2・同人活動


 高遠と跡見が文筆活動をしているのは、この一高では割と有名な話である。二人とも活動を隠していない。

 普通は隠すものではないか、と以前、板ヶ谷が聞いたところ、隠すべきものは隠しているという。

 いわく。本名はもちろん、ペンネームやサークル名、アカウント名、そして住所や年齢、学校の所属などは、ネットのいわゆる特定班が狙ってくるおそれがあるため、隠しているという。近所の写真なども、アップロードしないようにしているという。

 つまり、二人が同人やネットのどこかで執筆活動をしている、ということ以上の情報は、誰にも伝わっていないという。

 それは何も言わないのと大して変わらないのではないか、と問うたところ「それでもいいじゃん」とのことだった。

 また逆に、同人誌即売会――例えばコミックバーゲン、通称コミバなどでリアルの知り合いに会ったらどうするのか、と聞いたところ、「それは同人者の誰もが抱えるリスクだから仕方がない」とのこと。色々割り切り過ぎではなかろうか、と板ヶ谷は思ったが、本人がそう言うならそうさせるしかない。

 そう思っていたところ、いつものカフェ「うどんや」で高遠が聞いてきた。

「ねえ、私のペンネームとサークル名、知りたくない?」

「なんだね唐突に」

 そういえば、板ヶ谷も彼女の活動の名義を聞いたことがなかった。

「えー、知りたくないの?」

「だってエロはやってないんだろう? なら別に、僕は自分の究極を目指すだけだ」

 高遠はいたずらっぽい笑みを浮かべる。

「ほんとはエロもやってるかもよ」

「……どっちなんだよ」

 彼の心臓が跳ねる。

「板ヶ谷くんになら、乙女のひ・み・つ、教えてあげてもいいのになー」

 またも心臓が跳ねる。「乙女のひ・み・つ」と可愛い女子に言われて、何も感じない男子はいない。

 しかしこうくると、素直にうなずいては負けたような気分になる。

「いらん。僕はすでに世界最高の小説家、他人から学ぶ段階ではない」

 ちなみに跡見はまたも不在。この日、学校には来たが、放課後は家業の手伝いですぐに帰宅した。

 彼女が同人活動をしないのは、家業があるからかもしれない、などと板ヶ谷は考えてみた。

 ともかく。

「えー、せっかく乙女のひみつを教えようと思ったのになー、このチャンスを逃すと、もう聞けないだろうなー」

「いらん。僕は僕の道を征くまでだ」

「あまのじゃくだなあ。一本も書いていないくせに」

 突然の奇襲である。

「ぼ、僕が書かないのは」

「はいはい、すごいすごい」

 彼女は手をひらひらさせて、彼の戯言を軽くあしらった。


 翌日の昼休み、事件は起きた。

「高遠さん、跡見さん、俺たちの文芸部に入らない?」

 文芸部員の同級生、山神が二人に話しかけてきた。

「えっ」

「いやあ、高遠さんはネットと同人、跡見さんはネットで創作活動しているって聞いたからさ」

 山神は小声で続ける。

「二人の活動名も知っているよ。高遠さんのサークル名はクロ……」

「そこまでだ」

 話の外だった板ヶ谷は割って入った。

「二人がリアルバレを嫌がっているのは分かっているだろう。それをネタに脅すとは、卑怯者め」

「おっと、失敬。でも俺が知っているのは、別に不法な手段を使ったからじゃない。部員がコミバで見ただけだ」

 もう「コミバで遭遇」のパターンは起きていたらしい。

「この二人、特に高遠さんが入ってくれたら、うちのエース確定だ。悔しいが、俺や部長でさえ、高遠さんの実力には及ばない。コンクールを荒らし回れることは間違いない」

「それで実績を作って、部費拡大を狙うとでも?」

「その通り」

「高遠さん、実力差は本当なのかね?」

 聞くと、彼女はうなずく。

「以前、部誌を読んだことがある。……うぬぼれをなくしても、私のほうが上だと思う」

「なるほど。……山神、恥を知ることだね」

 板ヶ谷は吐き捨てた。

「一人の実力者におんぶにだっこで部活? 笑わせるな卑怯者!」

「おいおい、卑怯とは言うがな、たとえ話をしようか」

 全く堪えた様子がない山神。

「ここに野球チームがあるとする。四番ピッチャーだけが抜群に優秀で、大会でそこそこの成績を挙げ、部費を拡大したとしよう。お前はそのチームを『エースにおんぶにだっこの卑怯者』だとののしるのか? その罵倒に正当性はあるのか?」

 板ヶ谷はしばし考え、答えた。

「それもその通りだね」

「納得しないでよ!」

「あと板ヶ谷、お前は別にいらない。どうしてもと言うなら入部を認めてやってもいいが。人数も部費の参考要素だからな」

「それはその通りではないね。なぜなら僕はまだ書かないだけで至高の――」

「寝言は寝て言え」

 一刀両断である。

「じゃあ別の観点から言おう。嫌がっている人間を部の実績のために連れ込むのが正義か? ……いや待て、そもそも高遠さんは嫌なのか?」

「嫌に決まってるでしょ」

「なぜ? 跡見さんも一緒に入っていいんだろう?」

 言うと、跡見が反応する。

「板ヶ谷くん、そんな問題じゃありません」

「そ、そうよ、そんな問題じゃないんだよう!」

「なんなら僕も入れるんだろう、一応」

「だからそうじゃなくて……ああもう! とにかく文芸部には入らない!」

 高遠はポニーテールを憤然と揺らした。

「だそうだよ。理由は分からんが文芸部には入りたくないらしい。嫌がる人間をエースに据えるのは、人さらいのやり口じゃないかな?」

 ここまで言って、ようやく。

「んー、じゃあ仕方がないな。これは説得を続けても意を変えそうにない。あきらめるか。……文芸部に入りたくない理由もなんとなくわかったしな。板ヶ谷、お前は幸せ者だ」

「は? 何が? 僕が世界一の小説家であることがかね?」

「ちょっと!」

「おっと。わからないならそれでいい。そのうちわかる時が来るんじゃねえかな。じゃあお邪魔にならないうちに戻るわ!」

 山神はそう言うと、弁当箱を抱えて、文芸部の部室のほうへ歩いていった。

「もう、ほんと失礼なやつね。幸せ者とか……」

 高遠の顔が若干赤い。見やると、跡見の顔も少し赤かった。

「私だって……」

「いったいどうしたんだ。文芸部は追い払ったのだろう? ああ、サークル名のリアルバレとかかな。でも彼らはもう心配いらないと思うよ。なぜか友好的に去っていったからね」

「そうじゃなくて……うう……」

「ところで、どうして文芸部に入りたくなかったんだ? 山神の言う通り、エースになれるんだろう?」

「この……分からず屋!」

 彼は頭をポコンと軽く小突かれた。


 気を取り直して、彼は言った。

「そういえば漢文の小テスト、明日だな」

「えっマジ?」

 高遠が素っ頓狂な声を上げる。

「そういえばそうでした……」

「どうしよ、すっかり忘れてた。原稿なんかやっている場合じゃなかった」

 たかが小テストに何を取り乱しているのか、と思うかもしれない。しかし違うのだ。

 この漢文の小テスト、名前に反して、授業時間のうち三十分を使う、かなり大規模なテストなのだ。

 さらにいうと、漢文科目の小テストに関してだけは、ペナルティが途方もなく厳しい。

 最終的に平常点として成績に影響する点数は大きくない。だがこの「小テスト」、クラスの順位にして半分から下は丸々補習の罰があるのだ。

 利益は少ないのに損失は大きい。誰も得しない小テスト制度である。

「僕は漢文、得意だからいいけど、二人は」

「私が得意なのは現代文と小論文だし」

「私も同じです……」

 畑違いというやつである。

「ねっ板ヶ谷くん、今回も私たちに勉強教えて?」

「仕方がないな」

 なんだかんだいって、得意分野で人にものを教えるのは嫌いじゃない。

 それに。

「僕も二人には小論文を教えてもらっているからね」

「全然伸びないけどね」

「僕は論文より小説文だからね」

「その割に現代文も大したことありませんよね」

「読むより書くほうだからね」

「一作も書いたことないのに?」

「まだその時ではない」

 芸術的な言い逃れである。

「じゃあ、いつもの『うどんや』でご教授いただきますか!」

 あのカフェは高校生のたまり場になっており、勉強で長居していても怒られない空気がある。

 ついでにパフェやうどんで小腹も満たせる。

「ところで……板ヶ谷くんはなんで漢文が得意なんですか?」

「うん?」

 跡見からもっともな質問。

「それそれ。他の科目は大したことないのにね」

「くっ」

「勉強自体が得意なわけではなさそうです、なのに漢文だけ、まるで特別な鍛錬を積んだかのように……?」

 跡見が言うと、板ヶ谷は真面目くさって答える。

「特別な鍛錬? 僕の程度で特別だったら、他の連中は杜甫、白居易、李徴も真っ青なほど……」

「えっ山月記?」

「いや、なんでもない。人には向き不向きがある」

 やや苦しそうにつぶやく。

「ちょうど、高遠さんがお化けを怖がるように」

「ちょ、なんで知ってるの!」

「跡見さんから聞いた」

「跡見ィ!」

「ひぃぃ」

 跡見はこめかみをこぶしでグリグリされた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る