2 才能

「ねーねー。ライちゃん。」


 リューはアタシの脚をつんつん突っつきながら言った。人魚には、脚がないから、珍しいのだろうか。


 ちょっとくすぐったいが彼女にならいくらでも触らせてやろう。


 その代わり、後で彼女の蒼い鱗を触らせてもらうつもりだ。


「なんだ?」

「ライちゃん画家さんだから絵を描いているんでしょ?さっき教えてくれたよね。」

「うん、まあ…。」


 ちょっと返事に困る。売れないうえに才能がない気がしたから、アタシは画家を名乗って良かったのだろうか。


「あの、その…。」


 彼女はもじもじして言う。戸惑っているその姿も可憐だった。


「なんだ?もしかして、絵を描いてみたいのか?」

「うん!」


 パッと輝く顔。表情が大袈裟で、ころころ変わる。おもしろい。


 もしかして、油断させて海の中に引きずり込むのか?いやいや、会ったばかりでおかしいが、彼女はそんなことしないはずだ。


「これ使えよ。」


 そう言ってアタシは画材と真っ白いキャンパスを渡した。


「やりたいように描いてごらん。」

「ライちゃん、私描き方、わからない。これ、何?」


 そう言って彼女は絵筆を指差した。

 

ええぇ。


 まあそうか。水中の世界に絵を描く文化がなくても不思議ではない。


 リューに道具の使い方を教える。彼女はすぐに飲み込み、描き始めた。鱗が乾かないようにね、と日陰に移動して。


 ペチャペチャと、リューが絵の具を塗る音が入り江に木霊こだまする。まるでアタシの子ども時代、まだ自分の「世界」を純粋に楽しく描いていた頃を見ているようだ。


 砂浜に寝転んだまま、彼女の「世界」が紙の上に乗っていくのを眺める。彼女は海に住んでいるからなのか、青い色が好きなようで、キャンパスのほとんどが青かった。

 

「なあ、リュー。」

「んー?なあに?」


 彼女はアタシが話しかけると一旦作業をやめ、こちらを見た。


「人魚ってさ、地上でも息できるんだな。」

「んー。まあね。ユリューマトって魚がいるんだけど、あんな感じだと思うよ。」

「ふうん。」


 彼女は再びキャンパスに目を落とした。アタシはユリューマトって魚は知らないが、実質人魚って不死身なのかも。


 ゆっくりと時間は過ぎてゆく。ちょっと暑いのでアタシも日陰に移動して、空を見上げることにした。


 嗚呼。


こんなに穏やかな気持ちで、空を見上げたのっていつぶりだろう。画家を名乗る前だっけ。アイツのことなんか考えずに、何にも考えずに。


 ………



「ライちゃん!ねえライちゃん起きてよ!」


 彼女の声で目覚めた。アタシは、にこりと彼女に笑顔を向けた。眠ってしまっていたようだ。入り江にはすでに西日がさしていた。


「良かった。ね、見て!できたよ!」


 リューの言葉にあった不自然さは、彼女の絵に圧倒され消えてしまった。


「すごい…。」


 もうその一言に尽きた。ずっと眺めていたいくらいの、絵。


 普通は絵の具のチューブからだされたまま使わず、混ぜることで色々な色味を出すのに―。


キャンパスの世界は原色がほとんどを占めているにもかかわらず、すべてが調和され、彼女の「世界」がありありと見えてくる。


 これが、天才。


 これが、才能。


 ―彼女こそが本当の芸術家てんさい


 昔アタシが言われた、絵が好きで、もっと上手くなりたいと努力してもらった「天才」と言う言葉は。アタシやアイツのための言葉じゃない。


 リューのための言葉だ、と思った。


 アイツの、他人アタシを蹴落として作った才能じゃない。


 アタシの、天才にはなれぬとはわかっていても、重ねた努力で作った才能じゃない。


 純粋な、彼女リューのちから。

 

「えへ。ありがとう。」


 リューは照れて頬を赤くした。俯き加減で顔を赤くしている彼女は、可憐だった。


 つられてアタシも笑顔になった。嫉妬なんてくらい感情を出すことさえできぬほど、彼女の絵は、素晴らしかった。


 そして同時に、アイツのことなんて、アタシの才能のことなんて。そんなことに悩んでいるアタシが馬鹿らしくなった。


「ハハッ。やっぱリュー、アンタすごいよ。」

「ふふふっ。ありがとう。」


 彼女は絵を褒めているものだと思っているようだが―。


「ねえ、ライちゃん。」


緊張の入り混じった声でリューはアタシを呼んだ。


「んー?」


 アタシは画材やキャンパスを片付けながら返事をした。


 良いものを見せてもらったお礼に、リュー専用の絵の具を買ってあげよう。


もしかしたら、あのキャンパスをコンテストに出せるかもしれない。完成できるかもしれない。


「あのね。あの、私とお友達になってくれる?」

「え?」


 あまりの突然さに、驚いた。


そんなの―。


そんなの、決まってるじゃないか。


「あ、あの、い、嫌だったらいいの。」


 リューはちょっと涙の混じった声になって言った。


 西日が彼女の瞳に朱の光を落とす。


 今まで見たことがないような美しい宝石が、そこにあった。


「ううん。こっちもアンタと友達になりたかったさ。よろしくね。」


 西日が水平線についた。その瞬間、あたりが光に包まれる。眩しくて、目が眩む。


 なんて言えばいいのだろう。オレンジ色、ではない。


 言葉では表せぬほど。


 見たことがないくらい、美しくて。


 緋くて朱くて紅くて赤い、色だった。


 逆光で彼女の顔は見えづらかったが―。


「うん。よろしくね。ライちゃん!」


 笑顔で、返してくれたことだけがわかった。

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