貴方のためのワガママを-2



 ──星宮が能力を使って戻った沙織の後悔の地は、何やら荒廃した様子の建物の、裏手と思われる場所だった。見上げると曇天を高い煙突が何本も貫いている――廃工場か何かだろうか。


「沙織、ここは……?」


 尋ねるが、返事がないどころかこちらをちらとも見はしない。


 無視されたのかと困惑していると、横から星宮の声が聞こえた。


「どうやら今回は、部外者──つまり僕たちは、事に介入できない仕組みになってるみたいだね」


 隣に星宮がいると分かって、私は安堵のため息をついた。


「なるほどね……変わるのはそこだけ?」


「いや。たぶん流石に今回も三分だけってことはないと思う。あとは分からない」


 その割には余裕ありげな星宮。分からないなどと言って、何もかもを見通しているような雰囲気を纏っている──全てを俯瞰したような、超然とした態度でいる。


 思えばこいつは、いつも一歩引いたところから高みの見物でもしているふうだ。だが、全容の分からない能力下で治安の悪そうな場所に来てもなお、そんな態度でいられるものだろうか――それとも、やはり星宮にとっては他人事だからだろうか。


「──で? 彼女は一体何をしてるんだい? 人を待ってるみたいに見えるけど」


 星宮の言葉で我に返る。沙織から聞いた話を思い出しながら、私は答えた。


「あぁ、たぶん彼氏じゃない?」


「………………ああうん、なるほどね、最近流行りの廃工場デートかい?」


 情報の処理が追い付かず妙なことを言い始める星宮。


 困惑するのも無理はない――が、驚くにはまだ早い。これから私は、およそ現実の、しかもこんなにも身近にあるとは思えない話をこいつにしなければならないのだ。


「まあ廃工場だろうが何だろうが好きな場所でデートすればいいと思うけどさ。彼氏と会うにしては随分と深刻そうな顔つきじゃないかい?」


 星宮の視線が、彼女には何があったの? と問うている。しかし、話してしまっていいものだろうか──沙織は星宮に話していい、むしろ私から説明しておいてほしいと言われていたが、何せ事が事だ。それを、星宮の言葉を借りるなら「赤の他人」である人物に話してしまうのは随分と抵抗があった。


 だが、こうして能力を使ってもらっている以上、話さないというのはあまりにも不義理ではないか──と、そうも感じていた。知る権利がある、なんて言えば大袈裟だが、ある意味それが正当な対価のような気もする。それに元より沙織に頼まれていたことだ。


 逡巡の末に私は、事の全てを星宮に教えることにした。


「場所からお察しかもしれないけどさ、この時の沙織の彼氏って、いわゆる不良……っていうか、ヤのつく自由業みたいな人なんだよ。この時点で中学三年生の沙織より、三つ年上──高校三年生。で、なんだかんだ色々あったらしくて地元から逃げなきゃならなくなったらしいのね。それで、俺と一緒に来るなら今のこの廃工場裏に来いって言われて……まあ本来の過去なら、行かなかったらしい」


「……ごめん今なんて?」


「だから沙織の彼氏が不良で――」


「聞こえてるよ!」


 貴重な星宮雫のツッコミを聞けて私は満足だ。


「いやあの、聞こえてるし理解も出来てるんだけど、何言ってるか全然分からない。僕帰っていい?」


「ダメに決まってんでしょ」


 なんでそんな壮大な話になっての、と、巨大なため息をつきながら半眼で言う星宮。そりゃ私だって沙織から聞かされた時は随分驚いたし、そんな先輩とは縁を切った方がいいと強く言ったものだ。しかし――幾ら現実離れしていようと、起こったことは仕方ないわけで。


「そんな昭和の安いメロドラマみたいなことある? 平成の現実だよね、ここ」


「あんただって超能力者でしょ」


 我ながら至極真っ当なことを言った。


「いや、それは本当にそうなんだけどさぁ……。まあ、うん、分かったよ。所詮僕たちは自分たちに見えてる範囲のものしか知らないからね。僕らと接触しないだけでヤクザも裏社会も実在してるって勉強になったと思っておくよ。それで?」


「うん。沙織には難病の弟がいてね。先輩は組でそこそこの立場にいるから、一緒に行けば沙織は弟の手術代を手に入れることが出来た筈だった……らしいよ。極道の妻としてだけど」


「色々と渋滞しすぎじゃない? 僕こんな大事に能力で干渉して大丈夫だったわけ?」


 もはや一周回ったのか、呆れたように漏らす星宮。


「正直なところ僕にとっては他人事だからさ、沙織さんがどうなろうと僕は知らないけど。この力でこうして過去に戻って、それって本当に沙織さんの幸せの為になるわけなの?」


 佇む沙織の姿を眺めながら、星宮は私に問うた。……正直、それは私にもよく分からなかった。


「沙織の家ね……今、その弟の手術代を巡って毎日毎日夫婦喧嘩で、もうどうしようもないんだって。それで弟さんが亡くなりでもしたら、沙織はずっと十字架背負って生きていくんでしょ? それに、先輩のこともずっと忘れられないみたいで、ずっと苦しそうだったし」


 身近にある話にしては、あまりに不幸の度が過ぎて。


「それに……なんか、沙織、過去に戻るにあたってちゃんと覚悟してたみたいだから、大丈夫かなって」


 ──私には、看過することは出来なかったのだ。


「…………そうかな」


 ぼそり、と星宮が呟く。


「僕には昏い決意が宿ってるように見えたけどね」


「え?」


 咄嗟に意味が分からず、訊ね返す。


「現状に一欠片の未練もないだなんてさ。そんなことってあるのかな。例えば今からここで始まるのがヤクザの抗争だったりしたら? 沙織さんがそれに巻き込まれたり、何なら弟さんが人質に捕られたりしたら? とりあえず弟さんが生きてる現状に、どうやったって戻りたいって思うでしょ」


「そんな大袈裟な話があるわけ……」


「あるわけないような次元の話だろ? 裏社会だとか難病だとかって」


 何も言い返すことが出来ず、私は黙り込む。


 自分が暮らす日常とはあまりにかけ離れた世界のことだ、どうしたら正解なのかさっぱり分からなかった。そもそも沙織を星宮のところに連れていったことが間違っていたのではないか。過去は変えられないものだ、その前提条件を崩してしまった――沙織に妙な期待を持たせてしまった。それはもしかしたら、とんでもなく残酷なことだったのかもしれない。


――自分の常識が通用しない世界を見ている沙織のために、何を考えてやれる?


「……ねえ、星宮」


「ん?」


「沙織にさ……私の為に、私たちが暮らす日常に帰ってきて欲しいっていうのは……我儘かな。もう何が沙織のためなのかなんて、分からないじゃん」


「そうだね……」


 星宮は、自分たちの声が沙織に聞こえるわけでもないのに──静かに、静かに話した。


「たぶん能力の強制終了は、出来ないことはないよ。しばらくは色々しわ寄せが来るかもしれないけど、きっと紺野さんたちが言う『現状』に帰れる」


「そ、それなら今すぐ──」


 沙織を元の世界に帰さなきゃ、と言いかけた私を、星宮は手で制す。


「でもそれじゃ沙織さんが納得しないでしょ」


「でも」


「彼女が納得しなきゃ何も変わらない筈だよ。制限時間ギリギリまで粘ってからでも遅くはないから、今は彼女を見守ろうよ」


 星宮に諭され頷いた私は、視界の端に──見覚えのある人影を捉えた。


「分かった。……ねぇ星宮、あの人だよ」

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