家出少女、路地裏にて
「はぁ・・・・・・」
俺は駅前の町並みから外れた路地裏でホームレスのように生気を失っていた。
『あ、おはようございます楠木くんっ。えへへ』
恥ずかしそうに笑って朝の挨拶をしてくれた山吹さん。
『起きてください、楠木くん。ふふっ、ぐっすりでしたね』
次の授業が移動教室だということにも気付かず机に突っ伏していた俺を起こしてくれた山吹さんの慈愛に満ちた表情。
『あの・・・・・・よかったら今度・・・・・・いえっ、なんでもありません。それではまた明日』
何か言いかけたが、顔を赤らめて逃げるように走って行ってしまった山吹さんの後ろ姿。
そんなものが走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
「あんないい子、怒る要素一つもないっての」
結局俺はいまだに誰も怒れないままでいた。だって、日常的に自分の逆鱗に触れるような出来事は思っていたよりも少なくてとても平和なのだ。そんな中で急に怒ったりでもしたらとんでもない変人だ俺は。
それに・・・・・・。
「残金、150円」
俺は郵便局に寄る用事があり、駅を三つほど跨いでとある街に来ていたのだが。驚かないで聞いて欲しい。帰りの金があと100円足りないのだ。
色々考え事をしていたものだから財布の中身を確認すらしていなかった。
ここから家まで歩いたら1時間半ほどかかる。しかもすでに夕日は落ちていて辺りは真っ暗だ。
「今何時だ」
スマホも充電切れ。助けを呼ぶこともできない。
俺はいよいよ死を覚悟していた。というのは言い過ぎかもしれないが途方にくれているのは間違いなかった。
もはやお告げとかそんなもの気にしている次元にいない俺はこの後のことを考えながらぐるぐると回る換気扇をぼ~っと眺めていた。
「どうかしたの。お兄さん」
「え?」
人が通るなんてあり得ないはずのゴミ溜めのような場所に声が響いた。
短いスカートが眼前でふわりと舞い、栗色のボブカットが春の肌寒い風に靡いている。
キリッとしたつり目に高い鼻。小さくピンク色の唇に引き締まったボディライン。一瞬モデルの人かなにかと思ってしまうほど。制服を着ていることから歳は俺と同じか、多分下だと思う。
俺がジロジロと凝視してしまってることなんて気にも止めない様子で彼女は言う。
「こんなんとこで座ってたら風邪引く」
「あぁ、そうだな。確かにちょっと寒くなってきた」
彼女はそんな春の夜風よりも冷たい視線を俺に送り続けている。口を真一文字に結び表情の動かさない彼女からどうして俺に声をかけたかなんて答えは見つからず、互いに少々の無言の時間が続いた。
「もしかして、困ってるの」
「ん? まぁそんなとこだな」
「そう。あたしも困ってる」
「ふーん」
俺が無愛想に返事をすると、彼女が俺の顔を覗き込んでくる。
「じゃあ、似たもの同士だね」
「そうかもな」
視線をあげるとすぐそばに白い素足があるので地面と睨めっこせざるを得なかった。視線を下に向けたままでいると、頭上から布の擦れる音が聞こえてきた。
パサッ。
そして地面に落ちてきたのは、ブレザーだった。
ん? あれ?
どうしたのかと気になって、あまり足に視線は送らないよう顔を上げる。
そこには、ワイシャツを半脱ぎ状態にした彼女が立っていた。
「ねぇ、あたしとヤってよ」
「は!? は!?」
「いいよ、安くするから」
「お、おまっ!? 一体何を・・・・・・ッ!」
彼女は躊躇泣くワイシャツを脱ぎ捨て下着を露わにした。
覆い被さるように体を密着させてくる彼女は俺の手を握り、自分の股間付近へと持っていく。
指先が柔らかい生地を撫でた感触が確かにあった。それだというのに彼女は表情一つ変えることなく艶やかな唇を近づけてくる。
「あたし結構可愛いと思うし、なかなかの優良物件だと思うの。だめ?」
「いや、そういう問題じゃ・・・・・・」
「お兄さんとなら最後までしてあげてもいいよ。顔も割と好みだし。しようよ」
細い腕が背中に回される。彼女の息が耳にかかりトクントクンと胸の鼓動が肌を通じて伝わってくる。
なんだ、これは。いったいどうなってる? 俺は今何をされているんだ。
こんがらがる思考の中、俺は彼女は体を売ろうとしていることにようやく気付いた。
あぁ、上だけ下着姿で下はスカート履いてるってなんかエロいよな。なんて考えている間にも彼女がズボンのベルトに手をかける。
ここまで異性に迫られたことなんて今までになかった俺は完全に動揺していて彼女の一挙手一投足にドキドキしっぱなしだ。これが恋人同士とか好意からくるものだとしたらどれだけいいことか。
そう考えてしまうと、この肌と肌との触れ合いが偽りにしか過ぎず茶番にすら見えてきて、抱いていた劣情が消えていくのが分かった。
「1万でいいから。はやく、あたしを抱いてよ」
俺は彼女が伸ばしてくるその手を掴んだ。それを肯定だと解釈したのか彼女が跨がるような体制になる。
「バカいうなよ」
「・・・・・・」
「そんなことできるはずないだろ。はぁ、お前いつもこんなことやってるのか?」
彼女は力なく首を振る。
「初犯」
「本当か?」
「あたしとヤれば、それもわかるんじゃない」
「またそれか。いいか、そんな簡単にやるやる言うんじゃない。どんな事情があるかは知らないが自分の体を汚すようなことは良くないだろ」
「説教のつもり?」
「まぁな」
おどけてみせる俺を見ても彼女の表情は相変わらず動かないままだが、なんとなく睨みつけられているような気がする。
「俺さ、お前のこと見たときすごい可愛い子だって思ったよ。マジで芸能人かよってくらい顔も小さいし・・・・・・なんかいい匂いするし。正直ドキドキしてたのは事実だ。だからそんなやつに体を売るなんてことして欲しくないんだよ。金が欲しいならさ、バイトだっていくらでもあるだろうしお前くらい可愛ければそれこそ言い男でも見つけて美味いもんでも食わせて貰った方がよっぽど効率的だと思うぞ」
俺は別に彼女を責めたわけではないし咎めたわけでもない。
ただ、俺の思ってることを正直に伝えただけ。
「なに、それ」
奈落に響くような低い声。
「お兄さんには関係ない。あたしの体はあたしのもの。どうしたって勝手でしょ」
薄茶色の瞳が睨みつけてくる。それを見てやはり綺麗だと思ってしまう。
「別にこんな体どうなったっていいんだから。どうせ誰もあたしのことなんか大事にしてくれないんだから」
「じゃあどうしてそんなに、手が震えてるんだよ」
「・・・・・・っ」
「怖いなら無理するな」
「無理なんて、してない」
「はぁ・・・・・・さっき関係ないって言ったよな。悪いが、怖いのを我慢して手を震わせながら男に体を売ろうとするようなやつを抱くことなんてできないし放っておくこともできない。お前が俺に話しかけた時点で俺には関係あることなんだよ」
彼女は俺から体を離すと、俯いたまま表情を見せることなく言った。
「お兄さん・・・・・・」
狭い路地を通り抜けていく風に紛れた小さな声を俺の耳が確かに拾い上げた。儚く、縋るようで、初めて彼女が見せる弱気のようにも感じた。
「俺でよければ相談に乗るからなんでも話してくれよ。お前が一人で駆け込むこともないだろ」
「じゃあ・・・・・・」
彼女が顔を上げ、前髪に隠れた瞳が覗く。
「お兄さん、無理しなくていいよ」
「へ?」
「キャラじゃないでしょ」
・・・・・・・・・・・・。
「な、何を言うんだ! 俺はお前のことを思って!」
「だからそれ。お兄さん。そんな人のことを思って綺麗事を並べられるような人じゃないでしょ。なに、それっぽいこと言えばあたしが更生するとでも思った?」
不動だったはずの彼女の表情が、ふわりと柔らかいものになる。
「ダサいよ、お兄さん」
そうしてくすくすと、嘲るように嗤って見せたのだ。
俺はというと、自分の顔がみるみる熱くなっていくのを感じていた。
当然、図星だからである。
だってしょうがないじゃん。あんなに密着されてたんだもんテンパるに決まってるじゃん。キャラじゃないキザなセリフ吐いたって仕方ないじゃん!
「あーもう」
頭を掻いて、わざとらしい言葉を選ぶのをやめた、
ったく、せっかく人がお告げの通りに優しく怒ってやったってのに。
「そうだよ無理してたよ悪いかよなにが『抱いてやることはできない』だよなに女の扱いに慣れてるみたいな雰囲気醸し出してんだよ俺は童貞だよコンチクショウ。そもそもな、俺の全財産は150円しかないんだよ。1万円? アホか。そんなん全部漫画代に使われて消えたわ!」
捲したてる俺を見る彼女は驚いたように口を開けっぱなしにしている。
「というかな、金に困ってるのはこっちなんだよわけのわからない神様に勝手に使われまくって帰りの電車賃が無いことにも気付かないでこんなところまで来て路頭に迷って。俺が体を売りたいくらいだよ俺を抱かせてやるから100円くれよ! くっそたれ!」
自分でも情けなくなってしまうほどにくだらない話だ。たった100円足りなかっただけで大人げなく喚いて。
ほら見ろ、彼女なんて――。
笑ってるじゃないか。
「おかしいね、お兄さん」
「あぁ、おかしいだろ? 俺もそう思う」
「全財産150円って、あたしより少ないよ」
「マジかよお前石油王かよ」
彼女はワイシャツのボタンをとめて、落ちたブレザーを拾い上げた。
もう体を売るのは諦めたようだ、ま、当然か。なんてったって相手にしようとしていたのが全財産150円の男なわけだし。
「お兄さん名前は?」
「楠木、颯太だ」
「そっか。いい名前だね、颯太」
着替えを終えた彼女は手を後ろに回して、上機嫌のようにも見えた。
「ねぇ颯太」
「なんだ?」
――チャリン。
改めて自分の財布を確認しつつこれからどうするかを考えていた俺は、突然のことに驚き手に持っていた小銭をすべて地面にぶちまけてしまう。
しかし、それを拾うこともできぬまま俺は彼女に聞き返していた。
「いま、なんて言った?」
肩まで伸びた髪がふわりと舞い、ほんのりと頬を染めたまま彼女は言った。
「あたし、颯太のこと好きかも」
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