これは、ホンモノのお話
「神様」
「神様なんだよ」
「神様なんだ」
晴れた日のショッピングモール。俺は喫茶店で先日のことを紗奈に説明していた。
「じゃあ着物着てたあの人は颯太の彼女じゃないの?」
「当たり前だろ。あれは神様だよ」
「そう」
言って、紗奈は頼んだコーヒーを口にする
「なんだ。それならよかった」
安心したように、顔を綻ばせる紗奈。あれ以来ずっと表情が曇っていたので、ようやく見れた笑顔に俺も胸を撫で下ろす。
「って、いやいや。よくこの説明で納得したな」
「どういうこと?」
「あれは恋人とかそういうんじゃなくて神様なんです。なんて普通信じないだろ。なんだよ神様ですって自分で言ってても意味分からないわ」
「そうかもしれないけど」
飲んだコーヒーを置き、まっすぐな瞳を俺に向けて言った。
「颯太の言うことなら信じる」
迷いはなかった。不純物もなかった。
紗奈は本当に、俺だけを見て。淀みない目でそう言ったのだ。
「よかった。颯太の恋人じゃなくて」
「それはどうしてだ?」
「だって、あたしは颯太が好き。でも、颯太には他に好きな人がいるってことになる。それはすごく――」
悲しい。そういう顔をした。
それに対して、俺はなんて返事をすればいい。分からない。
「颯太。飲まないの?」
「あ、あぁ。飲むよ。なけなしの金で頼んだんだからな」
150円ぽっきりのコーンポタージュを飲み干し、席を立つ。
「行くか」
「うん」
俺たちは喫茶店を出て、ショッピングモールを歩き始めた。
分かったことなのだが、やはり紗奈は俺以外から見ても超美人のようですれ違う人は決まって紗奈に視線を送っている。
「颯太。あたしあそこ行きたい」
そんな紗奈は俺の腕に抱きつくようにすり寄って楽しそうにしている。
「悪いな。金がないからゲーセンとか行けなくって。普通デートってそういうところ行くもんだろ?」
「ううん。あたしは颯太と一緒にいれればそれでいい」
着いた公園は、桜もまだ蕾で休日だからか子供たちがワイワイと遊んでいるムードもへったくりもない場所だった。
ちょっと肌寒い。そんな春風が俺たちを包むものだから、こうして紗奈とくっついているととても心地が良かった。
ベンチに座った俺たちは、特に何をするでもなく景色を眺めた。
「神様はね、元々信じてたの」
ふいに紗奈が口を開く。
「あたしと颯太の出会いってなんか不思議な感じだった。だからこれはきっと神様が出会わせてくれたんだろうなって、そう思ってたの」
「確かに、今思い出してもいいもんではなかったよな」
いきなり服を脱がれた時は本当に驚いたもんだ。
「だから部屋で颯太と神様が揉み合ってるの見て少しほっとしたんだ。あ、やっぱり神様はいたんだって」
「全然神様っぽくないけどな」
「うん、なんか思いっきりギャルだった。髪も染めてるみたいだしシュシュでとめてたし」
「神様っぽいところなんてあの和服だけだよな。この間なんてクールビズで脱ごうかなんて言ってて、それ脱いだらいよいよただのギャルだぞ! ってツッコミそうになったよ」
冗談めかした俺の言い方に紗奈は笑ってくれる。
「颯太。もっと寄ってもいい?」
「え、寄るってこれ以上は」
紗奈はすでに俺の肩に頭を預けるように寄りかかっている状態だ。これ以上寄るとなると抱きつく以外ない。まさか前から抱きかかえろとでも? 公衆の面前でそれはさすがに恥ずかしい。
しかし、紗奈は遠慮がちにその細い腕を俺の背中に回すだけだった。
「颯太、あったかいね」
「そういう紗奈は、ちょっと冷たいな」
「冷え性だから」
「大変だな」
「うん、大変。冷たくてどうにかなっちゃいそう。だから、こうさせて」
まぁそれくらいなら問題ないか。なんてことにはならずに俺の頭の中の回線はショート寸前まで混線していた。
まず、超いい匂いがする。
ずっと母さんのシャンプーを使っているはずなのに、何故か紗奈からは全然違う甘い匂いがする。
風が吹くたびにその香りが鼻を撫でていって落ち着かない。
それと、胸が当たっている。
紗奈の胸はミコトほど大きくないが膨らみが目に見えるほどにはあり密着しているせいでそれが余すことなく俺に接触しているのだ。
そしてもう一つ。
今、聞くべきか。
どうしてそんなにも俺を好きなのか。
その好きはホンモノなのか。
俺への恩を好意と勘違いしているだけではないのか。
これらをいつ聞こうかという葛藤だ。
幸せそうに目を閉じる紗奈にそれを聞くのはあまりにも野暮というものだ。
しかし。
ふと、親指の先がジュク、と痛んだ。
このままでは俺の親指がひび割れだらけになってしまい今日のように自由に外を歩くこともできず家で軟膏を塗りたくる日々を送ることになる。
それだけは、阻止しなければ。
俺は意を決して、口火を切った。
「なぁ紗奈」
「なに?」
言え。言うんだ俺。
「なんでそんなに、俺のことが好きなんだ?」
あぁ、言ってしまった。
ついに口に出してしまった。
ドクンドクン、と胸が踊り狂い景色が灰色に見えてくる。
先ほどまでの和やかな空間はすでになく、握る紗奈の手に力がこもる。
「聞きたいの?」
「言いたくなければ、いい」
「・・・・・・ううん。言いたい。颯太には伝えたい。あたしの気持ち」
紗奈は俺から離れることはせずに、体を預けたまま話を続けた。
「最初に言っておくとね、颯太の顔は全然好みじゃないよ」
「うぐっ、いきなりきっついな」
「ごめん。だけど、本当。全然カッコよくないし美少年ってわけでもない。すごく普通。冴えない有象無象の男の絞りカスみたいな」
「うぐぐぐぐぐぐぐ」
やばい。これ、結構効くぞ。
「だから、体を売るにはちょうどいいなって思ったの。イケメン相手やブサイク相手だと色々と考えちゃいそうだから。何も気にしないですみそうな颯太に声をかけたの」
今のところ、俺を好きになる要素は微塵もない。
「でもね、話しかけてみたら全然普通じゃなかった。そしてね、一緒にいるうちに、好きになっちゃった」
・・・・・・。
は?
「いやいやいやどのタイミングだよ。今の話のどこに好きになる要素あったんだよ」
「だって颯太、困ってた」
「あぁ困ってたよ、なんせ家に帰れなかったんだからな」
「あたしも同じ。家に帰れなくて、帰りたくなくて困ってた」
よく考えてみると、そのときの俺たちは同じ境遇だったようだ。
「だから、すごいなって思った」
「どういうことだ?」
「あたしは困ってるから体を売ってやろうって思った。これでお金稼いで家を出ようってそう思ってたの。でも颯太は違った。自分も困ってるくせに、慣れない説教なんてはじめてあたしを思い止まらせようとしてくれた。今でも覚えてる。あの時あたしは颯太を本当に、すごい人だと思った」
紗奈の表情は、よく見えない。
「だって普通は自分が困ってる時に誰かの助けになろうなんて考えられない。それなのに颯太はあたしをなんとか説得しようとして。かと思ったら、やっぱり無理してるのを自白して、嘆いてみせた。金がない、金をくれーって」
「今思い出すだけでも恥ずかしいよ」
「てっきり人のために自己犠牲すら厭わない完璧超人なのかなって思ったけどそうじゃなかった。颯太は全然、そんないい人じゃなくて綻びだらけの善人を演じた自分本位なまっとうな人間だった」
全部、紗奈には見透かされていたようだ。
誰かを怒るというお告げの通りに動いていた俺。だけど本心は全然違くて、あの日はとにかく帰りたくてしょうがなかったのだ。
「それを見て改めて。ううん、もっともっとすごい人だって思った。境遇にも恵まれてない、状況を打破できる手段もない。それでもきっと何か目指すものがあってそのために必死に努力してる。それは・・・・・・あたしにはないものだった。成りたいものも願いもなくって彷徨うように生きて結局逃げたあたしにはないもので・・・・・・」
声が震えている。多分、それを言うのに相当の覚悟と勇気が必要だったんだと思う。
「あたしは、体を売るなんて馬鹿げたことはやめようって思ったの。そんなことより、あたしには生きる意味と目指す場所があるんだって気付いたから」
「それは、聞いてもいいか?」
紗奈はコクリと頷く。
「颯太の腕の中。あたしはここにいたいって思った。あの時感じた温もりをずっと感じていたいの。居場所なんてどこにもないって思ってた世界に唯一見ることのできた、希望の光だったから」
「・・・・・・そうか」
「ねぇ颯太」
「なんだ?」
胸に、顔を埋める。だから声はくぐもって俺の耳に届かなかったが。
体を通じてくる振動と熱。そして紗奈の気持ちが確かに言った気がした。
『颯太、好きだよ』
と。
「そういえば颯太、あのとき俺を抱いてくれ! って言ってた」
「そこだけ切り取ると変態じゃないか。あれは紗奈がやろうとしてたことへの皮肉を込めてだな・・・・・・」
「お金出すから抱かせて」
そんなことを言われたものだから、みるみるうちに自分の体が熱くなっていくのがわかった。
「ば、バカか! そんなんできるわけないだろ! お、俺が抱かれるなんてそもそも男として情けなさすぎるっ!」
「颯太。顔真っ赤。面白い」
誰のせいだ誰の。
「でも」
紗奈は変わらず俺に抱きついたまま。
「あたしもそれは嫌。お金でなんて、颯太としたくない。颯太とは、もっと――」
ギュ、と紗奈が力いっぱいに俺を抱きしめる。
「い~しや~きいも~」
そこで、いい香りを漂わせた屋台が後ろを通り過ぎていく。
「あ、焼き芋」
ぱっと紗奈が離れて腰をあげる。
今、何か言おうとしてたな。なんだったんだ?
「颯太。あれ買お」
「あの、紗奈さん。俺が無銭だって話は覚えてます? さっきのコンポタで消えたんですよ」
「奢る」
「いやでも」
紗奈だってわけありの家出少女。金なんてあるはずないのだ。
「困ってる時にこそ、誰かのために何かをしてあげる。颯太が教えてくれたことでしょ?」
・・・・・・教えたつもりなんて、ないんだけどな。
ただお告げの通りに動いてただけでそんな意図は欠片もなかった。
「じゃあ、ごちそうになろうかな」
「うん、ごちそうになって」
そう言って、紗奈は足取り軽く屋台に向かっていく。
何を言っているか聞こえないが、屋台のおっちゃんが俺を指さしているのが見えた。
それに対し、紗奈が嬉しそうに顔をほころばせながら何かを否定するようなジェスチャーをしている。
やがてたくさんの焼き芋を持ってきた紗奈は。
「はい、颯太」
今まで見た中で、最高の笑顔を浮かべていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます