第3話 夜が続けば月も出る(3)

『クジラ』さんはシャツの上に指定のセーターだけを着ていた。寒くないのかな。むき出しの白くて細い首に、代わりにサヤが身震いしてしまう。

 食堂から出て地下へ降りる階段は、固く組み合わされた石の壁におおわれていて隙間風もないはずだったけど、やけに寒かった。見上げると、黒々とした影でよく見えなかったけれど、丸い天井になにやら彫刻が彫ってあるのがわかる。相変わらず不気味だ。そう思いながらもすっかりこの学園に慣れつつあるサヤには大したことではなかった。もうすぐ丸2年が経つ。その間、サヤは一度も学校の外、敷地の外に出たことがなかった。それも規則。地下へ下る螺旋階段らせんかいだんは、下れば下るほどに狭さを増しているみたいだった。寒さも、増している。

「ここ来るのは初めて?」

 女子の先輩が、リボンをいじりながら聞いてくる。癖なのだろう。青いリボンの端っこをねじるようにしてもてあそんでいる。この人はみんなに『クマ』と呼ばれていた。教えてもらってすぐに『クマ』さん、と呼んでみたはいいものの、なんだか少しだけ恥ずかしくてそれから呼べていない。

「調理室なんて、行くことないもんね。」

「留守番の時はずっとこうなんですか?」

 口を開いたのは『カナ』で、サヤと同学年で授業が同じの男子。さっきサヤを無視したやつだ。本当は『カナヘビ』なのだが、長いからかみんな『カナ』と呼んでいる。さっきから一言も発さなかったものだから、少し驚いてしまった。

「そうだね。去年は天候が荒れて、巡礼の半分以上が中止になったから食堂を使ったと思うけど。」

「てことはさ、お前去年巡礼組だったのか。ラッキーじゃん。」

 ポケットに手を突っ込みながら振り返ったのは『コマ』さん。急な階段でしかも暗くて狭いのに、そんな恰好で、ぴょんぴょんと降りるものだからひやひやしてしまう。

「留守番したことないのかな、もしかして。」

『クジラ』さんが聞くと、『カナ』は真顔のままうなずいた。えー、と一斉に先輩たちが声を上げる。一際大きい声で『クマ』さんが、いいなーと言う。とてもにぎやかだ。こんなにぎやかな先輩たちの中にこんな不愛想な『カナ』がずっといたのかと思うと少し面白かった。

「僕なんて一度も行ったことない。」

 すねたように笑うのは『アライ』さん。もの静かな、土の妖精みたいな雰囲気の先輩の名前を聞いた時びっくりしてしまった。本名は名乗らない規則だから。安心して、あだ名だよ。そう言って『アライ』さんは、ふふふと笑っていた。

 巡礼はみんなが行けるわけじゃない。「冬巡礼」だけでなくて、一年中巡礼はあって、誰かしらが学園を出ている。ほとんど外にいてこんな人いたっけ、て思うほどの人もいれば、いつまでたっても留守番の人もいる。サヤは、まだ一度も外へ出たことがない。3年生の『アライ』さんが悲しそうに言うのを聞いて、自分ももしかしたらずっと行けないまま終わるのかもしれないと思って不安になる。

 螺旋階段の終わりは突然来た。一際暗い横穴がぽっかり空いているのを見てちょっと息を呑んでしまう。平然と先へ進んで行く先輩たちの後ろで少し戸惑うサヤの肩に、そっと手を置いて『クマ』さんが言う。

「もうすぐだよ。」

 見ると、ずっと長く暗く続いている地下の廊下の先に、白く明かりがもれているのが見えた。少し、あたたかくておいしそうな匂いもするような気がした。

「私、にくじゃががいいなあ」

 ふふ、と笑って『クマ』さんがサヤより一足先に暗闇に足を踏み出した。

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