star fish

 ―一ヶ月が経ち彼は鬱屈としていた。それはそうである、ごく潰し中のごく潰しである自分が仕事などという行為に精を出せるわけがないのだから。

 ただ、死にたいわけでもなく、生きる死体の名を冠し、仕事を淡々とこなしていた。

「これじゃバカにしてた社畜乙wwwwwwwwがブーメランで帰ってくるな......」

 某匿名掲示板のことを意識の片隅におきつつ、夜風に当たりながら自嘲しながら、彼は寝相が悪いため姫の寝室の布団をかけ直すという業務に淡々と向かうのであった。

 相も変わらず姫はとんでもない寝相で布団を蹴散らしていた。

「どんな教育を受けてきたんだよ......」

 愚痴を漏らしながら布団を被せ直すと。

「ははさま.......」

 と寝ている彼女が一縷の涙を流しながら小さく寝言をささやいた。

 彼はその姿をみて自分の母との短くありきたりな記憶を思い出した。


「―そしてアリスは目を覚ましたのでした。」

「えーその後はー。」

 母は困ったような顔をした後言った。

「これでこの本はお終いなのよ?」

「じゃあ、お母さんも僕もいつかお終いになるの?」

 母は息子がそのようなことを言い出すことを全く予想していなかった。

「そうね、でもたくさんの大事なことに出会うこともあるわ。」

 目をキラキラさせて聞いた。

「アリスみたいに?」

「魔法とか?魔物とか?僕も主人公になれるの?」

 母は男の子だなぁと、息子の新たな一面を発見しながら見つめた。

「そうね、もしかしたらあるかもしれないわね。」

 母は遠いところを見ていた、遠い遠いところを。その読み聞かせが母との最後の会話だった。魔法も奇跡もないことを彼は知った、そしてライ麦畑のごく潰しに成り果てたのであった。


 ―なぜ忘れていたのだろう。彼は脇目を振らず一心不乱に走り出した。気づいたら執事室をノックしていた。

「おい!起きろ!!」

 一号は眠たい目をこすって状況を探るように言った。

「なんですか......こんな時間に。」

「星を見に行こう―」 


 彼はいわゆるスポットなるものを見つけていた。薔薇園から少し南の位置に小高い丘があったのだ。今なら少し違う景色が見える気がした。モノクロではなく色づいた景色が。

「ちょっと!どこまで行くつもりですか。明日も仕事があるのですよ?」

 彼はとんだ堅物だと思った。夜の逢瀬に対する一般的な女性の反応ではないだろう。

噛みタバコをひと吸いする。

「ここだ。」

 小高い丘からはすべてとは言わないものの、城下町と小さな灯火と紅い月を見ることができた。

「ああ、こんなに綺麗だったのか。気づかなかったよ。」

 彼は独白のように自分の率直な感情を吐き出した。

 彼女は彼の意図が全く読めなかった、絡まった糸のように複雑で、風のように自由な彼の心を理解するのはどれだけ高名な学者でも難題であるだろう。

「あのデカくて、紅い円は何ていうんだ?」

 彼女は彼の疑問に対して答えた。

「名前はありませんよ。ただ、昔からそこにあるんです。」

 彼はうなずいてから、言葉を吐いた。

「もったいないなぁ、こんなに綺麗なのに。」

 その言葉を口にした彼は、とても艶焼かであり、同性であってもドキリとしてしまう美しさだった。近づくと棘に刺されてそこから出て来れなくなってしまうような危うさもあった。

 彼女は自分に吐かれた言葉のように感じて動揺を隠せなかった。

「月って言うんだぜ。俺らの世界ではな。」

 彼は独白を続けた。どうやらスポットライトは点きっぱなしのようだ。

「お前は今日からセバスチャンだ。一号なんて味気ないだろ?」

「は?」

 ガラスに拳を叩きつけるように彼女の世界が破壊されて行くことを彼女は、ただながめることしかできなかった。

「旅に出るぞ、俺とお前でな。」

 彼女はたいした情報量でないにも関わらず彼の言葉を処理しきることができなかった。

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