好きだからこそ

 ちょろちょろと水が流れる小さな噴水の前でスマホを弄っているとデフォルメ調の恐竜が逆立ちしているスタンプがトーク画面に表示された。


 いまいちセンスの分からないこのスタンプは間違いない、山吹さんだ。

 

 あの日以来絶賛スタンプにハマリ中のようで新しいものを買うたびに意味もなく俺に送ってきたりしていた。


 スマホをたどたどしく弄りながらスタンプを押す山吹さんは想像するだけで超可愛かった。


「あ」


 駅のほうを見ると、階段を降りている山吹さんの姿があった。


 茶色のキャスケットをちょこんと頭に乗せていて灰色のセーターを羽織っている。深緑のロングスカートでしっかりと素足をガードした露出度の低い服装はなんとも山吹さんらしいと思った。


 対して俺は、いつも通りのパーカーとジーパンである。


 昨晩、色々とミコトと作戦会議を行ったのだが結局丈の小さいジャケットやほつれたセーターを着るくらいならこれで行こうということになったのだ。


 向こうからやってきた山吹さんは俺を見つけるといそいそと階段を降りきって、俺に辿り着く直前に信号に捕まってしまい立ち止まった。


 そんな山吹さんと目が合い、気まずく互いに笑う。


 やがて信号が青になると今度こそ山吹さんは俺の元へ辿り着き、


「おはようございます、楠木くん。ごめんなさい遅れてしまって」

「いや遅れてないから大丈夫。俺が早く来すぎただけだから」

「あ、ありがとうございますっ」


 額に少々の汗を浮かべながら山吹さんは笑った。


「えっと、上映は何時からだっけ?」

「12時からです。まだ1時間ほどありますね。どうしますか?」

「軽く飯でも食うか。この近くにハンバーガーショップがあったはずだからそこに――」


 そこまで言って思い出した。俺、金がないんだった。


「あのっ、それでしたら私」


 そう言って山吹さんはバッグの中から小さなバスケットを取り出した。


「サンドイッチ作ってきたんです。よかったら、一緒に食べませんか?」

「マジ!?」


 山吹さんの手作りサンドイッチ!? そんなの食べたいに決まってる。そして絶対美味しいに決まってる。


「食べたい!」

「あ、えっと。楠木くん。あの・・・・・・近いです」

「あ」


 あまりの興奮にいつのまにか山吹さんに接近していた俺。変質者かよ。落ち着け落ち着け。


 それから俺たちは近くの公園に来ると、ベンチに座って上映の時間まで飯にすることにした。


 バスケットの中には黄色や緑。色とりどりのサンドイッチが美味しそうに敷き詰められている。


「じゃあいただきます」

「はい。いただいちゃってください」


 一口サイズの小さなサンドイッチを口に運ぶ。中は卵だ。



 いい感じに半熟で味付けも濃すぎない。昼にはもってこいの塩梅だ。


「んまい」

「ほんとですか? よかったぁ」


 ほっと胸を撫で下ろす仕草を見せる山吹さん。


 いや、マジで美味い。今まで食べたサンドイッチの中で一番美味い。それは山吹さんが料理が上手というのもあるだろうが、一番の要因はきっと、山吹さんと一緒に食べているということだと思う。


 そのまま俺はむしゃむしゃと食べ続け、その食べっぷりを見て山吹さんがくすりと嬉しそうに笑う。そんな幸せな時間が続いた。



 飯を食い終えた俺たちはチケットを手に映画館へと向かった。


『バースディな私とビターな彼』  


 それが今回見る映画のタイトルだ。


 確か、前にミコトが同じタイトルの漫画を読んでいた。俺の金を勝手に使った時に。


 事前情報はあまり調べていないので分からないが、恋愛映画だということは題名からもポスターからもすぐに分かった。


「席はどうされますか?」


 受付の人がモニターを指さす。


 俺は特にこだわりはないし山吹さんもどこでもいいようなので適当に空いている場所にすることにした。


「カップルシートもございますが」

「カップル!?」


 受付の人がいきなりそんなことを言うものだから思わず聞き返してしまった。


「はい。個室感覚で楽しめて人気の席ですよ」

「個室・・・・・・」


 あの暗い館内で、山吹さんと二人っきり個室? そんなの――。


「それでお願いします!」


 そう、言うしかないじゃないか。


「かしこまりました」


 店員さんはなにやら機械を操作し、やがてモニターに移ったピンクの席が黒く染まる。


「ではごゆっくり」


 整理券を手にし、俺たちはそこを離れた。


 先ほどから山吹さんが何も喋らない。気になって隣を見ると、キャスケットに隠れるように俯いていた。


「あ、悪い! もしかして嫌だったか?」


 俺がノリでカップルシートにしてしまったから、嫌がっているのかもしれない。


 そう思ったのだが。


「いえ、ちょっと。びっくりしちゃって。私とカップルシートなんて、嫌じゃないですか?」

「そんなこと! 俺はむしろ――」


 山吹さんとカップルシートで映画を見れるなんて最高じゃないか! 


 そう言おうとしたが途中でやめた。


 まだ、早い。


 俺の今日のプランでは映画を見終わったあとの帰り道でムードの良い感じになったところで告白するというものになっている。


 だから今じゃない。溢れ出そうになる気持ちを我慢する。


「飲み物とかは買うか?」

「そうですね。私は・・・・・・あ」

「ん?」


 山吹さんは俺の顔を一瞬見て、


「ううん。大丈夫です」


 そう言った。


 上映が始まり、中が暗くなる。


 カップルシートとはいえ、俺と山吹さんの距離は常識的な範囲で肩が触れ合うような展開も特になく、手を重ねてしまうというありがちなラッキーハプニングも起きなかった。


 山吹さんは見たかった映画ということもあり一生懸命スクリーンに目を向けていて、俺もなるべく邪念を振り払い集中することにした。


 内容をかいつまんで言うと、次の誕生日までしか生きられない余命僅かな主人公が人を好きになってしまい、自分の死を待ちながら人を想う残酷さと尊さを描いたような物語だ。


 どうして最近の恋愛モノはすぐどちらかが死ぬのだろうか、なんて野暮なツッコミは俳優さんの熱演を見て引っ込めておいた。設定なんて正直ありがちでも二番煎じでもいい。結局はその見せ方と役者の技量なのだ。多分。


 だから俺は変に捻くれた見方はやめて、山吹さんと同じく純粋に楽しく見ることにした。


 終わってみれば、館内はすすり泣きと鼻をかむ音に包まれていてどのお客さんも満足気な表情をしていた。


 結局主人公は自分の死を選び最後は恋人を突き放し、独り病室で息を引き取るという結末。一見バッドエンドにも見えるオチだが、自分の死を受け入れながらも今後を生きる彼のために自分への未練を断ち切った主人公の行動と成長に心を打たれていた。


 恋愛要素もあるにはあったが、どちらかというと死を間際に自分を変えていく主人公の心情を事細かに描いた物語なんだと俺は思った。


 そういえば前にミコトは人間は追い込まれたときにしか本気を出さないなんてことを言っていた気がする。あれはやはり本質を捉えた正論でありミコトの言うことはきちんとした信憑性があるようだ。


「行きましょうか」


 先に立ち上がった山吹さん。その目に涙は流れておらず、しかし笑ってもいなかった。何か思い詰めたようなそんな表情に、暗がりながらも見えてしまった。



「すっごく面白かったですねっ」


 館内を出る頃にはすっかり山吹さんはいつもの素敵な笑顔に戻っていた。


「あぁ、俺も普段こういう映画は見ない方なんだが。それでもこの映画は面白いと素直に思えた」

「役者さんもすごく上手で始まってすぐ引き込まれてしまいました」

「だな。BGMが少なかったのも臨場感があってよかった。まぁ、最後はあんなんだったけど、きっとハッピーエンドなんだろうな」

「私もそう想いますっ。なんていうか、一番最後に映った彼の晴れた顔を見たらそう思いました」


 山吹さんと話す時間はとても穏やかで、そして温かかった。日々のストレスなんて山吹さんの笑顔を見ただけで消し飛んでしまう。


「あの」


 町並みを歩きながら感想を言い合う俺たち。そんな中で山吹さんが口火を切った。


「主人公の最後の選択なんですけど、その。楠木くんはどう思いました?」

「あぁ、あれなぁ」


 誰もが息を飲んだ最後。主人公が恋人を突き放したシーンだ。


「主人公は彼のことを好きだったんですよね? それなら最後の最期まで一緒にいて欲しいって思うのが普通なのに、どうして主人公はあんなことをしてしまったのでしょう・・・・・・。もしかして、本当は好きじゃ、なかったのでしょうか」


 まるで自分のことのように深刻な表情の山吹さん。よほど感情移入をしてたんだろう。普段から本で物語を読んでいるから感受性が豊かなのかもしれない。


「うーん。それはどうだろうな」


 俺も真剣に考えてみる。


「多分。好きだからじゃないか?」

「好き、だから?」

「本当に好きだから自分が死んでいなくなったあとの彼を案じたんだと思う。恋人が病気で死んでしまったら、彼は心に大きな傷を負うし今後の人生にも支障が出るだろう? 新しい恋だって多分できないだろうしその先ずっと未練を残すことになる。それが彼女にとって気がかりだったんだろう」

「で、でも。好きだからこそ一緒にいたいって思うものじゃないですか? 離ればなれになることは分かっていても、それでも好きな人と最後の思い出を作りたいって」

「・・・・・・それも正解なんだとは思う。結局は自分の欲を優先するか、誰かの人生を優先するかってことだから間違いなんて決してない。でも――」

「でも・・・・・・?」

「主人公のしたことは、立派だと思う」

「立派、ですか? あんなに愛し合っていた彼をひどく拒絶したのに」

「いや、拒絶ってすごい難しいことなんだよ。それをして、相手が傷つくことが分かっていれば尚更だ。だけど、主人公は彼を受け入れなかった。すごいよ。自分は毎日死に怯える日々なのに、それでも誰かのために行動できるって」


 何個も何個も、短い間ではあったが濃密な人生経験とも言える記憶がよみがえってくる。


 困ってる時に困ってる誰かを助けてあげるのはとてもすごいことだと紗奈が言っていた。俺も、その通りだと思う。


 綺麗事や理論上ではそう言うのは簡単だが、いざ行動に移すとなるととても困難を要する。


 それを、自分の死という最大の壁にぶち当たっている者が成し遂げたのだ。それを賞賛しないでどうする。


「そう、なんですね」


 胸に手を置いて。


「私も、そう思います」


 呟いた。


「楠木くんは、やっぱりすごいです」

「いや、今のは俺の考えとかそういうんじゃなくてな、ただの受け売りなんだ。それにほら、パンフレットに載ってるインタビューにもそういう解釈をしてほしくて演出したって書いてあるだろ? だから俺は別にすごくもなんともない」

「ううん、それでもです」


 キャスケットの隙間から、飴色の綺麗な瞳がこちらを覗く。


「やっぱり、楠木くんを誘って良かったです」


 まっすぐにそんなことを言われたものだから、つい目を逸らしてしまう。


 それでも山吹さんは俺を見てくる。


 山吹さんが俺の顔を見ているという事実を把握した瞬間ドッと汗が噴き出してくる。


 見ないでくれ。そんな綺麗な顔で、冴えない顔面を見ないでくれ。俺の顔なんて見たところでいいところなんて一つもないぞ。見れば見るほど粗が出てきて、嫌いになるぞ。


 顔を背けてしまいそうになる。


 でも、それはしてはいけない。


 それはきっと、山吹さんへの侮蔑だから。


 こんな俺を視界に入れてくれているのだ。


 自分に自信を。お告げの通りにすれば何もかも上手くいくのだから。


「あのさっ!」


 口を開いた。


 周りに人はいない。


 もう止めることはできなかった。


「俺、今日山吹さんに伝えたいことが、あったんだ。いや、今日っていうかさ、もっと前から。あ、でも言おうって思ったのは最近で、思ったのが前からっていうか」


 落ち着け。テンパるな。


「聞いて、くれるか?」


 俺の言葉に、山吹さんは数秒。目を丸くして固まっていたが、すぐに頷いた。


 色々考えた。ロマンチックな言い回しやプレゼントを一緒に渡す方法も。だが、俺はやっぱりそんな器用な真似はできなくて、結局素直に伝えるのが一番だと思って。


 数十年生きてきたくせに、一度も口にしたことのない言葉を、赤子のように、だけど全身全霊を込めて、一生懸命に紡ぎ声にした。


「俺、山吹さんのこと好きですっ! 付き合ってください!」


 頭を下げて、地面を見ようと思った。だけど、そうやって逃げることはせずにまっすぐ。山吹さんから視線を外すことなく震える唇を噛みしめて答えを待った。


 春の風が頬を撫でる。右。左と視線が動き。やがて俺を見据える。


 艶やかで小さな唇がゆっくりと開いた。


「・・・・・・ごめん、なさい」

「・・・・・・・・・・・・」


 幻聴だとは思わなかった。


 だってそれは、俺が今の今まで恋焦がれた女の子の肉声であることに間違いなかったから。好きな子の声を、聞き間違えるはずなどなかったから。


 足が震えた。鼻の奥がツンとして頭のてっぺんがチリチリと痺れる。


 頬が痙り、焦点の合わない視線に白く靄がかかる。


 俺は、フラれた。


 大好きな子に、初めて好きになった女の子に、フラれた。


「どう、して」


 そして出たのは、あまりにも情けない声。今までの善行が全て帳消しになってしまうほどに禁忌とされた問い。


 そんな馬鹿げた俺の言葉にも優しい山吹さんは、辛そうに表情を曇らせながら答えてくれた。


「私、前に実家が経営している旅館の話したの覚えてます?」

「・・・・・・ぁぁ」


 掠れて声になったかも分からない。


「楠木くんに励まされたあの日、帰ってお母さんに相談したんです。でも、ダメでした。私が旅館を継ぐのは前から決まっていたことで、それが早まっただけだからと。その話自体は私も聞いていたことで、人手不足による旅館の厳しい現状も理解していたので・・・・・・私・・・・・・」

「そう、だったのか」


 旅館を経営していた祖母が倒れ、病院で治療している間、山吹さんが北海道にある実家に帰り手伝いをするというのが前に聞いた話だった。でも。


「いつ、帰ってくるんだ?」


 祖母が回復したら、山吹さんは帰ってくるはずだ。帰ってくるはず――。


「・・・・・・」


 山吹さんが首を横に振る。


「ずっとです」

「――」


 フラれたとか、そういう次元のものじゃない。これは、別れなのだ。


 山吹さんとの関係が、終わりを告げている、そういう話。


「・・・・・・・・・・・・それって、いつ」


 乾ききった喉を通る裏返った声。


「来週の、土曜日、です」


 ぐわんと意識が遠のきそうになる。


「もう、引っ越しの準備も終えていて・・・・・・お昼の便で・・・・・・」

「そう、か」


 楽しかった今日。楽しかった今まで。楽しかったであろうはずの未来が打ち砕かれていく音が脳を支配し耳鳴りとなって意識を阻害してくる。


 でも、これはしょうがないことだ。これは俺だけの問題じゃない。


 山吹さんの周りや、山吹さんの人生にも関わることだから。


「ご、ごめんなさい・・・・・・。私、ずっと言おうと思ってたのに、言えなくって・・・・・・」

「いや、いいよ。わかった」


 だから、そうだよ。


 さっき俺自身も言ったじゃないか。


 好きだからこそ。相手を真に好きだからこそ自分の欲を捨てるんだ。それはきっと素敵なことで立派なこと。そうだろ?


「わ、悪かったな、その、困らせてしまって。でももう安心してくれ! これ以上は何も言わないから! だから――」


 精一杯に笑顔を作って明るい声色で言ったつもりだった。


 だが、声は震え、目尻に浮かぶ熱いものが頬を伝っていくのを感じ失敗したと悟る。


「楠木くん・・・・・・」


 申し訳なさそうに、苦しそうに顔を歪める山吹さん。


 ダメだな俺。山吹さんにこんな顔させるなんて。


「楠木くん、やっぱり私・・・・・・!」

「今日は楽しかったよ。それからあっちでも頑張れよ。山吹さん優しいから、絶対客商売とか向いてると思う。看板娘間違いなしだ。人気でるだろうなぁ。浴衣とかも着るんだろう? 絶対似合うよなぁ。はは! なんてな! こんなこと言われても嫌だよな」

「あ、あのっ!」

「じゃ、まぁ。残りの学校楽しめよ! こっちは暑いしなんもないとこだけどさ、北の方に行ったらこの暑さが恋しくなるかもしれないしさ。って、それはないか!」


 もうそれ以上目を合わせていられなくて。情けなく涙汲む自分が恥ずかしくて。


「それじゃ山吹さん。・・・・・・俺、帰るな。気をつけて帰れよ」

「あ・・・・・・」


 走った。


 山吹さんに背を向けて。


 告白をした自分を褒めることなんてできなかった。むしろあるのは途方もない後悔の念。


 告白なんてしなければよかった。本当の気持ちを伝えなければよかった。そうすれば俺はもっと円満に山吹さんと・・・・・・。


「――ッ!」


 考えるのはやめた。辛いから。


 振り返るのはやめた。苦しいから。


 何もかも、自分にとって都合の悪いことから避けるように。俺は。


 その場から、逃げた。


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