世界最悪の酔っ払い-5

 僕が彼女に告白をすることはついぞなかった。僕と彼女の間には何事もないまま、高校卒業まで時が流れていった。


 たぶん彼女にとって、僕は数多くの友達の中の一人でしかなかった。それが分かっていたから、僕も敢えて彼女に想いを告げることはしなかった。連絡先を知っているわけでもなく、暫く年賀状のやり取りをしていたけれど、それも彼女が引っ越したのを機に途絶えた。

 

 これが、大きな間違いだったのだ。

 

 僕が再び彼女と会ったのは、卒業して初めての同窓会の日。僕らはみんな成人していて、みんなそれぞれ暮らしがあって、僕だけが──未だに、紺野さんのことを忘れられずにいた。

 僕だってこんなに長いこと引きずるとは思っていなかった。周りと同じように、当たり前に昔のことを忘れて、当たり前に大人になれると思っていた。


 どうも僕は、幼少の頃に、何か大事なものを置いてきてしまったらしい。

 そこには安月給で暮らしもままならず、未だ「僕」だなんて一人称を使い続け、とうに終わっていなければならない青春時代の片想いを拗らせたまま、上手く大人になれなかった情けないアラサーの独身男性がぽつんと一人いるだけだった。


 よく考えたら紺野さん以外に親しかった人間なんていない。同窓会に来たところで話し相手なんていなかった。仕方がないので隅の席で出された酒を飲みながら、紺野さんの姿を目で探した。


 彼女を見つけるのにはかなり時間がかかった。七月沙織の隣にいなかったら見つけられず終いだったかもしれない。そっちの方が良かったと今では思う。


 紺野さんは随分綺麗になっていて、ちゃんと大人になっていて、その綺麗な女性の隣にはイケメンの彼氏がいた。

 なぜそいつが彼氏と分かったかと言えば、紺野さん本人がそう言ったからだ。僕の視線に気付いた紺野さんは、僕に声を掛けてくれた。その時に聞いたのだ。


「……紺野さん」


「えっと…………星宮くん! そう、星宮くんだ! 星宮雫くん。久しぶりだねぇ」


「久しぶり。その、き、綺麗に……なったね。……あのさ、そこにいる人って……」


「ああ、あの人」


 少し恥ずかしそうに笑って。


「彼氏」


 内緒ね、と小声で言うと、彼女はそのまま去っていった。


 どうして同窓会に彼氏がいるのかはよく分からなかったが、元同級生のうちの誰かと付き合っているか同窓会についてくるくらいの束縛彼氏だったかのどちらかだ。正直どちらでも良かったし、興味もなかった。僕は何を期待して同窓会に来たのだろう。僕の安月給では参加費だって惜しかったはずだ。勝手に期待して勝手に傷ついて、大の大人が本当に阿呆らしい。


 僕は酒の入ったの瓶を何本か携えて、こっそり同窓会を抜け出した。


 会場近くを歩き回って適当に座れる場所を探す。そう遠くない場所に、都合よくベンチのある公園を見つけることができた。僕はそこに座るなり、瓶から直接酒を飲んだ。浴びるようにとは正にこのことなのだろう。


 酒の力で上機嫌になった僕は、上機嫌な頭で考えた。僕の人生はどうしてこうなったのか。どうして当たり前に大人になれなかったのか。どうして思春期を終わらせられないのか。紺野さんに告白できなかったからか? 友達がいないからか? 年相応の時期に年相応に遊べなかったからか? 母親が僕に理不尽に当たったからか? 父親がそれを止めなかったからか?

 どれも決定的な原因ではないような気がした。分からない。だいたい当時の僕はあれだけ異様に紺野さんに尽くして、一体どうするつもりだったのだろう。愛されたかった? ならどうして本人に分かるように尽くさない。こっそり頑張ってくれてるの知ってるよ、ありがとう、とでも言われたかったのか? 母親じゃあるまいし。──ああ、母親。それは、ちょっとだけあるかもしれないな。


 別に誰のことも恨んじゃいない。本当にそうなのだ。父さんも母さんも、僕を育てるにあたって最低限の義務を放棄したことは一度もない。僕は健康体で成人している。紺野さんのことも恨んでない。恨む筈がない。僕が勝手に好きになっただけだ。ならじっちゃんか。まさかそんな訳はない。じっちゃんには感謝しかない。どうして力を寄越したのか分からないけれど、じっちゃんなりに何か考えがあったのだろう。上手く使えてないのは僕が悪い。


 誰のせいでもない。もちろん僕のせいでもない。


 ただ気付いたら、致命的な何かが欠けていた。それだけだった。


 いっそ何かのせいにできたら良かった。とことん不幸ならまだ救いがあった。……あった? そうだろうか。僕より不幸な人間なら山ほどいる。しかし最早そんなこともどうでもよくなりつつあった。どうせこんな人生なら分かりやすく不幸が欲しかったな、もうそれでいいじゃないか。顔も知らない僕より不幸な誰かに申し訳を立てる必要なんてどこにあるんだ。だんだん意識が混濁してきている。持ち出した酒はここで全て飲み切ろうと思っていた。そうすれば何かから逃げられるような気がして。或いは急性アルコール中毒とやらでしれっとあの世に行けたら、それはそれでいいかもしれない。何もかもがどうでも良かった。吐き気がしてもそれを酒で押し戻して、頭がガンガンと痛んでもお構いなしに飲んだ。


 そして、いよいよ意識を手放すかという頃になって──僕は、ふと思ってしまったのだ。

 




 ──このどうしようもない人生を、やり直せたらいいのに。


 できれば、高校くらいから。

 

 

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