夢と現実-1

 星宮が眠っているベッドの縁にもたれかかってうつらうつらしながら──私は、不思議な光景を見ていた。


 弟の病気が全快した沙織の笑顔。気弱そうな星宮雫。話したことのない筈のクラスメイトと仲良くやっている自分の姿。社会人になって、高校の同級生が彼氏になっているところ。同窓会で、それを沙織に驚かれたこと。そして、憔悴したような星宮の姿。


 これが何を意味するのか分からなかったが、一つの言葉が浮かんで私の脳を占めていた。



 ──パラレルワールド。



 そういえば星宮の能力は、パラレルワールドを作り出すような能力だと昔言っていた気がする。だとすれば、眠っている星宮は今──別の世界に、飛んでいるのだろうか。


 星宮自身の後悔を、消しに行っているのだろうか?


 何も分からないまま、私は星宮の目覚めを待った。起きたらまた出て行けと怒られるかもしれないが、それでも構わなかった。傍に居させて欲しかったのだ。

 




 ──程なくして、星宮が目を覚ました。


「おはよう。星宮」


「……紺野さん」


 ぼーっとした表情で、星宮がこちらを見る。


「勝手に入ってごめんね。私が勝手に、傍にいたかった」


 怒られるかと思っていたが、どうやらその様子はない。

 代わりに、星宮は、ぼーっとした声のまま、全く別の話を始めた。


「…………沙織さんが、ヤクザの彼氏と付き合ってたのは」


「え?」


歴史の中で、僕の知り合いのヤクザの親分が沙織さんの弟の治療費を払ったからだ」


 正しい──歴史?


「……どういうこと、星宮」


「あんなに大人しい沙織さんがヤクザの彼氏と付き合うなんて、幾ら何でもお転婆が過ぎるだろ。僕が歴史を歪めた結果としてこうなった」


 星宮は宙を見つめて、淡々と、ただ淡々と喋り続ける。


「本来の歴史なら、甘党だったのは僕じゃなくて紺野さんだったんだ。BL鑑賞の趣味があったのは沙織さんの方」


「………………」


「じっちゃんは僕が中学生のうちに死んでたし、紺野さんにはもっと沢山友達がいてクラスの中心グループだった。これは、僕がパラレルワールドを作った時に歪めたこと」


 話が見えてこない。

 それじゃ、まるで星宮は──。


「後から歪んだことも沢山ある。例えば、よく僕に告白してきてくれる女の子たち。本来の僕は根暗な人間だったから、本当ならその子たちは僕なんかを好きになることなく、他の男子と全く別の青春を送ったはずだ」


「星宮、それってさ……」


「純蓮さんだって、僕がこんなことをしなければ、親友さんの──恒さんの想いを知らずに済んでた。他にも、コンビニの買い食い一つ、ファミレスの注文一つ取ってもそう」


 星宮は、やっとこちらを見た。その目は、瞬きをすれば射殺いころされてしまいそうで──私は、目を逸らせなかった。


「僕の高校生活は二週目。社会人数年目から戻ってきた。色んなものを歪めてここにいる」


 叔母さんの言っていた意味。何もかも知っているかのような、余裕のある飄々とした態度。星宮が時折見せた表情。


 全てが急速に繋がってゆくのが分かった。


「でも、どうして……」


「どうして、って?」


 星宮が自嘲気味に笑う。


「好きな子がいたんだ。ずっと忘れられなかった。自分でもおかしいと思ったよ。でも同窓会で会った時、その子には彼氏がいた。年齢的に考えて、結婚前提のお付き合いだろうね」


 同窓会。彼氏。

 さっき見た、不思議な光景が脳裏をよぎる。


「僕の自分勝手な恋愛感情のために、大きく歴史を歪めてしまってるんだ。特に、沙織さん──彼女の弟の病気はとっくに完治して、ヤクザと付き合うなんてお転婆することもなく、穏やかに高校生活を送ってる筈だった」


 私は、何も言えない。


「僕は力を解くよ。解けば時間は同窓会の直後に戻って、紺野さんは僕のことを忘れる。綺麗さっぱり、忘れる。それで、連れてたイケメンの彼氏と幸せになる」


「ねぇ、綺麗さっぱり、ってさ……」


「…………」


 星宮は、それ以上喋る気はなさそうだった。

 叔母さんの話から考えるに、星宮は力を解いたら死んでしまうのだろう。そして、今まで見せてもらった星宮の能力から考えると、私──今いるこの世界線の私ごと、消えてしまうのだろう。ここはパラレルワールドだったのだ。そして私は、星宮の言うところの「正しい歴史」の私ではなかったのだ。


 確かに星宮のしたことが褒められたことだとは思わない。


 けれど、何も──死のうとまで、言わなくたって良いじゃないか。


「……死ぬって言うか、正確には存在自体がなかったことになるんだ。じっちゃんの日記にそう書いてあった。だから心配しなくていいよ」


 考えていることを読んだように、星宮がそう付け足す。


「悲しくないよ、紺野さん。僕がいなくなっても。僕なんか──『星宮雫』なんか、最初からいなかった。そういうふうに、世界が変わるだけだよ」


 星宮は、にっこりと笑った。まるで彼岸でも見ているかのような、穏やかな笑顔だった。


 ああ。もう、星宮の中では、全部終わってるんだ。階段を一歩ずつ上り終えてあとは飛び降りるだけ、その段階まで来てるんだ。


 そして、星宮がその階段を上っていることに気づけなかったのは──私だ。


「星宮。……私は、星宮が急に消えたって、そんなに簡単に忘れられるとは思えないよ」


「…………」


「二週目の、今の星宮のことが、……好き。そうなればいいと思って戻ってきたんでしょ。責任取って、一緒にいてよ」


 この期に及んでそんな告白が喉に詰まる、自分が情けない。人命がかかってるというのに。


「忘れられるさ。能力は絶対だよ。だいたい僕がいなくなった後の紺野さんは、今の紺野さんじゃない。全くの別人。BL鑑賞の趣味もなくてイケメンの彼氏もいる、社会人ウン年目の紺野さんだ。だからもし仮に僕のことを忘れなくても、大して悲しくないよ」


「……じゃあ、この世界線の私の気持ちは? どうなるの? こんなに……こんなに大きな感情も、何もなかったように消えるっていうの?」


「ああそうさ。跡形もなく消えるね。ていうか紺野さん、今の僕のこと好きなんだろ。なら止めないでよ。僕にこんな罪悪感を抱えたまま、僕の罪でできた世界で生きていけっていうの? これから一生? 絶対無理だね。しかもあんまりもたもたしてると、本当に世界が書き変わっちゃうかもしれないんだよ。イレギュラーなのか時間経過による仕様なのか知らないけど、じっちゃんがそうだった」


「書き変わっちゃばいいよ。書き変わったら星宮のしたことだってなかったことになる! 何事もなかったように生きていけばいいじゃない!」


「そんなの! 誰が忘れたってなかったことになったって、僕が一番、一生覚えてる! 償えなくなるだけだよ!」


 星宮の怒鳴り声は、ほとんど悲鳴のようだった。私といえば、見たことも無い星宮の様子に、何も言えなくなってしまった。


 少しの沈黙の後、星宮は、細く長く息を吐き出した。そしてそのまま、勢いよく立ち上がった。


「……どこ、行くのよ」


「頭冷やしてくる。怒鳴っちゃってごめんね。……僕、こう見えても、元の世界の紺野さんも、この世界の紺野さんのことも好きなんだ。いくら消えるったって、最後は気持ちよくお別れしたいだろ」


 そう言い残して、星宮は出て行ってしまった。


 私の元には、さっきまでの怒鳴り合いが嘘みたいな沈黙と、大きな虚脱感だけが残された。


 私は叔母さんに聞こえないように、声を殺して泣いた。何が何だか分からないが、全てが悲しかった。それだけが確かだった。

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