貴方のためのワガママを-1

『のんちゃん……あのね、聞いてほしい話があるの』


 草木も眠る丑三つ時。


 電話の向こうで恐る恐るといったふうに切り出した親友に、私は、欠伸を噛み殺しながら答えた。


「うん……聞くのは全然いいんだけどさ、紗織、まずその『のんちゃん』ってのをいい加減やめようか。毎日言ってるけど」


「もういいじゃない。このやり取り五年目よ?」


「紗織がよくても私はよくないの……ふわぁ」


 噛み殺しきれなかった欠伸が語尾に滲む。


 電話の相手は、私の五年来の親友──七月沙織ななつきさおりだ。彼女は私のことを「のんちゃん」と呼ぶ。当人曰く、「紺野」の「野」からの派生で「のんちゃん」らしく、「えぇっ、可愛いじゃない。似合ってるよ、のんちゃん」とのことなのだが、お察しの通り私は全くと言っていいほどこの渾名を気に入っていない。こう呼ばれだして五年が経とうとしているが、未だ彼女に苦情を言い続けいる──もっとも最近は、そのやり取りも挨拶代わりになりつつもあるのだが。


「で、聞いてほしい話って何? 長くなりそうなら一回顔洗ってくるけど」


「相変わらずのんちゃんは優しいね……変な人に騙されたりとかしちゃ、ダメだよ?」


「いやいや、紗織だからだよ。この間だって、いちごミルク奢ってくれた学年有数のモテ男を蹴っ飛ばしてきたし」


「何やってるの?」


 親友の呆れ返った声が聞こえるが、あれはどう考えても星宮が悪かった。不可抗力というやつである。たぶん。


「いやぁ、ちょっとね。って、今は私のことはいいんだよ」


「ん、ありがとう。──あのね、私、ずっと後悔してることがあって……全然最近の出来事じゃないんだけど、この頃すごくその事を思い出しちゃうの。それで、誰かに聞いて欲しくて……ちょっと長くなるけど、いいかな?」


「もちろん。夜明けまでだって聞くよ。……って、紗織。今『後悔』って言った?」


「え? うん……言ったけど……」


 『後悔』──つい最近深く関わりあったワードに、思わず反応してしまう。と同時に、あの陽だまりの猫のような笑みが脳裏を掠めた。


 ──あいつの力なら、沙織の『後悔』をどうにかしてあげられるだろうか?


「紗織、話してみて。事によっちゃ、私より適任を紹介できるかもしれない」

 

 

 ◇

 

 

「……で、一体僕にどうして欲しいのさ? 紺野さん──いや、のんちゃん? ……ふっ」


「殴るぞ」


 翌日の放課後、所は学校近くのファミレス。


 私と沙織の向かい側には、顔立ちの整った、髪と目の色素の薄いふわふわした雰囲気の少年──星宮雫が座っていた。そして彼の目の前には、大量のスイーツが所狭しと並べられている。相変わらずの甘党っぷりだ──太ってしまえばいいのに。


「あの、のんちゃん……この人は……」


 人見知りの沙織が恐る恐るといったふうに私の方を見て尋ねる。こんな奴に緊張してやることなんてないよ、と心の中で呟きながら、ふと、確かこいつは学年内有名人ではなかったか、と思い出す。


 そう、学年一般的に見れば、こいつと放課後にこうしてファミレスに来られていることは、なかなか貴重で幸せな機会なのである。何せこの整った顔立ちに白い肌、そして色素が薄く綺麗な瞳に髪ときたもんだ。向かいに座って眺めているだけでもQOLが上がりそうな気さえする。


 まあ、私は微塵も嬉しくないが。


「あれ、紗織知らなかった? こいつ、そこそこモテることでそこそこ有名なんだ」


 すると沙織は申し訳なさそうに目を伏せる。


「そうなんだ。ごめんね、あんまりそういうの興味なくて……」


 そういえば彼女はそうだったな。


 当の星宮を横目に見ると、彼は特にそれを気にしたふうでもなく、いつものあの陽だまりの猫のような柔らかい笑みを浮かべている。


「クラスも違うんだし、知らなくて当然だよ。僕の名前は星宮雫。よろしくね、紗織さん」


「よ、よろしく……星宮くん」


 初対面女子に向けるものとは思えない、爽やかな営業スマイル──実に気に食わない。


 私がジト目で星宮を睨みつけていると、彼は一転、こちらに向き直って──笑顔は保ったまま、言った。


「で? 紺野さん。僕のこと……話したんだ? 僕からすれば赤の他人の紗織さんに? へぇ?」


 全く目が笑っていない。——まずい、殺られる。


 命の危機を感じた私は、慌てて保身に走った。


「だ──だって! いや、私だってそんな、他人に言いふらすようなことじゃないのは分かってたけど! 紗織なら大丈夫だと思ったし、それにどうしてもほっとけなかったの! ――そ、それと!」


 ダン! とテーブルに手をつき、私は立ち上がる。こうなったらもう星宮を責めて話題を逸らすしか道はない。今回は特に星宮に罪はないけれど。私はまだ死にたくないのだ。


「あんた曰く赤の他人の、初対面の女の子を、気安くファーストネームで呼んでんじゃねぇぇぇぇ!!」


 ビシっと星宮を指さし、怒鳴りつける私。ファミレス中の視線という視線がこちらに集まった気もするが、きっと気の所為だ。


 星宮は肩をすくめると、呆れたように言う。


「だって僕、沙織さんの苗字知らないし」


「聞きゃいいでしょうが!」


「それとも何? 紺野さんも下の名前で呼んで欲しいの?」


「んな訳ないでしょ!!」


「ふうん。…………そらさん?」


 半笑いで、しかも期間限定の苺タルトを頬張りながらだが、しかし星宮は私の下の名前を、気安く呼んできやがった。この紺野天様のファーストネームをそう安々と呼ぼうなんて、随分といい度胸であり──万死に値する大罪だ。だから顔が熱いのも、怒りによるものだ。きっとそうだ。そうに決まっている。決まっているので、


「へぁっ!?」


 と、そんな間抜けな声が出てしまったのは、ただの事故なのである。喉に痰が詰まったのだ。ほら、こういうことってよくあるじゃない?


 何に対するものなのかよく分からない言い訳を一人脳内で繰り広げていると、ふと隣からポンと肩に置かれた手があった。


「……私は応援してるからね、のんちゃん」


「何が!?」


 長い付き合いって怖いなと思った。



 ──さて、閑話休題。

 話題を戻すように、沙織が私に尋ねる。


「で、のんちゃん。のんちゃんはどうして私を星宮くんのところに連れてきたの?」


「あぁ、そう、その話だったね」


 私は顔の火照りを誤魔化すように、コホンとひとつ咳払いをする。そして、星宮を指さし、言った。


「こと『後悔』についてなら、コイツが適任だと思ってね。──星宮、もしあんたが大丈夫ならでいいんだけど、超能力のこと、沙織に話してやってくれない?」


 すると星宮は、何が意外だったのか陽だまりの猫のような笑みを崩し、きょとんと首を傾げた。


「あれ? 紺野さん、話したんじゃないの?」


 どうしてそうなるんだ? ──私も、きょとんと首を傾げる。


「は? 言うわけないでしょ、あんなこと。私が話したのはあんたなら『後悔』をきっとどうにかしてくれるってところまでだよ」


 星宮は、数瞬の間沈黙した後、真顔になって「ふうん……」とだけ言った。──その意味は、私には分からなかった。


「紺野さんが思ったより信頼の置ける人で良かったよ。君があの時読んでたBL十八禁本のこと言っちゃった人たちには、今からちゃんと口止めしておいてあげるね」


「はっ……ほ、星宮あんた、い、言い触らしたの!?」


「冗談だよ」


 さらりとそう言って、タルトの最後の一欠片を口に運ぶ星宮。


 完全に私の反応で遊んでやがる……なんて腹立たしい奴だ。どうしてこんな奴がモテるのか私にはちっとも分からない。


「さてと。まあ、そんな紺野さんの親友ならきっと大丈夫なんだろうね。僕としてはちっとも大丈夫じゃないんだけど、今回だけは紺野さんに免じて大丈夫ってことにしておいてあげるよ」


 やれやれといったふうにため息をつきながら、星宮は冬季限定みかんパフェにフォークを突き立てる。──一体何が星宮を感心させたのかはよく分からないが、どうやら沙織に力を――文字通り力を、貸してくれるようだ。この星宮のことだから、てっきりにべもなく断ってくると思っていたのだが。


「……本当にいいの?」


 当人があまり好んで使おうとしない力だ、思ったよりすんなりと快諾されて気味が悪いし、何より星宮に申し訳ない。そう、私と星宮は、言うなればたまたま弱みを握られ、実験台になるために能力を知らされただけの関係だ──本当なら私は、こんな超能力の存在なんて知る由もなかった筈で。それを使って親友を過去の出来事から救おうだなんて、紛れもない私のエゴだ。随分強引に星宮のところまで話を持ってきてしまった自覚もある。


 だが星宮は、


「いいよ、別に。紺野さんだからね、特別。でも今回だけだからね」


 と、さして気にしたふうでもない。もっとも、いつもあの笑みを浮かべていて感情の読み取りづらい奴なので、本当に気にしていないのかは分からない。


「ただ、言っておくけど──紺野さん。僕がじっちゃんから聞いた話で立てた能力についての仮説の四つのうち、二つ目。覚えてるかい?」


「二つ目……えっと、『一度使うごとに力を使って出来ることが増える』?」


「正解。紺野さんの弱い頭でよく覚えてたね」


「もう一回あの時みたいに蹴っ飛ばしてやろうか?」


 こいつはいちいち私を挑発しないと会話が出来ないのだろうか。お陰でちっとも話が進みやしない。


「まあ、とにかくそういうわけだからさ。紺野さんの時はいわば『ifストーリーの見学』だけで終わったけど、沙織さんは見学で済むか分からないってこと。沙織さんのために分かりやすく言うと、過去が変わってしまうかもしれないってことだ。──本当にそれでもいいのかい? 沙織さん」


 星宮が沙織を見つめる、全てを見透かしたような眼に──思わず、ぞっとする。


 口元はいつもの穏やかな笑みを浮かべたままなのに、その眼はどこまでも冷たい──色素の薄い瞳が、ひたすらに現実を物語ろうとしているような気がする。


 私はちらりと沙織の方を見遣った。元来人見知りでいつも自信なさげな彼女のことだ、こんな星宮の視線に怯んでいはしないかと心配になったのだ。


 しかし親友は、真っ直ぐに、強い意志を持った目で、その視線を受け止めていた。


「大丈夫です、星宮くん。例えあの過去が変わったとしても──そして、それによってこの現在が変わってしまっても──現状に未練なんて、一欠片もないわ」

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