夢と現実-2

 

 ──これは後悔だ。



 星宮が抱えていたものに気付ける場所にいたのは、「私」だけだった。「私」だけが、星宮を救える可能性があった。


「私」は、星宮を救えなかった。


 だからこれは、後悔なのだ。「彼女」の後悔は私の後悔でもある。


 だから──。

 

 

 ◇

 

 

「星宮!」


 部屋を飛び出すなり、私は叫んでいた。


 思いついた。いや、「思い出した」と言うのが正しいのだろうか──「私」は、後悔をしていた。


 同窓会で久しぶりに会った同級生。高校生の頃、好きだった人。「星宮くん」は「私」に、何か隠し事をしていた。その分だけ埋まらない距離を感じていて、だから「私」は想いを告げることなく卒業して、そのあと別の人と付き合った──母は「普通」を重んじる人だったから、「私」は結婚相手を探さなきゃならなかった。結婚を前提に付き合った彼はイケメンだったし、いい人だった。だから、「星宮くん」への気持ちは長いこと忘れたままだった。


 ──同窓会の翌日、彼の名前をニュースで見るまでは。


 それは確かに「私」の後悔だった。

 そして、それが「後悔」ならば──話は、早いはずだった。


「……紺野さん」


 星宮は、居間で叔母さんとお茶を飲んでいた。なんて悠長なやつ。人の気も知らないで!


「お願いがあるの」


「何? 僕、これ以上紺野さんと喧嘩したくないんだけど」


 そう言って、紅茶を一口啜る。 


「能力、貸してくれない?」


 私がそう言った途端、星宮はティーカップを持ったまま、ぴたりと固まった。


「……僕に干渉するつもり?」


 こちらを見ないまま、そう尋ねる。


「そうかもね。でも関係ないでしょ、あんた曰く全部消えてなかったことになるんだから」


「そうだよ。だから紺野さんが何しようとしてるか分からないけど、全部無意味だ。能力を貸すのは構わないけど、全部の元凶になったこの能力を今使わせようなんて紺野さんも酷な人だね」


「別に何言ってくれてもいいよ。『私』にはどうしても消したい後悔がある。だからそれを優先する。私が星宮に対して酷いことするのは今に始まったことじゃないでしょ? すぐ蹴っ飛ばすし」


 それはまぁそうだね、と星宮がため息をついた。どうやら力を貸してくれるらしい。


 これは賭けだった。パラレルワールドの私が、正しい歴史の『私』の後悔に干渉できるのかどうか。それでなくてもどうして私が『私』のことを思い出せたのかは分からない。そもそも「思い出した」という表現は正しいのか? 何も分からないけど、これさえ成功すればきっと全部が上手くいく。この状況を──星宮雫の存在ごとなかったことになってしまうこの状況を、どうにかできるのはこの方法だけであるように思えた。


「じゃあ、力、使うからね」


「うん。……お願い」


 私がそう言うと、星宮は「せーの」と呟いた。いつもの間延びしたような声ではなく、本当に、独り言のように呟いた。


 そして、世界は光に包まれた。

 



 ◇

 

 


「ここは……」


 そう呟いたのは星宮だった。


 いつもの飄々としたような態度はどこにもない。何かに怯えるような、人を寄せ付けないような、そんな彼に新鮮さを覚えると同時に、懐かしさも感じる。


 そこは、私たちが通う高校の教室だった。


「天、ばいばーい! また明日!」


 私──パラレルワールドの私が話したこともないクラスメイトが、親しげにそう声を掛けてきた。


「ばいばい。また明日ね」


 そう返しながら、私は成功した、と確信した。


「紺野さん。何、したの。どういうこと」


 怯えたようにこちらを見つめる星宮。


「おかしいんだ。今の僕は、僕であって僕じゃないような──そんなかんじがする。紺野さんは知らないだろうけど、一周目の──『正しい』歴史の中での、僕みたいな」


「知ってるよ、星宮。……いや、『星宮くん』」


 そう言って、私は不敵に笑ってみせた。


 『正しい』歴史の中で『星宮くん』に想いを告げなかったのは、確かに『私』の後悔だった。それなら星宮の力を使って戻れてもおかしくない。星宮は自分に対して力を使ったわけではないから、歴史は歪まない。本来あった『正しい』歴史に戻ってこられる、という算段だった。


「あ、そうだ」


 私はさも今思いついたかのように、言った。


「一応だけど、確認、しに行こっか」


 そう言って星宮の手を引く。


「確認って、一体何を……」

 相変わらずおどおどする星宮を引っ張って、教室を出る。『私』の記憶が正しければ、あの子は隣のクラスにいるはずだ。

 隣のクラスのドアを開ける。


「沙織ー! いるー?」


 彼女は放課後にこっそり教室でBL小説を読む趣味があったはずだから、遅くまで残っているのは分かっていたことだった。沙織はびくっと肩を震わせると、大急ぎで読んでいた本を机の中に隠した。


「の、のんちゃん……! びっくりするじゃない! もう……で、どうしたの?」


「いやね、ちょっと聞きたくて。弟さん、あれから元気?」


 すると沙織は不思議そうな顔をした。


「え? 元気だけど……弟がどうかしたの?」


「ううん、元気ならいいんだ」


「そう。ありがとうね、弟のこと気にかけてくれて。……ところでのんちゃん、弟の治療費を払ってくれた人の話、したっけ?」


「あぁ、全然知らない人が急にお金出してくれたって話?」


「それね、『星宮雫』って人に頼まれたって聞いたんだけど、うちの学年に……っていうかのんちゃんのお友達に、そんな名前の人いたような気がして。のんちゃん知ってる?」


「さぁ? 知らなーい」


 話がややこしくなってもいけないので、私は適当にシラを切る。


「とにかく弟さんが元気で良かったよ。じゃ、私帰るから。また明日ね」


「う、うん。また明日」


 腑に落ちないといった表情の沙織を置いて、私と星宮は隣のクラスを後にした。


「……そろそろ、聞いてもいいかな」


 星宮が、おずおずと言う。


「そうだよね、聞きたいことは山ほどあるよね。ここじゃ何だからさ、いつものファミレスに行こうよ」


 そう言うと、星宮は「いつもの……ね」と呟きつつ、私の後ろをついてきた。パラレルワールドではいつも星宮が私の前に立っていた──何だか不思議な気分だ。しかしこれはこれでしっくり来るものがある。『私』の記憶は、確かに私の中に存在しているみたいだ。



 私たちはそれから一言も話さないまま、ファミレスに向かった。外に出ると、季節は冬の始まり──ちょうど、パラレルワールドで私と星宮が初めて話をしたのと同じくらいの時期だった。


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