うさんくさい神様の最後のお告げ
あれから一週間。俺は学校には行かなかった。スマホも電源は付けずに真っ暗の画面のままベッドの上に放り投げてある。
床に転がったカップ麺の残骸を足で押しのけながら本棚の漫画を手に取り、少し読んでは投げ捨てて。また別の漫画を読む。
何もかもから逃げた俺は、いつかの堕落した生活に戻ってしまっていた。
ここまできてしまえば案外楽なもので、体はすぐに順応して再び戻ってきた生産性のない無駄な日々に歓喜し様々な機能を省エネモードに設定した。
結果俺は部屋に引き籠もり外界との接触を断つことに成功したのだ。
「はぁ」
どの漫画を読んでもつまらない。
インターネットで動画を見ても何も響かない。
ついに俺は何をすることもなく壁にもたれかかり何もない空間を仰ぎ見た。
いや、何もないなんてことはなかった。
そこにはチョッパチュップスが宙を浮いているという珍妙な風景。
「んー、チョッパチュップスもあとちょっとしかないなぁ~。ねね、キミ買ってきてくれない? お小遣いもなくなっちゃった」
「・・・・・・今までどこにいたんですか」
この一週間、ミコトは俺の前には現れなかった。てっきりもう消えてしまったのだと思っていたのだが。
「ちょっと用事でね。神様だから忙しいの」
なんて言うが、声の出所はいまだ虚空。
前までは透けて点滅していたミコトだがもうすでに姿は完全に消えてしまっていて、口に咥えたチョッパチュップスだけが実体を持っている状態だ。
「でね、今日はご報告にあがった次第なのでありますよ」
なんだかよく分からない口調でミコトが言う。
「ウチね、この世界にいられるの今日までみたい。だから」
「お別れを言いに来た、ですか?」
「まさか! さっきも言ったっしょ? チョッパチュップスが欲しいなぁ~っておねだりしに来たの。ねぇおねがぁ~い。神様がこれだけ頼んでるんだからぁ~」
「・・・・・・」
「あれ? どしたの?」
自分で言うのもなんだが、完全に生気の抜けきった俺を不思議がるミコト。
「フラれたんです」
「ほう」
「ほう、ではなく。フラれたんですよ山吹さんに」
「そうなの? ってことは告白できたんだ! 偉いじゃ~ん! よく頑張ったねキミ! ウチがなでなでしてあげる~!」
俺の気持ちとは裏腹にミコトは相変わらずの脳天気さである意味羨ましい。
「偉くなんてないですよ。俺は今まで彼女を作るために頑張ってきたのにそれができなかった。神様にお告げまでしてもらって手助けされても、俺はなにも成すことができなかったんです」
結果よりも過程なんて綺麗事、今の俺にはなんの効力もない。結果が悪ければどんな努力も意味はない。ただの時間の無駄だ。
「もう、どうしたらいいか分からないんですよ」
地面を這うように、俺はチョッパチュップスが浮かぶ場所まで辿り着く。
「教えてください、次はどうすればいいんですか?」
縋るように。
「俺は何をすればいいんですか? 誰に、どこで、教えてください。そうしないと俺・・・・・・あなたがいないと、俺・・・・・・!」
実体のない、だけどきっとそこにいる。いつでも俺に優しかった金髪ギャルの神様に手を伸ばす。
「行かないでください! お告げを、お告げをください! 今までみたいにお告げで、俺に目標をください!」
みっともない姿だとは思う。だがこれは、化けの皮が剥がれただけなのだ。
これが俺の正体。神様の手助けがなくなった、楠木颯太という人間だ。
「ん~~~~、えいっ」
「んぐっ!?」
突然、口の中に何かが放りこまれた。
「ちょっと甘い物食べて落ち着きなって」
口いっぱいに広がる糖分。チョッパチュップスのプリン味だった。
「それと、顔洗ってきな? 今のキミ、けっこうすごいことになってるよ?」
「・・・・・・」
「もう、しょうがないなぁ」
言うと、ミコトは部屋を出て行き、すぐにタオルを持って帰ってきた。
「目、閉じて。そそ。もう、赤ちゃんみたいじゃん。ちょっと見ない間に幼児退行しちゃったの?」
「幼児退行はしてないです」
暖めてきたのだろうか人肌の温もりに触れて少し頭がスッキリしたような気がする。
「落ち着いた?」
「・・・・・・はい。すみません。さっきは取り乱してしまって」
「いいって、ウチ神様だから。寛容だから」
神様、か。
「あの、それでお告げを」
「またそれ! どんだけキミお告げ好きなの? お告げフェチ?」
「なんですかそれ。そうじゃなくて、俺、今どうすればいいか分からないんです。だから道標となるものが欲しいんです」
「そんなこと言われてもねー。山吹ちゃんはどったの?」
「今日の昼の便で出るそうです。空港まで結構遠いんでもう荷物を車に積めてるところじゃないですか? あ、そうは言っても分からないですよね。実は山吹さんは北海道の実家に帰ることになって――」
「事情は知ってるから説明しなくても大丈夫。ていうか説明してるキミが泣きそうになってんじゃん」
「う・・・・・・」
やはり思い出すたび、辛くなってしまう。
「事情は知ってるってやっぱり千里眼で見てたんですか?」
「うん? あー、うん」
「それです! その全てを見通す千里眼で俺の運命を視てください! それのおかげで俺は今までうまくやってこれたんですから!」
「それの、おかげ?」
「そうですよ! 話をしろって言われたから話をして山吹さんと仲良くなることもできました。人を喜ばせて、思いやりを知って、笑わせて怒って。千里眼で運命を視てそのお告げの通りに動いてたら全部うまくいったんです! 今回は・・・・・・自分に自信を持つっていうお告げを守れなかったからうまくいかなかっただけで・・・・・・お告げさえ守れば俺は!」
「ちょっ、ちょっと待って! 顔! 股に顔突っ込まないでって!」
ミコトの姿は見えないので分からないが、どうやらこの辺に足があってその間に俺は知らず知らず接近してしまっていたらしい。
「はぁ、うーん。もう見せるしかないかなぁ。でもなぁ。こういうのって自分から見せるよりいなくなったあとにさりげなく気付いて貰ったほうがなんかエモいんだけどなぁ~」
そんなことをブツブツと呟いている。
「ん、わかった!」
虚空の中から、ニョキっと大きめの巾着袋が現れて俺の前にボスンと落ちる。
結構大きい音したな・・・・・・何か重いものでも入っているのか?
「開けていいよ」
俺が興味を示していると頭上から声。言われたとおりにその巾着袋の紐を解いて中を見た。
「・・・・・・なんですか? これ」
中から出てきたのは数冊の本と、赤のカラーコンタクトレンズだった。
まったく意味が分からない。
「千里眼ってねぇ、上級のそれはそれは偉い神様しか使えないんだ」
「それがどうしたんです?」
「ウチが、ううん。あんな田舎の小さな神社に祀られてる神様がそんな大層なもの持ってると思う?」
「それは分からないですけど」
ミコトの言いたいことが、いまいち分からない。
「そう? うーん、じゃ次。千里眼って、何色だと思う?」
「随分ざっくりした質問ですね」
「いいから答えて」
「えーっと、確か赤ですよね」
ミコトがお告げを出す前は決まって目が赤くなっていた。まるで遠くを見るように眉をしかめていたしきっとあれが千里眼なのだろう。本人も千里眼で視るとか言ってたし。
「って、あ!」
まさか!
「このカラーコンタクトって!」
俺がそう言うと、ミコトはくすくすと笑って。
「正解! ウチは千里眼なんて使えませーん! そんな高等な神様じゃありませーん! あははは! ヤバ~! キミまんまと騙されてたね!」
「そ、そんな! で、でも。お告げは、お告げはどうなんですか!? 千里眼がウソだったとしてもあれは紛れもなく――」
「あぁそれ? それなら本、見てみて?」
「本?」
俺はカラーコンタクトの横にあった本を手に取る。
茶色の質素な表紙に書いてあるのは『自信のない自分を救う』『失敗しない人との関わり方』『人生が楽しくなる恋の方法』といういわゆる自己啓発本だった。
パラパラと中をめくると『理解は話すことで深まる』『自信を付けたくば自分をひたすら褒めるべし』『嫉妬は恋のゴール地点』などがあった。
って、これ。
「なんか、聞いたことあるような。ていうか俺が実践してきたものばかりあるんですが」
「そうだよ? だってウチ、その本に書いてあったことをお告げとして言ってただけだもん」
・・・・・・は?
「はあああああああああああ!?」
意味がわからず、思わず叫んでしまう。
「ってことはあなはたはずっとカラーコンタクトをつけて千里眼だと偽り、神のお告げだと表してそこらのコンビニに売ってる誰も買わなそうなこの自己啓発本を音読してただけってことですか!?」
「だってウチ、人間の心理とか? 事情とか? 全然わかんないしそんなん人それぞれだし、もうめんどかったんだもん」
「そんな! そんなひどい話ってないですよ! 俺はいままでず~っと騙されてたってわけじゃないですか!」
「にひひ、そういうこと♪」
語尾に♪を付けるな♪を!
くそ~! うさんくさい神様だとは思っていたがまさかここまでとは!
「でも、そういうことだよ?」
「・・・・・・なにがですか」
もうほとほと呆れながらも、虚空を見る。
「キミは神様の力なんて、一度も借りてないんだよ?」
「・・・・・・」
「さっきキミは言ったよね? 千里眼で運命を見通して出た神様のお告げがあるからここまでこれたって。でもそれは違う。キミはキミ自身の力でずっと頑張ってた」
「そんな。それってつまり・・・・・・」
今までのことを思い出す。ミコトと出会ってからの日々。色々あったけど、ようするに。
「あなたは人の家でチョッパチュップスを舐めながら四六時中漫画を読んでゴロゴロしていただけってことですよね」
がくっ。と崩れ落ちる音が聞こえた。
「き、キミね! 今のはとってもいい場面だったんだからそういう野暮なことは言わないのっ!」
「でも、そうですよね?」
「うぐ・・・・・・」
どうやら図星のようで押し黙るミコト。まぁでも、俺は特段責めようなんて気はない。
「はいもう話題チェンジ。せっかくいい話しようと思ったとこなのに。・・・・・・で、結局キミはこれからどうするつもりなん?」
「それがわからないから困ってるんです。俺、山吹さんにフラれて以降学校にも行けなくなって。山吹さんと顔を合わせるのも怖くて、スマホも見れません。今まであんなに、会いたくてしょうがなかったのに」
「そんなに言うなら会いに行けばいいのに。山吹ちゃん、もう行っちゃうんでしょ?」
「会って、何を話せっていうんですか」
一度告白してフラれたた俺が、どんな顔をして会えばいい? どんな言葉をかけてやればいい?
何をしようとすべてが滑稽で無様なだけだ。それに山吹さんだって、俺と会うのは気まずいだろう。あれだけ優しい人なのだ。眼中になかった俺の告白を断っただけとはいえ本人も心苦しい思いをしているに違いない。
「何を話せって・・・・・・そんなの、最後なんだから伝えたいこと言ってくればいいじゃん?」
「伝えたいこと? そんなの、もう伝えましたよ。伝えてダメだったんですから。これ以上何を伝えろと――」
「ありがとうは言った?」
・・・・・・。
「今まで楽しかったんでしょ? 山吹ちゃんと過ごした日々は充実していたんでしょ? 付き合うとか付き合わないとかは関係なくさ、それが一番伝えなきゃいけないコトなんじゃない?」」
トン、と背中を押される。
振り返ると、そこにはいつもの陽気な笑顔があった。にひっ、とまるで同い年の友達みたいな親しみある笑み。それに俺は今まで何度も勇気づけられてきたのだ。
「なんか、いきなり見えるようになってますけどどうしたんですか?」
「こっちのほうがキミもやる気出るかなって思ったの。やっぱ可愛い子に応援されるのって燃えるっしょ?」
「自分で言わないでくださいよ」
「いいの。神様なんだから多少はずうずうしくないとね。さってっと。長話してる時間もそろそろなくなってきたね。そろそろお昼になっちゃう」
「結局、会いに行く方向性なんですね」
「会いたくないの?」
会うのは、怖い。
でも、俺はミコトの言う通り山吹さんにありがとうを伝えられていない。だから、それを伝えられずに山吹さんと会えなくなってしまうことのほうがよっぽど怖い。
俺はもう一度、山吹さんと会って、話したい。最後に、ただの思い出でもいいからあの優しい笑顔をこの目に焼き付けたい。
「会いたいです」
「ん、知ってる。じゃあはい、これ。最後のお告げだよ」
『どんな時でも感謝をすること』
「お告げ、じゃなくて。さっきの本に書いてあったやつですねそれ」
「野暮なこと言わないの! ほら、ホントに時間なくなっちゃうよ? 行った行った!」
ミコトに急かされて、俺は慌てて上着を羽織った。
「で、でも。今からじゃとてもじゃないですけど間に合わないですよ!」
「タクシー拾えばいいじゃんタクシー!」
「そんなお金ないんですってば!」
「えっ!? あっ、そっか! あ~もうっ!」
ドアの取っ手をガチャガチャと鳴らし焦る俺を見て、ミコトも少々余裕のない表情になる。
万事休すか。そう思った時。
俺の眼前に先ほどのものとは別の巾着袋が放り投げられた。それはぽてっと床に落ち、中に入っているのは軽いものだとわかる。
紐を解き、中を見てみる。
「えっ」
中に入っていたのは神様からのプレゼントにしてはやけに生々しい、福沢諭吉の肖像画が印刷されている紙幣二枚だった。
「これって! 俺が貯めてたあの時の! 漫画に全部使っちゃったんじゃないんですか!?」
「人のお金を勝手に使うわけないっしょ!? あの漫画はウチがこっちの世界で作った友達から借りてきたやつ! キミのお金はずっととっといたの! ホントはウチが帰るときに返そうと思ってたんだけど、今返す!」
階段を転げ落ちるように降り、怪訝な目で俺を見る母さんを無視して叫ぶ。
「いいんですか!?」
「今のキミなら! 追い込まれなくたって本気出せるって思ったから! いいの!」
二階から聞こえてくる声に、再び母さんが驚いたように俺を見た。
「当たり前じゃないですか! だって――」
こんなにも、山吹さんのことが好きなのだから。
「あ」
家を飛び出て。駅近くのロータリーに駆け込んだところで、俺は気づいた。
もしかして、これが本当の好きということなんじゃないだろうか。
なりふり構わずに、自分の損得なんて度外視にその人のために本気になれる。これこそがミコトの言ってた本当の好きというやつなんだ。
紗奈にヒントがあると言っていたが、紗奈は俺と一緒にいたいがために家にも帰らず、自分の生活。自分の人生を賭けてまで俺に本気になってくれていた。
「どちらまで?」
タクシーが止まり、それに乗り込む。
――俺の、大好きな人のところまで。
なんてキザなことは言わなかったけれど、ミコトから受け取った最後の希望を握りしめながら、目的地を運転手に伝えた。
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