らした。
相変わらず派手に潜るなあ。
てきぱきと絵を描く準備をする。もう何年も—。
二年位だろうか、一人でアトリエに篭って、ずっと絵を描いていた。
こんなアタシに、友達ができるなんて―。
そんなふうに考えていたら、リューが帰ってきた。帰ってきた時も、派手に水飛沫を上げた。もうちょっと波打ち際に
リューは波打ち際に腰かけた。腰かけた、という表現があっているか分からないが、リューは、人間が座るみたいな体勢になった。
「ライちゃん。これ、あげる。」
彼女は透き通った黄金色の石を見せて言った。ずっしりと実った、夕陽を受けてキラキラと穂の輝く小麦畑を見ているような、懐かしくて、優しい黄金色だった。
これって…。
「これ、昨日アンタがくれようとしたやつ?」
「うん。私の
リューはアタシに石を手渡しながら言った。彼女の手は潮水に濡れていた。朝の海の温度だった。
「でもさ、これってアンタの宝物なんじゃないのか?」
アタシは石を見ながら言った。石の中心部には…。
なんだろう。
これは、
「ライちゃんは私の大切なお友達だから。ライちゃんにこれをもらって欲しいの。」
満面の笑みで、彼女は言った。
友達からプレゼントを貰って、嬉しくないわけがないのに、こんな綺麗なものを貰っちゃうのは、なんだか悪い気がした。
「リュー、本当に貰っちゃっていいの?」
「うん!」
彼女は大きく頷いた。
「ありがとう。大切にする。」
キュッと石をにぎり締めてアタシは言った。人から、プレゼントを貰ったのなんて…。いや、一回だけ、過去にあった。
なくさぬように、油彩の道具箱の奥の方に入れた。大きな道具箱の中には、茶色い包み。
あ、そういえば!
リューの為の、油彩セット!
すっかり忘れていた。
お返しみたいになっちゃうなあ、なんて思いながら、そっと取り出した。
「リュー。お返し、じゃあないんだけれど…。」
アタシは恥ずかしくて、モジモジしながら言った。だって、貰ったことはあっても、あげたことはなかったから―。
「これ、アンタに。」
茶色の包みをリューに渡す。
じんわりと、彼女の手から潮水が伝って包み紙を濡らした。
「え、これ、開けてもいいの?」
「ん。アンタのだから…。」
口の中で言葉がくぐもってしまって、モゴモゴとなってしまった。
ペリッと音を立てて、糊付けされた包みを彼女は剥がしていく。流石にそのままどうぞ、というのもどうかなと思ったから茶色の包み紙で包んだ。
破っちゃってもいいのに。
リューは丁寧に、丁寧に包み紙を剥がしていく。
濡れてしまったところは、穴が開いてしまったが、キラキラと輝く蒼い瞳には、そんなもの写っていなかった。
「これ…。」
蓋を開けたリューは、アタシと油彩セットを交互に見た。
箱の中には、アタシが持っているのと同じ型の油彩ナイフ、パレット、筆、専用の筆洗い液。そして十二色の絵の具が入っていた。
「それと、これ。アンタ青色たくさん使ってたから。」
アタシは、青色の絵の具が沢山入った袋を渡した。青色と言っても沢山あって、思いつく限りの青色はアルレアネに置いてあった。
藍色、忘れな草色、水色に空色…。
そして、店長が創り出した、「海色」も入っている。
リューは、座るような体勢に疲れてしまったのか、波打ち際に寝転んだ。やはり丁寧に絵の具を一つずつ取り出して砂浜に並べていく。
「ライちゃん、ありがとう!」
リューの笑顔を見ながら、店長が「笑顔色」の絵の具を作ってくれないかな、なんて思っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます