4・対決の行方
約束の日、板ヶ谷たちはうどんやで対決の時を迎えた。
「当たり前だけど、私もシュンマにはまだ作品を見せてない。先輩方とイーブンな条件よ」
「当たり前でしょ……そこ崩れちゃったら不正だよ」
高遠が呆れる。
もっとも、勝負用の小説は見せていないとしても、シュンマは姉の作風を知り尽くし、また、おそらく彼の中では心酔している。
「はじめまして、先輩方。シュンマといいます。先輩方にもイタ兄にも、姉さんが迷惑をかけました」
「構わないさ。僕はなにせ天才小説家だからね、それぐらいの度量は持」
「冗談で流してくれて、ほっとしました」
一見心酔などしていなさそうであっても、今までの読書経験周りを聞く限り、そうなのだろう。
浜名が適当なことを吹いている可能性は……なさそうに、板ヶ谷には思えた。
「じゃあ先攻は私からね。シュンマ、私の作品を読む権利を与えるわ!」
どうしてこうも自信にあふれているのか、彼は不思議だったが、シュンマは素直に読み始めた。
彼が姉、高遠、跡見の作品を読むまでに、そう時間はかからなかった。短編だからでもあるが、きっと読書経験も関わっているのだろう。
なお、その直後に板ヶ谷も読ませてもらった。
「高遠さんは高校生の青春もの、跡見さんはローファンタジー、浜名は現代の能力バトルか。この中では浜名だけ毛色が違うようだね」
板ヶ谷は事前にだいたい分かっていたので、意外には感じなかったが。
そして、実力も事前の予測の通り、高遠が圧倒し、跡見も浜名を大きく上回っている。
ジャンルが違うため単純な比較はできないが、それでも、無作為の百人に読ませれば、だいたいが板ヶ谷と同様の評価を下すだろう。
あくまで無作為の百人に読ませた場合は。
「皆さん、いい作品をありがとうございました。どれも面白かったです」
シュンマが一礼する。
「で、ジャッジは、勝敗はどうなの早く」
浜名が猛烈に急かす。
「うん、勝敗は」
「うんうん!」
浜名だけは前のめりで、残りは静かに緊張の面持ちで待つ。
「勝敗は、――姉さんの勝ちです」
一同が一瞬、シンと静まる。
「……ほらやっぱり、私はすごい小説家なのよ!」
「いや……客観的にすごいのは先輩方のほうでしょう」
彼はすぐに言葉を継ぐ。
「話の運び方、言葉選び、伏線、セリフ回し、ほかどれをとっても、高遠さんがトップ、跡見さんがそれに続き、姉はどう考えてもお二人に及びません。客観的な腕前は」
「おぉーいどういうことなのぉー!」
ずいずい迫る姉を押し返し、シュンマは続ける。
「でも……それでも、僕が読んで楽しかったのは、姉の作品でした」
「それは……シュンマ君の培ってきた感性が、そういう方向だからかな?」
「はい。おっしゃるとおりです」
板ヶ谷の言葉に彼はうなずく。
「僕は、聞いているかもしれませんが、姉の小説や、それに似た小説ばかり読みふけって育ちました。ここ五、六年の話です」
板ヶ谷には、その先の理屈が読めた。おそらく事情を知っていれば、彼でなくとも、シュンマが何を言いたいのか分かるだろう。
「実力というより感性。僕は、頭では先輩方のほうが優れた物書きであると理解しています。でも、それでも、僕が読んで楽しかったのは姉の作品のほうです」
ふと見ると、浜名も単純に褒められているのではないことが分かっているようで、複雑な表情をしている。
この結果、誰も満足していないようだ。――板ヶ谷の脳内に「勝者なき戦い」という言葉が浮かんだ。
「ジャッジが不特定多数でも無作為でもなくて『僕』である以上、姉の勝ちという判断を曲げるつもりはありません。ほかでもない『僕』個人の感性に委ねられているわけですから」
彼は、はっきりと言い切った。
もう夕暮れ。
うどんやの出口で浜名姉弟と別れた後、三人はただ沈黙した。
「負けちゃったね」
高遠がぼそりと。
「そうだね」
板ヶ谷も短く答える。
彼は何か言おうと思ったが、やめた。こういうときに何を言っても、おそらくなんにもならない。傷をえぐるだけだ。
仕切り直すためにお茶をしようにも、それは今さっきしていたばかり。ゲーセンやボウリングなども、行く空気ではないし、そもそも三人とも、その手の遊興は特段好きなわけではない。
うっぷんを晴らすのは簡単でも、彼女たちのこの感情を晴らすのは難しい。分かち合おうにも、彼は彼女たちにとって「小説を書く苦労を知らない門外漢」であるため、分かち合ったと思ってもらうのは困難。この認識は間違っていない以上、どうにもならない。
困った。
「困ったな」
彼の口から、ついポロリと。
思わずつぶやいてしまった。彼自身の顔から血の気が引く。
彼女たちの反応は。
「……ぷっ、ハハハ!」
高遠はなんと笑い出した。
「えっ」
「ハハハ、ハハハハ!」
どうも笑いのツボを付いたようで、彼女はゲラゲラと腹を抱えて笑う。
「な、何がおかしいのだね、僕はただ、なんというか」
「はー、おかし。板ヶ谷くんにも、空気を読む感覚があったんだね!」
「失礼な……僕はなにせ小説の天」
「フフ、あはは」
つられて跡見までも笑い出した。
「ちょ、跡見さんまで……僕をなんだと思っているのかね?」
「ごめんなさい、でも、なんだかおかしくて」
明るい袋叩きである。
「まあ、しかし、元気が出たのならよか」
「おかげで元気が少しは出たよ、ありがとう」
高遠は微笑み、その艶のある唇で感謝を述べた。
不意打ちだった。何度も言葉を被せられているのを、忘れてしまうほどに。
「お、お、おお……」
一瞬のうろたえを、高遠は見逃さなかった。
「おや、照れてるの? へえ天才小説家が女の子にスマイルされたぐらいで照れちゃうんだ、へえー」
「て、照れてなんかいない。この通り冷静だよ、さあ行こう」
言って歩き出そうとし、うどんやのドアに体をぶつけた。
「イテ!」
「すごく照れてるね」
板ヶ谷の顔が、みるみる赤くなる。
「ど、どうでもいい。元気が出たなら良かった、ほら行こう、じきに暗くなるよ」
「ふふ、ホントにありがとう」
カラスの鳴き声が、冷やかすように通り過ぎた。
彼は家に帰った。
そこで気づく。流れで、浜名の原稿を持ち帰ってしまったことに。
どうするかな、これ、と彼は思う。
彼女はこの原稿について「パソコンで書いたデータをプリントアウトしたもの」と言っていた。実際、書かれている字は機械での印字である。
つまり、この原稿を彼が持ち帰っても、浜名はとりあえずは困らない。いや、板ヶ谷がネットやリアルの人間にこれを流出させたら困るだろう。しかしそうでない限り、浜名が元データを持っているはずであり、その元データの利活用には影響がないように思える。
――しかし、これが高遠さんや跡見さんを抑えて勝利か……僕にはどうも、理屈では分かっていてもなあ……。
彼は原稿をもう一度読み返した。
◆◆◆
俺の名前は清龍院・G・セツナ。こう見えてなんだが、ソーサリー「サラマンダー」の使い手だ。
でも世間的には普通の高校生だけどな! 裏で始末屋をやっている!
そんな俺が登校したある日。
「よう清龍院、今日の弁当はなんだ?」
「竜田揚げだぜ!」
親友の下田に声をかけられた。
こいつは昼飯代を節約して貯金している。何のために、といえば、エレキを買うためらしい。
それで、俺が余分に弁当を作ってこいつの腹を満たしてやってるわけだ!
「ほお竜田揚げか、うまそう、今すぐくれ」
「おいおい今は――」
その瞬間、危険を察知した俺は。
「危ない!」
下田を突き飛ばし、ソーサリーを起動する。
「護れ《サラマンダー・ウォール》!」
敵――だろうか? の放った一筋の光線は、俺の《サラマンダー・ウォール》にすんでのところで止められる。
「ククク……さすがだな清龍院・G・セツナ。ソーサリー《サラマンダー》をそこまで使いこなすとは……」
そこまで知っている? ひょっとして俺の正体も?
「ソーサリー? おい清龍院、どういう」
「ちょっと黙ってろ――おい、お前は誰だ、どうして俺のことを!」
言うと、その男――黒衣、長身の怪しい「モノ」は返す。
「クク……『聖者の油絵』に記されたとおりだ……お前の中には『セブン・ソーサリーズ』の一つ『始原のソーサリー』が眠っているだろう?」
「なにっ!」
「世界を創り、維持し、そして破壊する『神々の聖遺物』たる『セブン・ソーサリーズ』。そのホルダー同士が引き合うのは必然だろう?」
「なんだと?」
こいつ『神々の聖遺物』を知っているだと? なら『ドラグーン』の『オーガナイザーズ』である俺の組織のことを知っているのもうなずける。しかし『セブン・ソーサリーズ』のホルダーがなぜここに? 俺は、互いを退け合う性質があると聞い
◆◆◆
板ヶ谷は読むのをやめた。ツッコミどころが多すぎる。それに、数千字で終わらせるタイプの物語ではない。短編向きの展開ではないだろう。
彼の読んだ限り、高遠や跡見はその辺を理解していたようで、きちんと四千字前後で風呂敷を畳んでいた。よく分かっている書き手である。
また再三述べるが、二人の表現力も、これとは天と地ほどの差がある。もっとずっと洗練されているし、無駄な記述も削いで意味不明な部分もない。
それでも二人はこれに負けた。審査員との感性の違いのみで。
「世知辛えな」
偶然、テレビの芸人の声が放たれた。
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