悩みがある子は基本かわいい

「いただきます!」


 教室の扉を開けるなり大きな声をあげた俺に複数の視線が突き刺さる。そのどれもが笑ってはおらず訝しげに朝の乱心野郎を観察しているだけだ。


 まぁいい。この程度は想定内だ。何故ならこれはただのジャブだから。


「おっす楠木。なんだよ朝から気でも触れちまったのか? いきなりでけぇ声で、しかもいただきますって。そこはおはようだろ」


 声をかけてくれたのは以前も絡んだことのあるリア充。あの一件以来俺の中ではジゴロ壁ドン太郎と呼んでいる。


「てか、なんだよその紙袋」

「これは今日の俺の朝飯。だからさっきいただきますって言ったんだ」


 言うも、ジゴロ壁ドン太郎の頭の上にはクエスチョンマーク。


「今日はこの紙袋の中に入ってる食べ物でギャグをかまして、そのたびに食べてもいいってルールなんだ」

「楠木、頭大丈夫か」

「確かに、今の俺はいつもとは違う。お前が困惑するのも納得だ。よし、納得したから納豆食う」


 紙袋から納豆を1パック取り出して割り箸でにちゃにちゃとかき混ぜる。教室中に異様な臭いが漂い始めた。


「おい楠木! 今のってまさか納得と納豆食うをかけたのか!? そんなくだらねぇものをギャクとお前は呼ぶのか!?」

「そこに、空があるなら」

「お前ってやつは・・・・・・やっぱすげぇよ」


 涙を流したジゴロ壁ドン太郎と熱い抱擁を交わす。彼の肩に黄色いものが付着した。からしだ。


 なにしてんだあいつら・・・・・・と周りからも奇怪なものを見るような目を向けられる。


 そこで、がらりと教室の扉が開いた。


「ホームルームを始めるぞー席に着けー。うっ!? なんだこの臭いは! って楠木! 何故貴様は教室で納豆を食べている!」

「すみません。納得してしまったので」

「なぁ先生、楠木ってやっぱすげぇんだよ。おかしくって笑い止まんねぇんだ」

「おかしくって笑ったのか? ならお菓子食ってくれ」

「サンキュー!」

「お前ら、仲良くなったのはいいことだがとりあえず席に着け」


 そこで俺はすかさずヤクルトを取り出してゴクゴクと飲み干した。


「ヤクルト飲んだから座ろうず」

「あっはははははは! 先生聞いたかよ! 今楠木はヤクルトスワローズと座ろうずをかけたんだぜ!」

「このバカどもが」


 どうしたことか先生は頭を抱え、最初は困惑していたクラスのみんなも何人かが笑っていた。それは爆笑というよりかはあまりにくだらないことに呆れているような笑いだった。




「次の体育ランニングだって~」

「うち昨日夜食食べちゃったらその分カロリー消費しないと」


 シュバババッ!


「俺も昨日夜食食ったけど朝起きたらめっちゃ胃がもたれててや~ショック(夜食)! ほんとはなにかアドバイスをあげたかったんだけど・・・・・・これじゃ何も言えん(胃炎)わ!」

「あー、うん。楠木くん、どうしたの?」

「えっ」


 三人組の女子は、互いに顔を見せ合って。


「今日なんか、くすっ。変だよ」

「分かる。朝からおかしいよね。なにお笑い芸人でも目指してるの?」

「でも私ぃ、朝めっちゃダルかったし~正直眠かったから助かったけどね~」

「そ、そうか。それじゃ」


 紙袋から寿司を取り出して、ひょいと口の中に入れる。


「体育の授業、トロトロすんなよ!」




「うわ、お前腹筋ちょう割れてんじゃん。うらやま~」

「そうかー? こんくらい筋トレでなんとかなるじゃん。それよりも俺はお前みたいに立派なイチモツが欲しいわ」

「げぇ! どこ見てんだよ!」


 シュバババババッ!


「って楠木。なんだよそれ、そんなもん俺の股間にあてがってどうしたってんだ?」


 その瞬間、周りの男子どもが反応して一斉にざわつきはじめる。


 来るぞ・・・・・・来るぞ・・・・・・と喧噪の中。俺はぶちかましてやった。


「モンブランの上にへんなもんぶら~ん」


 ドッ!


「ぎゃははははははは!! なんだよそれ!!」

「楠木、お前最高だわ!」


 俺を中心に巻き起こる賞賛の声。


「うーんでも俺的には、良く出来た内容だが、欲で汚いようだ」


 ドドッ!


「うひゃーーー!! 腹いてぇ!!」

「確かにな! 最低の下ネタだったぜ!!」


 手応えは十分。俺は紙袋からラッキョウを取り出す。


「それでは、さいなラッキョウ!」



「生きる意味を問うセミの真似します。『mean・・・・・・mean・・・・・・』」

「ぎゃはははははははは!」



「そういえば最近あそこの駅増築されてましたよね、まさにエキゾチック」

「あははははははははは!」



「布団が・・・・・・吹っ飛んだあああああああああああああ! イェェェエェェェェェエェェェェッッ!」

「勢いだけじゃねぇかー!!」



 そんなこんなで、売れない芸人も真っ青のギャグを連発しまくった。


 放課後になると何人ものクラスメイトが声をかけてくれた。


「明日も楽しみにしてるぜ」

「楠木くんって結構面白い人だったんだね」

「おかげで今日一日退屈しなかったよ、ありがとう」


 そんな言葉をかけてもらい、気持ちが晴れていくのがわかった。それと同時に色々な人と打ち解けられた気がした。


「楠木、お前やっぱり最高だよ。近年稀に見る天才、いや鬼才だ」

「そんなことないさ。まぁこれからもよろし串カツ」

「あぁ! よろし串カツ!」


 互いにすでに冷め切った串カツを口に放り込む。


「楠木はまだ帰らねぇのか?」

「ちょっとな、まだ用事が残ってるんだ」

「そうかよ。じゃあまた明日な」

「おう」


 そう言って俺はジゴロ壁ドン太郎と別れある場所に向かった。



 中庭に降りると、木の下のベンチで座っている山吹さんが目に入った。読書はしておらず、どこか上の空みたいだ。


 山吹さんは今日ずっとこの調子で、俺はいまだに山吹さんを笑わせることができていなかった。俺が一番、笑わせたい人なのに。


「山吹さん」


 声をかけると、山吹さんはびくっと肩を震わせた。なんだかこれもお決まりの反応になってきたな。


「あ、楠木くん。どうしたんですか?」

「いや、なんだか今日元気ないみたいだったから気になって」


 すると山吹さんは驚いたようで目をぱちくりさせていた。


「どうしてそう思ったんですか?」

「そりゃ、なんだろうな。勘? っていうのはちょっと違うかもな。ただ普段の山吹さんと比較して今日はあれしてなかったから」

「あれ、と言うと?」

「ほら、山吹さんがよくしてる、体揺らすやつ」


 俺がそう言った瞬間、山吹さんの顔にボッと火がついた。


「き、気付いてたんですか」

「まぁ別に癖みたいなもんなんだろうな~くらいにしか見てなかったけどな」


 山吹さんは胸の前で指を弄ったあと、体を傾けて言った。


「特に意味はないんです。ただ、読んだ小説とか漫画に出てくるセリフを頭の中で思い起こしているとそのリズムに釣られて体も動いちゃうんです」

「なるほど。そういうことか」


 なんともまぁ、茶目っ気のある癖だと思った。


「じゃあ、それをしてなかったということは」  


 それは、ずっと別の何かが頭の中を支配していたということだ。


「はい・・・・・・」


 重い口を開こうとしている山吹さん。別に無理してまで言わなくてもいいのだが、それを言う前に山吹さんは言葉を紡いだ。


「私の実家って北海道にあって、ちょっとした旅館を経営しているんです」

「そうだったのか」

「はい。それが先日、祖母が倒れたという連絡があって。祖母は旅館を経営している女将ですから当然旅館は大パニックだったみたいです」

「だろうな。旅館にとっては一大事だ」

「幸いにも祖母の命に別状はありませんでした。ですが、今後再発防止のため安静は絶対ってお医者さんに言われてらしくって」


 なるほど。だんだんと話が見えてきた。


「まさか、それで山吹さんは北海道に?」

「そう、なんです。それも、今年の春過ぎにでもすぐ」


 やはりそうか。おおかた祖母さんの体調がよくなるまで手伝いにいくってところだろう。


「それで悩んでるってことは、山吹さんは行きたくないってことだよな?」


 山吹さんはコクリと頷く。


「親には相談したのか?」

「はい、ですがお母さんは『どうせあんたなんてどこ行っても本ばっかり読んでるだけなんだからいいでしょ』って」

「なんだよそれ。ひどいじゃないか!」

「でも、その通りなんです。私って昔から本ばっかり読んでて友達もいなくって。今も、そうですけど。えへへ」


 その自虐的な笑みが、とても悲しいものに見えた。


「だから、お母さんの言うことは正しいんです」


 でも、と山吹さんは最後に付け加える。


「私、行きたくないんです。今まで本ばっかり読んで学校に行く意味も分からなかったけど。今は分かるんです。今は学校に早く行きたいって思いますし楽しみだってできたんです」

「それは、聞いてもいいか?」


 山吹さんの言う、最近気付いた学校に行く意味。そして楽しみにしていること。それを聞きたくて尋ねてみると、一瞬山吹さんが俺の顔を見た気がしたがすぐに目を逸らされた。


「内緒です」

「そっか」


 気付くと、俺の胸にはある感情が芽生えていた。


 山吹さんの力になってあげたい。


 背中を押してあげたい。そう思っていた。


「言ってみればいい」

「え?」

「勇気を出して、お母さんに言ってみればいい。本だけじゃない。私には学校に、今の学校に行く意味があるって」

「でも・・・・・・」


 怖じ気づくように体を縮こませる山吹さん。


「意外とな、言ってみるとたいしたことないもんだぞ」

「・・・・・・そうなんですか?」

「あぁ。俺も最近同じような体験があった。自分にはできない、できるはずもないって思ってたことも勇気を出して挑戦してみたら割とあっさりクリアできてしまうんだ。怖いのはやる前だけ、やってしまえばむしろ楽しいまである」


 俺はなるべく、笑いかけるようにして言った。


「だからさ、そんな悲しい顔しないでもっと笑ったらどうだ? その・・・・・・」


 あぁ、ダメだ。笑いながらなんて。目を合わせることも平静を装うこともできない。


 だからこそ俺は、頬をかきながらぶっきらぼうに言うのだ。 


「山吹さんは、笑ってるほうが魅力的だからさ」


 言ってしまった。いや、言ったのか? その言葉はきちんと口から出たのか? 声にしたと勘違いして、実は脳内で再生していただけなのではないのか?


 おそるおそる視線をあげると、山吹さんの素敵な笑顔があった。


 それは今日、俺が見てきたゲラゲラと笑うようなものでも呆れたようなものでもなく。切に、嬉しそうなものであった。


「なんだか、楠木くんにそう言って貰えると元気が出ますね」

「そうか? たいしたことは言えなかったが。それならよかった」

「本当に、すごく、すごく勇気を貰えました」


 ・・・・・・なんだ。


 俺はどうやら勘違いしていたみたいだ。わざわざ寒いギャグを言わなくたって、人を笑わせることはできるじゃないか。


 もしかすると、ミコトはそのことを俺に伝えたかったのかもしれない。・・・・・・いや、それはないか。


 そんなことを考えていると、ふいに山吹さんが俺の持っていた例の紙袋の中に手を伸ばした。


 そして中からお菓子を取り出し、夕日を背ににこやかな笑みを浮かべて言った。


「えへへ、ありガトーショコラです」

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