笑わせることは難しい

「ちょっとあんた。そのご飯どこ持ってくのよ」


 ラップに包まれたハンバーグをそろりそろりと盗人のように運んでいると、保湿パックを顔に着けたままの宇宙人のような母親がドアから顔を出した。


「今日は部屋で食おうと思って。ほら、期末も近いし勉強したいんだよ」

「行儀が悪いわね」

「今回は見逃してくれ、俺の未来がかかってるんだ」

「まぁ勉強するのは悪いことじゃないんだけどね」


 お咎めはなんとか受けなくて済むようでほっと胸を撫で下ろす。


「あ、そうだ。あんた母さんのシャンプー使った?」


 ギクッ。


「使ってないし使う意味もないだろ。俺はいつもどおり父さんのシャンプー使ったよ。おかげで頭皮がいまだにスースーする」

「そう? なんか減ってるような気がしたのだけれど」


 聞くところ髪に艶がなくなってきたことに母さんは悩んでいて、思い切って美容室で使っているような高級なシャンプーを通販で買ったらしい。


「貧乏くさいな。なくなったらまた買えばいいだろ」

「簡単にいわないでよ」


 貧乏くさいなんて人のこと言えたものじゃないな・・・・・・。


「じゃあ俺部屋戻るわ。あと友達と通話しながら勉強するからちょっと話声するかもしれない」

「夜はほどほどにね」

「自重するよ」


 ドアが閉められ、俺はまだ温かいハンバーグを部屋に持って行く。


 中に入った瞬間、自分のものではない甘い香りが鼻を撫でた。


「あ、颯太」


 その香りの正体は、髪を微かに濡らした一人の美少女だった。


「ドライヤー使えって言っただろ、ほら」

「うん。でもこのお味噌汁が美味しくて」

「そりゃよかった」


 ダボダボのパジャマを着た彼女は長い袖からちょびっと出た指で箸を可愛らしく持っていた。頬もやや上気していてどこか色っぽい。


「でもな紗奈さな。髪乾かしながら飯食うのはやめろ。鰹節が風に乗って旅に出てるぞ」

「ほんとだ。ごめんね颯太」


 謝罪の言葉とは裏腹に幸せそうな笑顔を浮かべる彼女の名前は紗奈。


 名字は知らない年齢も不詳。どこに住んでるのかも分からないし家に帰らなくていいのかも謎である。


『あたしの名前は紗奈。ねぇ颯太。あたし、颯太のそばにいたい』


 あの後、紗奈が突然そんなことを言い出しあろうことか俺に付いてこようとしたのだ。 


 家に来られたら家族にだって説明できないし年頃の男女が一つ屋根の下で夜を過ごすのはいかがなものかと考えている俺の目の前に100円玉が差し出された。


 そう、これは交換条件。100円を譲渡する代わりにあたしを家に入れてとそう言っているのだ。


 そんな危ない交渉だったが俺には選択肢などあるはずもなく、まるで友達同士のように一緒に電車に乗って帰宅した次第だ。


 母さんが買い物に行った隙に紗奈を風呂に入れたり着るものや食べるものを用意したりとまるで捨て猫を拾ってきたような気分だった。


「このパジャマ。颯太の匂いがする。落ち着く」


 今のところ分かってることは二つ。


 こいつの名前が紗奈だということと、何故か俺に好意を寄せているということ。


「サイズあってないけどそれでよかったのか」

「ん、これがいい」

「そうか」


 なんだかくすぐったい気持ちになりぶっきらぼうに返事をしてしまう。


「ねぇ颯太。隣に来て」

「ん? あ、あぁ」


 紗奈が座っている横に腰掛ける。


「もっと近く」

「え、ここでいいだろ」

「やだ。もっと近くに来て」


 紗奈に言われて、肩がぶつかりそうな距離まで近づく。というか、肩が当たっている。紗奈が寄りかかってきている。


「口にソース付いてるぞ」

「とって」

「ったく、赤ん坊かお前は」

「口で、口で取って。舐めて」


 甘えるような目がこれでもかと訴えかけてくる。


「ば、ばかか! そんな犬みたいなことできるか! ティッシュ使えテイッシュ!」


 乱雑にティッシュを2、3枚取って紗奈の口を拭いてやる。


 くそ、なんだこのむず痒い空間は! 耐えられる気がしない。今にも身悶えしてしまいそうだ。


「ごちそうさま。すごく美味しかった」

「まあ作ったのは母さんだけどな」

「そっか。颯太のお母さんは・・・・・・きっと優しいんだろうね・・・・・・。なんか懐かしい味」


 飯を食い終えたらやっぱり帰ってもらおう、そう思っていたのだが。これだ。


 時たま見せるこの寂しそうな表情。家庭環境が複雑できっと色々あるんだろうなとは察しが付く。


「皿置いてくるから、じっとしてろよ。部屋から出るなんて真似するんじゃないぞ」

「わかった」


 俺は釘を刺して皿を水に浸ける。冷蔵庫から二人分のお茶を取り出すとすぐに部屋へと向かった。


「待たせたな、ちゃんと静かにしてたか――」

「・・・・・・・・・・・・」


 紗奈は座布団に頭を預け、気持ちよさそうに寝息を立てていた。


「ったく」


 お茶を近くに置いてやると、俺は布団を優しく紗奈にかけてやった。


 するともぞもぞと身じろぎし、布団に頭を埋めてしまった。


 疲れてたのかもな。


 人には色々な事情があるだろうしそれについては言及するつもりはないが、自分の体を売るしかなくなるほど追い込まれてたってことだもんな・・・・・・。


 布団からはみ出た髪を撫でてやる。驚くぐらいにサラサラだった。


「ふんふん、なーほどね」

「うわっ」


 声の方へ視線を向けると、机の引き出しからひょっこりと顔だけを出したミコトがいた。ドラちゃんかよ。


「なんてとこから現れてるんですか」

「たまにはこういうサプライズもいいっしょ? よっと。あれ」


 引き出しから出ようとしたのだろうが、和服がどうも動きづらいらしく足を上げられないでいた。


「ウチもそろそろ和服やめてクールビズしよっかな」

「それって神様の聖装みたいなものじゃないんですか?」

「たまにはいいっしょ」


 なんだか適当なんだな。


「まぁでも、その必要もないかな」

「どういうことです?」

「だってもう目的は達成したしね」


 そう言うとミコトは袖の中から小さいクラッカーを取り出してパン! と乾いた音を鳴らした。


「おめでと! これでキミも彼女持ちだね! 結構早かったけど、まぁウチにかかればこんなもんっしょ! いやいやホントよかったじゃん!」

「彼女!? 違いますよ! 紗奈は、なんていうか拾っただけで・・・・・・ていうか勝手に付いてきただけでそういうんじゃ」

「でも、その紗奈ちゃん? めっちゃゾッコンっぽかったじゃん。キミのこと見る目もなんかガチだったし」

「でも、だからと言って彼女だなんて」


 俺はただ保護しただけで、こんなの恋人同士でもなんでもない。


「えーなにそれ。いいじゃん、キミのこと好きになってくれる人なんてこれから現れないかもしれないよ?」

「それは、そうなんですけど・・・・・・」


 あぁ、ミコトの言うことは正しい。俺のこと好きになってくれる女の子なんてそれこそ奇跡みたいな存在なのに、何故か快く「じゃあ付き合うか!」と言うことができない。


 紗奈は可愛いし、嫌いなんて感情は一つもない。話してみて分かったがとてもいい子で表情こそ豊かなわけではないが感情は確かにあるし意外にに甘えん坊なところもある。


 どちらかと言えば好きなのかもしれないのに、付き合うという行為に踏み込むのには躊躇してしまう、そんな状況だ。


「分からないです、俺は一体どうしたらいいんでしょう」

「んーそうだねぇ」


 ミコトは考えるような素振りをして、すぐに手をポンと叩いて見せた。


「キミ、面白くないんだよ」

「へ?」


 てっきり紗奈のことに助言してくれるのかと思ったのだが、まるで関係のないことに突っ込まれてしまった。


「キミ、こんな可愛い子を家に泊めてるのになんでそんな冷静なの?」

「冷静じゃないですよ。内心ドキドキしっぱなしですし」

「じゃあ表に出しなよ。隠す必要なくない?」

「え」

「さっきもさ、紗奈ちゃんにクールにお世話してあげてたじゃん? で、ウチに対しても敬語を忘れずに接してる。まぁ信仰心を忘れてないのはいいことなんだけどね。なんか寡黙っていうか、物静かっていうか」

「そうですかね」

「ほら! それ! その反応!」


 でたでた! と一人はしゃいでいるミコト。


「なんかさ、キミの反応って冷静すぎて面白くないんだよね!」

「そりゃ、なるべくテンパらないように落ち着いて話してますから」

「いやいや! それ絶対やめた方がいいって! せっかくキミに最近ユーモアが生まれてきたのに、思ってることを押し殺すのはよくないじゃん! はーもったいな!」


 そんなことを言われても、俺はずっとこの調子で生きてきたわけだし今頃帰ることなんて・・・・・・。


「むむっ! はいキタキタ! ウチに神が舞い降りた!」


 神はあなたでしょう。


「はいっ! 今回のお告げはこれですっ!」


 シールがひらひらと宙を舞い、それをつかみ取る。


『人を積極的に笑わせよ』


「俺、こういうの苦手なんですよ」

「だからやるんじゃん! はいこれ」


 ミコトが差し出してきたのはザルとひょっとこのお面だった。


「それで踊って」

「いやいや、宴会ですか。嫌ですよ恥ずかしい」

「はいダメー! なにその冷静なツッコミ! 全然面白くないよ! そこはもっと元気よく!」

「はぁ・・・・・・」

「はいもっかい!」


 ひたすら困っているとまた「はい!」と続けるミコト。俺が言うまでずっと催促し続ける気だ。仕方ない。


「ってこれ宴会の一発芸じゃねぇかー! できるかこんなの!」

「んー! 惜しい! そこはわざとらしく演技がかった感じで! あと関西弁のほうがなんかよさげ!」

「・・・・・・ってこれ宴会用のお面やないかーい! こんなんなくてもわての面はひょっとこじゃってやかましいわ! って、こんな感じでええんかい?(宴会)」

「あははははは! いいじゃん!」


 ぎこちない関西弁でアドリブでかましてみたが、ミコトには大いに受けていた。


「掴み悪くないよ! もしかして才能ありけり?」

「どうなんですかね。でも、クラスメイトの話とかを聞いて心の中でツッコミを入れてたりしてたこともあったのでそれの成果かもしれません」

「なーほどね! じゃああとは臆せず口に出せばいいよ!」

「なるほど」


 人を笑わせるか・・・・・・。そんなこと考えたこともなかった。でも、いまさっきのツッコミは言ってて気持ちよかった。もう少し、はっちゃけてもいいのかもしれない。


「あ、そうだ。紗奈ちゃんに化粧水渡しといて。女の子には必需品だから」

「わかりました」


 そう言ってミコトから白いラベルの容器を受け取る。


「ってあっつーーー!! これあっつ! 中身なんだこれ!? ペロッ、甘酒じゃねぇか! このタイミングで神様ジョークかますなー!」


「あはは! いいねいいね! この調子でどんどん行くよ!」

「はい師匠!」


 その日の夜、俺は普段動かさない表情筋を動かしすぎたせいで顔をつってしまい、そのまま息を引き取ったのであった。


 これが本当の笑い死にである。


 ――完。

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