窮鼠ギャルを噛む
「げほっ、げほっ」
ぐわんぐわんと揺れるような頭痛に黄色い鼻水止まらない咳。刺すような間接の痛みとこの圧倒的な倦怠感は間違いない。風邪だ。
「やっちまったな・・・・・・」
一応母親には言って学校にも休むと連絡はしてもらったが。これは想像以上にキツイ。熱も38度あったし、インフルエンザには遅い季節だし、なんだっていうんだ。
クソ、今週末は山吹さんと映画見に行く約束してるってのに。
「あぁダメだ。熱冷まシート冷蔵庫に入ってたっけな」
立ち上がろうとするが、体を動かすたびにひどく頭が痛む。
「颯太、熱冷まシート持ってきた」
「ありがとう助かる」
「ううん。今日はあたしが看病するから颯太はゆっくり休んで」
・・・・・・。
「どうしたの颯太」
「いや、なんでもない」
「へんな颯太。あ、タオル持ってくるね。体拭くから」
そう言って紗奈はとたとたと部屋を出て行った。
ふぅ、と息を吐き乱れた布団を整える。
なんかもう、当たり前のように同居してるなぁ。
あれから一週間ほど経ったが紗奈は一度も家には帰っていない。
一度だけ「迷惑だろうし帰るね」なんて言い出したのだが、その時に「別に迷惑じゃないしいたければいればいい」と言ったのがまずかったらしい。それ以来紗奈は部屋にいるときは猫のように俺の隣にいるようになった。まぁいいんだけど。
もし女の子と一つ屋根の下で暮らすなんて生活を初めて経験するというのなら、きっと俺は紗奈を拒んでいただろう。
だが、そんなものよりももっと強烈なものを経験してしまったものだから俺は紗奈を受け入れてしまっているんだろう。
「やーホントらぶらぶだねぇ~」
「茶化さないでくださいよ」
突然の出現にも驚くことすらなくなってしまった。
と、まぁこんな具合で文字通り神出鬼没の神様と同居している俺はなんとも不思議な耐性のようなものができてしまったらしい。
「いやいや茶化してないって! 紗奈ちゃんあんなにキミのこと好きなのに、ネタにするわけないじゃん」
肘で脇腹を突きながらミコトが嬉しそうに言う。何故嬉しそうなのかはさて置いて、俺はそれよりも気になることがあった。
「あの、ひとつ聞いてもいいですか?」
「うん? どったの?」
「紗奈が、その。俺のことを好きだということについてなんですけど。俺、この前紗奈と知り合ったばかりなんですよ。しかも出会い自体そこまでいいもんでもなくて。それなのに紗奈はあんなにも俺を好いてくれるのは・・・・・・」
「おかしい?」
「・・・・・・はい」
俺が少し真面目な質問をすると、ミコトはいつものおちゃらけた態度をやめ・・・・・・もっとおちゃらけた態度になった。
「えっぐ! キミえっぐいわ! なにそれ! もしかして紗奈ちゃんのこと疑ってるみたいなカンジ?」
だがミコトの言葉はこれまでにないほど的を射ている。
その通りだ。俺は紗奈の好意を疑っている。別に紗奈がなにか企んでいるとかそういうのではない。
紗奈の好意が『ホンモノ』であるかどうかという点に俺は引っかかっているのだ。
「だって、おかしいじゃないですか。俺なんて紗奈に最初なに言ったと思います? くだらない説教ですよ、しかも詭弁の。そのあと金がないって嘆いてどこに惚れる要素があるんですか」
「・・・・・・それ、紗奈ちゃんに直接言ったらダメなやつだからね。彼女きっと泣いちゃうから」
「え?」
泣いちゃう? まったく意味がわからない。どこに紗奈が悲しむ要素があったのだ。
「ん、ちょっと待ってね」
ミコトは棒だけになったチョッパチュップスを捨て、新しいものを取りだし口に放る。
「じゃあまずキミの考える好きっていうのがどういうことなのか教えてくれる?」
「そうですね。やっぱり最初はただの知り合いからはじめて次に友達。そして交友を深めるにつれ互いのいいところに惹き付けられ異性として好きになる。という感じでしょうか」
「うん合格」
「マジすか」
てっきり不合格の烙印を押されどやされるものだと思っていた。
「でもそれはただの一例。キミの言い方だとまるで一目惚れは好意のうちには入らないって風に聞こえちゃうんだよね。そこのどこどーなん?」
「そう、だと思います。気の迷いとかよく言うじゃないですか。それに一目惚れって時間が経ったらすぐに冷めちゃいそうな印象なんですよね」
するとミコトは頭を抱えて「はぁ~この子は」と嘆いてみせた。俺はいつから神の子になったのだろう。
気が付くと、ミコトの目は赤く光っておりこの世界にはない別の何かを見通すように目を細めた。
「キミの探してたホンモノの好き。そのヒントは紗奈ちゃんにあるからよーく見てみて」
「ヒント、ですか」
紗奈にそんなものがあるとは思えない。あいつは多分、弱っているところにつけ込まれたから俺に対し特別な感情を持っていると勘違いしているんだ。
だから時間が経てばきっと――。
『好きを知ること』
それが、今回のお告げだった。
「好きを知ると言われても・・・・・・一体何をすればいいのでしょうか」
今までは誰かを喜ばせるとか笑わせるとか比較的分かりやすいものだったからなんとかなったが、今回ばかりはあまりに抽象的すぎる。どう行動を起こしていいのかまったくわからないのだ。
「んー。ま、ぶっちゃけ紗奈ちゃんに聞いてみれば?」
「はぁ、というと?」
「なぁ、紗奈は俺のどこが好きなんだ? 簡単でしょ?」
「いやいや! そんなの聞けるわけないじゃないですか!」
「でもこれってキミにとって全部が都合のいいことじゃない? しょーじきどう転んでも勝ちゲーっしょ? その気になれば紗奈ちゃんを彼女にしてハッピーエンドにいけるわけだし」
「ですけど・・・・・・」
俺のどこが好き? なんて自分から聞くやついないだろ。どんなすまし野郎だ。
「しょうがないなぁ」
俺が尻込みしている間にミコトは札のようなものを取り出していた。
「ね、なんか風邪の症状和らいでる気しない?」
「そういえばそうですね。さっきまで咳が止まらなかったのに」
「ウチが出てきてからよくなった?」
「そうですね。ちょうどそのくらいのタイミングで・・・・・・え、まさか」
嫌な予感がする。ミコトの持っている札も紫色の瘴気を纏っていて妙に禍々しい。
「それ、風邪じゃないから。この御札でね、呪いをかけたの」
「ぶっ! なんてもんかけてるんですか! 誰か助けて! 神様に殺される!」
「うん、このままじゃキミは殺されるね」
「冗談で言ったつもりなんですけど。マジですか」
「でもこの呪いを解く方法はきちんとあるから安心して」
早く教えてくださいという意思が伝わったのかミコトはすぐに教えてくれた。
「キミが彼女を作れたら、呪いはすぐに解けて体も元に戻る。でも、いつまでも彼女を作らないままだと・・・・・・ヤバいかもね」
「なんでそんなことしたんですか」
ミコトがまさかそんなことをするなんて信じられなくてつい語尾を強くしてしまう。当の本人は特に気にしていない様子で答えた。
「人が本気を出す瞬間っていつだと思う?」
「・・・・・・それがこの話に関係あるんですか?」
「いいから」
俺なりに一応考えてみるが、答えは出てこない。するとミコトは口からチョッパチュップスを出して、唾液の付着した艶やかに光る唇を舌で舐めた。
そしておもむろに俺に体を預けるとミコトはその整った顔を近づけてくる。
「なにしてるんですか?」
「んーキス」
「冗談はやめてください」
「冗談じゃないよ? ウチ、これでもキミのこと結構好きだかんね?」
そう言ってミコトは俺の肩に手を乗せ、吐息が当たるほどの距離まで密着してくる。
前に神様の肌は敏感だからお触り禁止と言われた気がするが、それはいいのだろうか。いや、まさか本気なのか? 本気で俺のことを好きだからそれくらいは許容できてしまうということなのか?
「じゃあ、するね」
ミコトが目を瞑る。
いや、まさかな。
「んっ・・・・・・」
しかしミコトは止まることなくどんどんと迫ってくる。
そして唇同士が触れ――。
「ちょっと待ってくださいっ!」
――そうになったところで俺は顔を逸らした。
「な、なにをっ! いきなりキスだなんて!」
「えー? いいじゃんいいじゃーん」
「ダメですよ! キスってもっと、こう。ムードとか雰囲気とか! 好きな人とやるもんであってこんなフランクにやるものじゃないですよ!」
乱れる息整え、乾ききった喉に唾を流しなんとか声が裏返らないように喋る。
「ん~ま、そういうことかな」
「は?」
「今キミ、追い込まれて初めてウチを拒んだでしょ?」
「そりゃそうですよ、だってあれ以上近づいたら本当にしちゃってたじゃないですか。俺はじめてなのに」
「女の子みたいなこと言わないの」
鼻の先をつん、と指で小突かれた。
「人間ってね、すごい堕落した生物でさ。やればできるのに追い込まれないと全然本気を出さないの。ほら、夏休みの宿題とかもそうでしょ? 最終日になってようやく手をつけたり。だからさ、キミにもその期限をつけてあげた~ってわけ」
「なるほど・・・・・・ってそんなんじゃ納得できませんよ! 俺まだ死にたくないですもん!」
「しょうがないなぁ。じゃ、手出して。ん~、ほいこれでよし」
「なにをしたんですか?」
「キミの呪いを『期限内に彼女をつくれなかったら死ぬ』から『期限内に彼女をつくれなかったら両足の親指がひび割れする』に変えたの」
「なっ! そんな! 親指がひび割れ!? しかも両方だなんてまともに歩けないじゃないですか!」
「ふっふっふ~、恐ろしいでしょ?」
「なんて残酷な!」
死ぬよりも遙かにマシなもののこれまでの生活が送れなくなることには違いない。ミコトのやつなんて恐ろしい呪いをかけてくれたんだ。
「分かりました。やりますよ。毎日軟膏塗るのは嫌ですから」
「そうこなくっちゃ!」
いいようにいいくるめられてしまったが、ミコトの言うとおりかもしれない。
次やる今度やる。明日から本気出す。思えばそんなことばかりしてきた。
俺は多分彼女を作るなんて意気込んでおきながらも、それに対して本気で取り組もうとせずにただ自分にとっていいことが起こらないかか待っていただけなのだ。
「それにしても、さっきのキミの顔。すっごく可愛かったよ」
「な、何を言ってるんですか。また冗談ですか?」
「ううんホント」
そう言ってミコトは俺に覆い被さるよう抱きついてくる。
「ね、やっぱりしよっかキス。今度はホントに、マジのやつ」
目の前でミコトは舌なめずりをするのが見えた。これ、本気だ!
「ちょっ! 本当にやめてくださいって!」
「そんなこと言って~実はまんざらでもないんでしょ~?」
「ああああ~~! ちょっと! あ! 俺の、俺の初めてが!」
「大丈夫、優しくするから♡」
「らめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
ガチャ。
「お待たせ颯太。タオルがどこにあるか分からなくって――」
俺とミコトがキャットファイトしているところに、タイミング悪くタオルを取りに行っていた紗奈が戻ってきた。
「なに、してるの」
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