勇気の花

 夜になっても紗奈は帰ってこなかった。


 もしかして自分の家に帰ったのか? 


 そんな考えが頭に浮かんだ時、得体の知れない気配を感じカーテンを開け窓の外を見た。 


 いつのまにか雨が降っており水滴が窓を伝う。


「あ!」


 ちょうど車が一台家の前を通り過ぎた時、ライトに照らし出された人影を見て俺は声をあげた。


「なにやってんだあんなとこで!」


 急いで階段を駆け下り外に出る。そして駐車場の右にある電柱。その陰にそいつはいた。


「紗奈」

「あ、颯太」


 傘もしておらず、体はびしょ濡れ。薄汚い野良猫のような紗奈が俺を見る。


「なんでこんなところでうずくまってるんだ。具合でも悪いのか」


 紗奈は首を横に振る。


「鍵が閉まってて」

「あぁ・・・・・・そういうことか」


 夜になると母さんが鍵を閉めるので、それで紗奈は入ってこれなかったのだ。


「チャイムかノックしたら出て行ったのに」

「でも、そしたら颯太に迷惑がかかるかもしれない」


 紗奈を部屋に泊めてることは勿論母さんには秘密だ。


 チャイムやノックをしても俺ではなく母さんが出た場合のリスクを考えたのだろう。


「それにしたってな、なにも雨が降ってるのに待ってなくても」

「あたしにはここしか、居場所がないから」

「・・・・・・」


 その縋るような目に、拒絶などできるはずもなかった。


 その希望をたぐり寄せるような手を、振り払うことなどできなかった。


 言わなきゃ。言わなきゃいけないのに。


「とりあえず。入れよ」


 俺はびしょ濡れの紗奈に上着を渡し、母さんの目を盗んで部屋に連れて行った。


「これタオルな。っと、風呂はちょっと待ってくれ今沸かし直してるから」

「颯太、ごめんね」

「・・・・・・謝るなよ」


 謝らなければならないのはきっと俺のほうだ。中途半端な優しさで紗奈を縛り付けておきながら、彼女を受け入れることを俺はできない。なのにそれを黙って引き延ばしにしようとしているのだからたちが悪い。自分が嫌になってくる。


「颯太?」

「なんだ?」

「ううん、颯太、なにか困ってるみたいだったから」

「・・・・・・」

「ねぇ。それってもしかして、あた――」

「そろそろ沸いたかな。ちょっと見てくる」

「あっ・・・・・・」


 俺は逃げるように部屋を飛び出した。いや、逃げた。


 もうこれ以上、紗奈を見ていることができなかったのだ。


 ミコトには分かったと言ったのに、覚悟はできたはずなのに、唇が乾いて言葉にできない。


「くそ・・・・・・」


 違うんだ。俺はちゃんと言うつもりなんだ。お前とは付き合えない、そのつもりなんだ。 でも、部屋の中でそれを言うのは、なんていうかムードがないだろ? だからちょっと、今は違うんだ。あとで言うから。そんなの、言い訳にならない。


 湯船に手を入れ、温度を確かめる。


――ぬるい。


 温かくも冷たくもない半端な温度。それが今の俺に対する嫌味のように感じて、一層胸が痛んだ。


「おい颯太」

「えっ」


 突然の低い声。振り返るとそこにはスーツ姿の父さんが立っていた。


「あ、と、父さん。今帰り?」


 驚いてしまい一瞬どもってしまう。


「もう少しでお風呂沸くから、父さん入るか?」

「いや、いいよ」


 酒気を帯びた顔で、ネクタイを外す。父さんは顎髭を手で撫でたあと俺の目を見て言った。


「あの子が入るんだろ?」

「え・・・・・・」

「その顔、ふん。まさか気付いてないとでも思ったか? まったく、子供は親を見くびっていかんな。なぁ颯太」

「はい」


 怒られる。そう思って身構えた。


「お前が一週間ほど前から女の子を家に部屋に連れ込んでることは知ってたよ。毎日こっそり風呂に入らせたり飯を持っていったり、最初は猫でも拾ってきたのかと思ったんだけどな」


 ウソだろ。そんな前から、父さんは気付いてたのか。でも、じゃあ何故。


「何故、何も言わなかったのか、か?」


 俺が言おうとしたことを父さんはそのまま口にした。


 上着を洗濯かごに投げると、ワイシャツ姿の父さんが思い出すように言う。


「父さんな、正直言うと。颯太のことがまったく分からなかったんだ。進路も決めない。部活にも入らないバイトもしない。一体何がしたいのか、そもそも生きてて楽しいのか。親失格だとは思うが、ずっとそんなことで悩んでたんだ」

「父さん・・・・・・」

「でも最近になって、颯太は少し変わった。そりゃ劇的に変わったわけではないが、そうだな。目標を見つけた。そんな目をしてた。あの目は懐かしいな、小さい頃とそっくりだ。何も知らず、何も分からず、それでもリスクを度外視に色んなことに挑戦する好奇心旺盛な小さい頃にな」


 父さんから見たら俺はそんな風に見えていたのか。


「だから父さん、嬉しかったんだ。一人の女の子を部屋に何日も連れ込むなんて、正直良いことでは決してない。でもな、父さんは颯太のその目を信じたかったんだ。悪事を働いているわけでもなく不純な行為をしているわけでもなく、誰かのために動いているそういうまっすぐな目なんだって。そういうわけだからあえて颯太には何も言わなかった。勿論母さんにもな」

「・・・・・・」

「ようやく見つけたんだろ? 自分のやりたいこと。ようやく抜け出せたんだろ? 空っぽな生活から。じゃあ頑張りなさい。父さんは応援しているから」

「・・・・・・あぁ、ありがとう」

「ん、どこへ行くんだ?」

「部屋に戻る。やらなきゃいけないことがあるから。やっぱ風呂、先入っていいよ」

「そうか、それじゃあそうするよ」


 それ以上、父さんは何も言わなかった。


 俺は父さんに言われたことを何度も復唱し階段を上る。


 扉を開けると、紗奈がタオルで髪を吹いているところだった。


「紗奈、ちょっといいか?」

「どうしたの?」

「外に、行かないか」

「・・・・・・え?」


 びしょ濡れの紗奈。体は冷えているだろう。そんな彼女を外に連れ出すなどどう考えてもひどい話だ。


 だが俺はこれから、それよりももっと冷酷なことをするのだからいちいち気にもしていられない。


「わかった」


 紗奈は素直に頷き、俺に付いてきてくれる。


 父さんの鼻歌が聞こえる洗面所を通り過ぎ、靴を履き替え紗奈に傘を渡す。


 外に出た俺は近くの公園に紗奈を連れて行った。


 周りには、誰もいない。あるのは電灯と月明かり。そして俺の鼓動と紗奈の息遣い。


「颯太、どうしたの? こんなところで」

「あのな、紗奈」


 もう迷わない。言い訳もしない。逃げもしない。


 これは必要な切り捨てだ。


 思い出せ、母さんは今まで花を枯らしたことがあったか? そのハサミで、花が朽ち果てたことはあるか?


 違う。あの庭には今も満開に花は咲き誇っていたはずだ。


「俺――」


 信じよう。これはきっと、大事なことなんだ。


「紗奈とは付き合えない」


 言った。


 遮るものはなにもない。夜の透き通った空に俺の声は確かに響いた。


「・・・・・・・・・・・・」


 紗奈は状況を掴めていない様子。そりゃそうだ。紗奈はなんの脈略もなく俺に拒絶をされたのだから。


「俺、ほかに好きな人がいるんだ。だから、お前の気持ちには答えられない!」


 頭を下げ、しっかりと言い切る。決して濁すことはしなかった。


「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」


 無言の時間が、1分ほど続いた頃だろうか。


「顔上げて、颯太」


 言われた通り、ゆっくりと濡れた地面から紗奈へと視線を移す。


「颯太は・・・・・・ひどいね」

「・・・・・・ごめん」

「あたし、あんなに好きって言ったのに」

「・・・・・・あぁ」

「あたし、こんなに颯太のことを想ってるのに」

「・・・・・・でも、言わなきゃって思って」


 紗奈の表情は自虐を含めたひどい面をしていた。


 それを見ているだけで辛い。俺がこんな胸が張り裂ける思いなのだ。紗奈はいったい、どれだけの苦しみを味わっているのだろうか。


「ひどい。ひどいよ。颯太、あたし」


 その瞬間、紗奈の頬を雨が伝う。


 違う。それが雨ではないことは彼女の声色で明らかだった。


「ぅ、うぅ・・・・・・」

「・・・・・・ッ!」


 紗奈が、泣いてる。


 どんな時でも表情を大きく崩すことのなかった人形のような顔がくしゃりと醜く歪んでいたのだ。


「ひっく、ぐす・・・・・・うぅ・・・・・・・」

「さ、紗奈」


 どうすればいい。このまま泣き止むのを待つか? それとも・・・・・・。


 立往生する俺。そんな俺に、紗奈は。


「なっ!」


 抱きついてきた。


「颯太・・・・・・」


 そして涙ながらに、こう言ったのだ 


「ありがとう」

「え?」

「ありがとう。あたしに本当のことを言ってくれて」

「なんで」


 なんでありがとうなんだ? そこはこのクソ野郎がと俺を罵るべきなのではないのか?


「あたし、ずっと怖かった。このまま、この生活をずっと続けていくのかって。ずっとずっと、大好きな人を困らせ続けるのかって。本当に怖かったの」

「紗奈・・・・・・」

「颯太はいつも、お腹が空いたもあたしにご飯を持ってきてくれた。汚れて帰ってくるとお風呂にも入らせてくれた」


 じょうろ。


「時々寂しくなって、あたしの心が凸凹になっても颯太はそばにいてくれて安心させてくれた」


 スコップ。


「あたしがいつまでも叶わない恋を夢見続けていると、その可能性を切り捨ててくれた」


 ハサミ。 


「だからありがとう」


 綺麗に花を咲かせるために、必要なこと。


 俺は、いつのまにかそれを実行してしまっていた。


「ん、わかった颯太。あたし、今日でもう帰るね」

「紗奈・・・・・・」

「そんな顔しないで。あたし、今すごくうれしい」


 少し間を置いて。


「幸せ、ではないけど」

「・・・・・・ッ!」


 こんなこと、本当は言っちゃダメなのかもしれない。


 相手の気持ちを拒絶する上でこの言動はタブーなのかもしれない。


 でも俺は言わざるを得なかった。


「紗奈!」

「颯太?」

「俺、お前のこと嫌いではないんだ! むしろ、これからも仲良くしたいって思ってる! だから、その! 恋人にはなれないけど、友達になってくれないか!」


 あぁ、なんて虫のいい話。どこまでも自分勝手。


 相手のことなど1ミリも考えていない。フラれた相手に追い打ちのような死体蹴り。こんなこと許されるわけがない。


 それでも紗奈は。


「ぷっ」


 笑っていた。初めて会った時のように。


「颯太、そういうのは言っちゃダメ。せっかく潔くてかっこよかったのに」

「でも俺、やっぱり完全な拒絶なんてできない。せっかく紗奈と知り合ったのに、恋人同士になれなかったからって別れるのは嫌なんだ」

「こっちのことも考えてよ。すごい、気まずいよ?」

「だよな、すまん」

「もう本当に。颯太のそういうとこが、好き」


 それでもなお、俺を好きと言ってくれる紗奈。どれだけ俺のこと好きなんだ。そう思ってしまうが、こんな優良物件の少女をふるなんて勿体ない、とは思わなかった。


「じゃあ提案」

「なんだ?」

「もし、颯太がその好きな人と結ばれたとしたら。あたしを、二番目に好きな子にしてくれる?」

「なんだそれ」

「颯太が世界で一番好きな女の子は当然付き合ってる彼女。でも、世界で二番目に好きな女の子は、あたしにしてくれる?」


 ――世界で、二番目に好きな女の子。


「あぁ、分かった」

「本当?」

「俺が真に好きなのはただ一人変わらない。でも、紗奈のことはその次に大切だ。恋人にはできないけど、何かあったらすぐに相談してくれ。すぐに飛んで行ってやるから」


 こんなんでいいのか? 紗奈の望む関係はこれでいいのか?


 逡巡するも、それは杞憂だったと思い知らさせる。


「うんっ、颯太」


 雨の止まない夜。


 だけど俺と、そして紗奈の表情は晴れやかで。


 歪に停滞していた俺たちの関係は、この日を境に大きく前に進んだ。そんな気がした

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